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好きな作家たちについてちょっと語る

自分が好きな作家にはいくつかのタイプがある気がする。それらの作家について軽めに語ってみようと思う。

文章を読むのが気持ちいいタイプ

まずはこれ。具体的には、

  • 村上春樹

  • スコット・フィッツジェラルド

  • スチュアート・ダイベック

  • ヘミングウェイ

  • J・D・サリンジャー

  • 中上健次

などなど。ストーリーを置いておいても、とにかくこの人たちの書いたものを読むのが至福だと感じる。
皆、結構文体に特徴のある人たちだと思う。それ故に読んでいるだけで幸せになれるのかもしれない。まず何より文章の中に漂う空気感が好きだ。村上春樹、フィッツジェラルド、サリンジャーは割と似たものがあるんじゃないだろうか。実際、村上春樹自身影響を受けているらしいし。
ヘミングウェイは実は長編よりも短編を数多く読んでいて、特に「釣りもの」のイメージが強いためここに分類。どちらかといえばすっきりした文章の方が好き(中上健次のセンテンスの長い文章は別)なのも読んでいて心地よく感じる要因かもしれない。
スチュアート・ダイベックは空気というよりも風が吹いている感じがする。ダイベックのシカゴの風。退廃感がたまらない。
中上健次だけが異色を放っている気もする。いや、異色だな。完全に。あの語りから紡がれる濃ゆい血の物語。男と女の交わり。夢と現の交差。宇佐見りんさんがきっかけで読み始めたのだが、完璧に中毒になっている。
村上春樹好きにはサリンジャーやフィッツジェラルドを読む人が多いと思うのだけど、中上健次を読むという人はなかなか居ないようにも思う。

自分に響く物語を書くタイプ

  • 宇佐見りん

宇佐見りんさんの書く文章にはとにかく共鳴してしまう。強く響きすぎて苦しいくらい。自分には言葉にできない感覚を最も的確な表現で表してしまう。読んでいて苦しくて苦しくてたまらない。けれども読んでしまう。主人公とともに苦しむことで、救われているのかもしれない。間違いなく一番の”推し”の一人だ。

ストーリーが面白くて読むタイプ

  • カズオ・イシグロ

  • ドストエフスキー

  • 乗代雄介

カズオ・イシグロはストーリーというより、「信頼できない語り手」手法が好きだったりする。もちろん話も文句なしに面白くて引き込まれるのだけれど。色々なカラーの作品があってそれぞれ楽しませてもらっている感じだ。
ドストエフスキーは「カラマーゾフ」のイメージが一番強い。最初に読んだのがカラマーゾフだったこともある。「これがロシア文学…」と圧倒された思い出。
「旅する練習」が乗代さんとの出会いだった。どの作品もキャラクターに魅力があって、いきいきしていて、強い印象が残っている。特に「パパイヤ・ママイヤ」は”きいれぇ”カバーとともに長い間心に残り続けるんだろうなと思う。

そして、この三つ全てを兼ね備えている(と個人的には思っている)のが

太宰治

そう。太宰が好きなのだ。

太宰にはまったのは中学三年の時、「斜陽」を読んでのことだった。それまでにも新潮文庫でいくつか読んでいたのだが、斜陽で落ちた。完全に落とされた。沼にはまってもう抜け出せなくなった。
なぜあんなに斜陽に惹かれたのかというと、かず子にとんでもなく移入してしまったのだ。別に母を亡くしたわけでも弟を亡くしたわけでも没落して畑仕事をしたわけでもましてや禁断の恋の末に捨てられたわけでもない。なのに、強く強く響きあってしまった。
それから、太宰を読み漁ることになる。図書館で借りられるものは全て借りた。全集まで買ってしまった。語りも、男たちの情けなさも、あの「自分のことが書かれている」感覚も、何もかもが好きなのだ。太宰好きあるあるだろうが、「この人は自分を分かってくれる」と思わされてしまったのだ。これからもずっと太宰は人生と共にあるような気がしている。


とまあ、もっと語りたい気持ちを抑えて書いてみた。なんとなく共通項があるような無いような。ああ、一人語りじゃなくて人と語り合いたい。ただでさえ読書好きが周りに居ないのに、趣味が合う人とはいつ出会えるのだろうか。

あ、そのためのTwitterか。

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