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「起立性調節障害」で苦しんでいる人へ、経験者より。

「起立性調節障害」
私は中学1年生の時にこの病気になった。そのときのことを、少し書いてみる。たった今、この病気で苦しんでいる人、その家族の人、似たような症状を抱えている人に届いたらな、という思いで、書いてみる。


私はもともと、学校が好きではなかった。中学校に入学してからさらにその思いは強まった。そんな中、段々と朝起きるのが辛くなった。まず目が覚めない。目が覚めてもだるくて起き上がれない。努力でどうにかなるレベルではなかった。やがて、頭痛、めまい、倦怠感の症状が現れた。母に連れられて小児科へ行くと、「起立性調節障害」だと診断された。メトリジン(血圧を上げる薬)、グランダキシン(自律神経を整える薬)を処方してもらった。

この病気の一番の特徴だが、昼頃になると症状は治まってくる。そのため、給食時間から登校するようになった。その頃は私もまだ幼く、特に思い悩むこともなく「授業に出なくて済んでラッキー」くらいに思っていた。今思い返せば母は相当悩み、心配してくれていた。申し訳なかったな、と今更思っている。

そんな状態がだらだらと続き、時が過ぎるにつれて精神的に成長したのだろう。段々と私のなかに罪悪感が芽生えてきた。母への申し訳なさ、募る「自分はサボりだ」という思い。その頃一番仲の良かった友達に愛想を尽かされた、と感じたのも大きかったのだと思う。授業中の教室に入っていく気まずさやクラスメイトの視線も段々と私の学校へ向かう足を重たくしていった。
もちろん、本気で心配してくれる子もいた。理解のある先生もいた。恵まれていた。ただ、たまにかけられる何気ない一言。それに心は酷く引き摺られ、段々に追い詰められていく。99の優しい言葉よりも1の悪意のない非難が深く刻み込まれるのだ。

中学3年の頃には朝起きることはできるようになった。だが、学校へ戻ることはできなかった。起立性調節障害、というよりも自律神経失調症になっていたのだと思う。一日中めまいがあった。学校へ行こうとすると頭痛と倦怠感が酷くなる。重たい、ままならないからだを引き摺るようにプリントをもらいに行っていた。

結局、卒業までにクラスに戻ることはできなかった。卒業式は休み、校長室で卒業証書を受け取った。卒業アルバムも買っていない。制服はすぐに燃えるゴミに出した。そのくらい、私の中学三年間は暗いものになってしまった。


この病気がやっかいなのは、周囲から理解されにくいことだ。人前に出られるようになったときはなんら異常もなく、元気そうに見えてしまう。また、元気そうに振舞ってしまうこともあるかもしれない。私はそうだった。そのため「本当にこの人は具合が悪いのか?」という疑念を呼んでしまうのだ。いったい自分は本当に具合が悪いのか。怠けるために装っているだけではないのか。その思いに苛まれ続けた。そのストレスからか暴食気味になり、体重が10㌔以上増えた。ダイエットをしようとして行き過ぎ、拒食症になった。今でもその影響で体調がすぐれず、普通の生活がおくれていない。中3の時には自力で受験勉強をしていたが最後の最後で高校生活への不安や孤独で心が折れ、鬱にもなった。自分でも笑ってしまうほどの滅茶苦茶具合だ。笑えるだけマシかもしれないが。

今、この病気で苦しんでいる人とその家族の人に伝えたいことがある。

学校を休んでも、周りとちがっていてもいい。周囲と違うことはいけないことじゃない。

症状に苦しんでいる本人はきっとどうしたらいいかわからなくて困っていると思う。行きたいのに行けない。または行かなきゃいけないのに行けない。周囲の目も気になると思う。だけど、大丈夫。病気なのだから。まわりがしていることができなくて当たり前なのだ。動けるようになったら動けばいい。周りに合わせることなんてない。
私がこの考えに達することができたのは本当に最近だ。だから今は「何を言っているんだ」と思うかもしれない。だけど、自分の心を守るためには開き直るしかない。それが、一番楽に生きられる方法だと思っている。

また、家族にこの病気を抱えている人は、どうか本人を認めてあげてほしい。心の底から受け入れてあげてほしい。私の母はとても優しく言葉をかけてくれた。だが、にじみ出てきてしまう不満と猜疑心を感じ取ってしまった。
突然自分の家族が変わってしまったら戸惑うのは当たり前だと思う。受け入れるのも本当に難しいと思う。でも、一番苦しいのは本人だ。だから、どうか、本人の思いを受け止めてあげてほしい。何が一番苦しいのか、話し合ってほしい。それだけで、全く違うと思うのだ。ゴールは学校への復帰ではない。普通に幸せにしたいことができること。それが一番大事だと私は考える。

今は先が見えなくて途方に暮れていても、やがて淡い夜明けは訪れるものだと思う。私の場合、気が付いた時には症状は消えていた。だから、無理だけはしないでほしい。人と違っていても胸を張っていられるように。病気にさんざん振り回されてきた私からのお願いだ。


ここまで書いてきて、なんだか自分の心の整理になってしまったなぁという気になっている。どうにもならない気持ちを言葉にして吐き出すと、少し心が軽くなる。改めて実感した。
今この病気で困っている人も、かつて苦しんでいた人も、もしよければ言葉にして伝えてほしい。経験の言葉による共有が心を癒す助けになるのではないかと思う。

私も、そうやって過去を救ってほしいのかもしれない。そう感じた。

足りない言葉で勢いで書いてしまった。だがこれはこれで、残してみようと思う。全て、私の奥底から流れ出た偽りない気持ちだから。

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