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摂食不能海月通信

 ここ半年、ずっと体調を崩している。
具体的には、食べられない。食べたくても食べられないのだ。
一日の食事内容は、朝:ヨーグルトと味噌汁 昼:カステラ一切れとエネルギー補給ゼリーと栄養補助食品 夜:プリンと栄養補助食品
毎日がこの組み合わせだ。もう、うんざりしている。
甘いものや柔らかいものだったらかろうじて受け付けてくれる。それもあんこやクリームのような重いものだともうダメなのだが。
食欲がある日もある。ただ、消化能力が落ちていてご飯を茶碗半分食べただけでも次の日に何も食べられなくなってしまう。

こうなったきっかけはどこまで遡ればいいのか自分でも分からない。
二年ほど前から拒食の症状があった。一年前の一月、鬱になった。そのころから食後の吐き気が始まり、四月ごろ過敏性腸症候群になった。
拒食の影響で炭水化物や脂質を避け続けていた。今思えばその乱れた食生活が鬱や過敏性腸症候群の遠因になったのではないかと思う。

そんなこんなでどんどん食べられる量が減っていった。去年の秋ごろには徐々に拒食は抜けて行っていたものの、体が受け付けずに食べる量は回復できなかった。自分の場合、全ての病気が互いにそれぞれからの回復を妨げていたように思う。

そして今年の元旦、情けないことにお節で本格的に調子を崩した。自分でも笑ってしまう。

そこからがまた悪かった。
なるべく消化のいいものをと思いおかゆや野菜スープなどの栄養価の低いものばかりを摂っていた。案の定体重は減り続け、目も当てられないほど瘦せ細った。そんな時、祖父が亡くなった。飛行機で埼玉まで駆けつけ、葬儀に出席できたは良いものの、緊張もありさらに食べられず、まともに食べないまま動き続ける羽目になってしまった。

その後、二月。昼食後にあまり調子が良くなかったにもかかわらず、予定があったため無理やり出かけた。それがとどめだった。その日の夜から、食べられなくなった。そして、今に至る。

かれこれ半年、この状態が続いている。ずっと家で安静に過ごす日々。調子をひどく崩し水すら飲めなくなったときは点滴もした。体力も著しく低下し、家の周りを散歩するだけで疲れ果てる。いつまで耐えればいいのか、なんでこんな目に遭っているのか、数か月前まではぐるぐるぐるぐる考えていた。もう、何も思わなくなった。一種の順応。日々、本を読み、文字を追って長すぎる一日をしのいでいる。

どこで何を間違えたのだろう。何が悪かったのだろう。膨大な時間の前で自己と向き合い、考え続けた。そして気が付いたことは、今の自分をつくってきた全てのものが源だということ。経験、思考、読んだ本、浴びた情報、投げかけられた言葉、世間の出来事、全て。どうしようもなかった。本当に、どうしようもなかった。

案外、人に降りかかてくる災難は、はっきりとした要因がない限りみんなそんなものなのかもしれない。だから、どうしようもなくて途方に暮れてしまう。

いつ治るのだろう。いつ普通になれるのだろう。もちろん、難病を抱えていたり、何らかの障害を抱えている人から思えばよっぽど幸せだ。治るのだから。だが、ひかりの見えない暗闇を一人さまよい耐えるには私は弱すぎる。

どうしようもない日々の中、縋ることのできるのは主治医の「治ります」という一言と、こんなふうに文字に綴って気持ちを整理することだ。

食べられなくなり、まるで生きることを体が拒否しているかのように感じた。
「食べる」ことは「生きる」こと。その言葉がここまで身に染みるとは。
食べられるように生きたい。生きられるように食べたい。それだけをただ祈るように願う。

食べることは普段思っているより、何十倍も何百倍も重要なこと。それに気が付けただけ、収穫としておこう。

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