鎌倉街道 中道を走る 鶴ヶ峰~二子
鎌倉街道中道の続き、鶴ヶ峰から二子の多摩川まで走りました。
前半は初めて訪れた場所でしたが、後半は以前走った青山通り大山道とほぼ同じルートなので、新たな発見を期待するというより、次の区間への繋ぎの意識が強かったかも。
前回と同様に丘陵地を横断しながら進むので、きつい坂もあるのですが、そこはだらだらと歩きながら進みました。ちょうど桜が満開の日だったので、道中の桜で癒やされる絶好のお花見ランになりました。
今回も芳賀善次郎の「旧鎌倉街道探索の旅 中道・下道編」を参考にしました。今から45年前に書かれた本なので、当時残っていた旧道も、その後の宅地造成で消滅した場所が多かったです。時代とともに道が変遷するのは、歴史の慣わしなのでそれを惜しむのではなく、変化を楽しみたいと思います。
鶴ヶ峰~荏田 13.3km
鶴ヶ峰を北上し、2つの丘陵地を横断する。
8時ごろに前回のゴール地点、鶴ヶ峰駅に到着し出発する。
朝方まで雨が降っていたので、しっとりとした空気の中、帷子川(かたびらがわ)沿いの桜が満開だった。
16号線を越え、白根神社に寄る。
「新編武蔵風土記稿」に、奥州征伐時に頼朝が近くの境内の池で髪を洗ったとの言い伝えの記載がある。故にここが鎌倉古道とのこと。
その鬢手洗池(びんだらいけ)跡は境内に見当たらず、後で地図を確認すると白根通りの道沿いにあるようだ。
丘陵の尾根道を進むと、道沿い畑の中に井戸があった。今も現役で使われている様子がいい。
道沿いに「古道カフェ」の看板を見かけ興味を引かれたが、最近営業終了したようだ。この道が鎌倉街道中道だったことから名付けたようだ。
丘陵地を下り、中山町に入り横浜線を渡る。人が通れる踏切が作られているのはありがたい。
鶴見川を渡る。渡河地点で標高を下げ、これからまた丘陵地の上りに入る。
芳賀本の時代(1970年代後半)では、市ヶ尾付近は造成中だったが、ところどころ旧道が残っていたようだ。現代は開発が完了し、整然とした道に変わり、旧道は消えている。
それでも桜並木に心癒やされる。
荏田町も宅地開発が進んでいるが、尾根の頂上付近は旧道ルートと思われる道が残っていた。
平地に下りると、満開の桜。
見覚えのあるこの看板に出会い、以前走った大山街道に合流したことに気づいた。
中川~二子 10.4km
北西に進路を変え、再び丘陵地を越え、多摩川に至る。
この右手の丘の上はかつて老馬という地名だったとのこと。今も老馬鍛治山不動尊が残り、その下の崖からは霊泉の滝と呼ばれる今も流れる水場があった。
前に走ったときは逆方向を駆け下ったが、今回は歩いて上る。
google MAPだとこのあたりに「血流坂」のマークがあるが、芳賀本の記述だと違う場所のようだ。いずれにせよ古い時代の都市伝説のようなものではないか。
丘陵の頂上付近は農園や、畑が残っている。
川崎市に入り、丘陵地を下って宮前平駅前に出る。
宮前平駅前から八幡坂を進む。八幡神社があるから八幡坂。
以前走ったときは、ここの銀杏並木の紅葉が印象的だったのを思い出す。
246号を超えるため、歩道橋を渡る。進む方向はトラックの後ろに少し見える道。246号線を横切るのはいつも大変だ。
この付近に来ると大山街道に関する史跡が目立つ。タイトル画像の道標も大山街道のものです。ここが鎌倉街道という認識は地元の人もあまりないのでは。
二子の渡しの史跡に寄り、二子橋で多摩川を渡り本日のゴールとする。
二子玉川駅に12時に到着し、電車で帰宅する。
今回も午前中だけ走って早めに帰宅しました。結局長距離歩くことになるより、短い距離サクッと走って帰る方が、今の自分にはちょうどいいのかもしれません。ですので、次も今回と同じくらいの距離となる、多摩川から荒川辺りを目指したいと思います。
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