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國友公司『ルポ路上生活』感想

※2022年9月執筆。

約半年前、裏社会ジャーニーで國友氏が宣伝も兼ねて出演し、路上生活について語っていたのを観て以来気になっていた作品だった。ようやく読めた。こちらも西成と同様、著者が実際にホームレス生活を行った様子を記したルポ作品である。

こちらがその動画。他にも2本あったので、路上生活の実態が気になる方には、ぜひご視聴頂きたい。

以前読んだ西成のルポでは、生活保護受給者に対し否定的な意見を書いたり、日雇い労働によるストレスが溜まっているような描写が多く、そういう現場ならではの感想や精神変容がリアルといえばリアルなのだが、「本当に興味があってやっているのか?」という疑問を持ってしまいあまり楽しめなかった。
裏社会ジャーニー出演の際、路上生活を心から懐かしむ様子があり、その点は大丈夫そうだと期待していたが、それ以上の作品だった。

前回とは異なり、潜入取材であることを明かすこと無く(唯一、手配師には個別にインタビューするため路上生活終了後に明かしている)、しかしホームレスという人々に興味を持って接していたのが伝わってくる。
それは単純に、取材者として身の上話を聞いていたからだけでは無い。炊き出しの情報交換や、生活保護・年金受給者に対する彼ら自身の意見など、様々な他愛もない世間話にも、真摯に耳を傾けている様子からも伺える。

本著では都庁下→上野駅前→向島線高架下→荒川河川敷を約2ヶ月間に亘って移動し、路上生活を送る。著者からそこで暮らす住人に話し掛ける場合もあれば、向こうから話し掛けられる場合もある。
個性的なホームレスが何人も登場するが、一番最初に仲良くなった黒綿棒という人物が最も印象に残った。要するに統合失調症(かつASD?)なのだが、「えてして」「どうかすると」が口癖らしく、独特の口調も相俟って、彼との会話は小説を読んでいるような浮世離れした感じがあった。というか、実際、浮世離れしているのか。
好きなエピソードの一つ。黒綿棒から連邦警察に監視されている話を聞いた後、代々木公園にある、色んな人がまだ食べられる食料品を捨てていくスポット(というのがあるらしい)で、國友氏がジュースを全部貰っていこうとしたら、黒綿棒から制止される。「これも監視されてるんですか?」と訊くと「いや、徳が下がる」と言われ、心の中で「お前も他人のピザ勝手に食っただろ」とツッコむというところ。

黒綿棒は、誇大妄想が酷く、よく話すし、明らかに鬱陶しい。しかし色んなホームレス情報を教えてくれたり、「フリスビーする?」と誘ってきたり、なんとも憎めない性格なのである。
國友氏が上野に移った後、他のホームレスに伴われ都内各所の炊き出しツアー(これもいい話だった)を行った際、なんと黒綿棒に再会を果たす。「なんと」と言っても、ホームレスのコミュニティはそれだけ狭いということなのだろう。國友氏に会えて、黒綿棒がとても嬉しそうにしていたのは可愛かった。

勿論全員が全員そうでは無いが、西成と違って時間も自由に使え、食べ物にも困らず、それとなく金を稼げる(あるいは年金や生活保護を貰っている)ホームレスたちはクサクサしていないように感じ、一つ一つのエピソードの終わりには、いつも一種の爽やかさすらあった。
嫌な奴も何人か登場したが、基本的にみんな他人と会話したいのか、若い男の子に先輩風を吹かせたいのか、ただただ無害で親切な人が多かった。

普段生活していると、街中で知らない人間と話す機会なんてまず無い。話し掛けてくる人に対しても、即座に異常者判定を下してしまう。家の隣に住んでいる人の顔も名前も知らない。
しかし、ホームレス同士は、隣の住人だったり炊き出しの列の中だったりで会話し、情報交換する。それが面白かった。
あと、自由気ままに暮らすホームレスが多かったが、彼らに生活保護を受給させ搾取する貧困ビジネスや、ホームレス襲撃事件などの問題にもきちんと言及していた点もよかった。襲撃事件の中には、殺人や傷害事件として報道される以外にも、日常的に、酔ったサラリーマンから火のついた煙草を投げられることなどもあるそうだ。酷過ぎる。

著者も述べていたが、ホームレスがお腹いっぱい食べられる日本は素晴らしい国だと私も思う。
生活保護も含め、いつ自分がその立場になるか分からない。だから現状を軽率に「過剰支援だ」と断罪するのは、将来の自分や友人や家族の首を絞める行為になるかも知れない。そうならないとしても、一人一人が出来る範囲・やりたい範囲で、働いたり働かなかったりすればいいと思う。
私は、こういった形で税金が使われることに全く異見は無い。むしろ、福祉の精神こそ人間にとって最も大切なものだと考えている。

というか、生活困窮者の空腹が満たされたり、行政の支援を受けたりすることが、どうしてそんなに腹が立つのかが分からない。他人が幸せになると、その分自分の幸せが減るように勘違いしてしまっている傾向のある人は、本当に損をしていると思う。
誰かの幸福は誰か(主に自分)の不幸の上に成り立っている、という考え方もマジかよと思う。そういう、奪う/奪われるというギスギスした二元論のうちでしか世の中を見られない人は、正直怖いし視野が狭窄していると思う。

「◯◯は甘え」という言葉も嫌いだ。程度の差こそあれ、誰だって誰かしら・何かしらに甘えているじゃないか。それに働いていないからといって、路上生活や生活保護での生活が「甘えている」かというと甚だ疑問だ。
本著の最後、荒川河川敷で出会った「お父さん」との別れは美しく、青春の輝きのようなものさえ感じた。「お父さん」がその後、どのような人生を送っているのかは分からない。どういった人物であれ、他人の考え方を根本的に変えるのは非常に難題であり、ほとんど不可能といって差し支えない。どんなに誰かが援助しても、愛情をかけても、心配しても、最後の最後でその人自身が変わろうとしなければ、変わることは無い。
でも、著者が「お父さん」に話し掛けたことは、決して無駄では無かったと思う。妻に先立たれ無気力で孤独な路上生活を送る中、台風による増水で自分の存在を気に掛けてくれる人が居てくれたのは、単純に嬉しかったのでは無いだろうか。それで何か大きく変わる事は無いとしても、誰かの人生の中に嬉しいと感じた時間を増やしたという結果は、偉大で尊いことだ。とても良いルポだった。

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