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瞬き

幸せについて考えることがある。
中には自分のモノだけにしたいと言葉にしない人もいるだろうが、人は自身の幸せを語りたがる。共感して欲しいだとかアピールしたいだとか理由は様々だろう。自身の幸せを語るのは素敵なことであると思う。しかし稀にその幸せを否定する人間もいる。

「私はそう思わない」「そんなの逆に不幸」

何故自分の物差しで他人の幸せが測れると思うのか。幸せには人の数程種類がある、今であれば77億通りの幸せがあるだろう。大金を手にする事やテストで100点を取った事、好きな人と一緒に過ごせる事や中にはこのタイトルの歌詞にもあるように 大切な人に降り掛かった雨に傘を差せる事かもしれない。
そんな無数にある幸せを、何故否定出来よう。否定する権利は何処を探しても無いだろうに。

又、人は幸せを感じると高揚する。それに慣れてしまうともっともっと、とないものねだりをするように更に大きな幸せを求めてしまう。

「もっと」

こう感じている時点で充分幸せである筈だ。今忘れかけている足元の幸せに気付く事が出来た時、人はどれだけ幸せを身近に感じる事が出来るだろう。
私自身も 小さな幸せを、無数にある幸せを手にする事が出来るだろうか。こうして自身の考えを寝転がりながら文字に起こしている事が既に幸せであるのかもしれない。

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