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精神療法:コネクションよりコーディング

私は「人生とは」「生きるとは」を考え込むのが好きなので精神療法の「当事者研究」「オープンダイアローグ」は好きだけれども、一方的に喋りたいだけの人なので、プロの支援者と話すようにしている。

私のリアルな精神障がいの知り合いは「仲間が欲しい」「友達が欲しい」「友達が居ない」と会うたびに私に言う人がいる。(私はどうやら、その方のお眼鏡に叶う仲間で無いよう)さらに本を書く精神科医・支援者・仲間の力で回復した当事者が「仲間をつくれ~つくれ~」と発信するので「自分には仲間が居ない」と言う。

その考えは肯定するけど「仲間が大切」な人たちの中で
(リアルで近い人であるのが残念だけど)

コンピュータの勉強を一人でモクモクする私に対し
「友達が居ない寂しい引きこもり」
と私を下にみる人がいる

当事者の形も色々あった方が良いと私は思うけど

私はコンピュータに助けられた。
社会に出るためには、コンピュータの技術が必要だと思い、破格的に安いコンピュータ教室に通った。
ココロのビョーキ業界に長く居すぎたため、挨拶の仕方も分からず、人に言ってイケナイ事が全くワカラナイので最初は嫌われた。ただ、ここで技術を身に付けたいと言う思いはあった為、教室で自習時間があって、一人でモクモクやっていたら、褒めてくれる先生がいて、コンピュータ教室の生徒さん達にもお茶に誘われるようになった。
ワープロソフトで絵を描いていたら1人の先生にI「llustratorを使ってみたら」と言われて、やり始めた。その教室は無くなったけど、その当時にしては珍しいIllustrator技術習得の就労移行支援施設に入所でき、職員さんも講師の先生も学習に集中できるよう色々助けてくれた。
この経験はココロのビョーキの仲間たちに話した事は無い。

そして学習する中でコンピュータを使うには頭をクリアにする必要があることが分かって、そのためには出来るだけ散歩をした方が良いし、出来るだけバランスの良い食事を作った方が、私は良い成果が出るのが分かった。

結論
私の場合は仲間を作る事より、コンピュータでより良い成果物を作る時間に充てた方が調子が良いと分かった。「生きるとは?」を考える事は好きだけど、調子がよくならない。

そして、ココロのビョーキの施設の利用の仕方は変えないと
雑誌に載っていたadobeソフトを自習する場所に行ってみよう
合わない場所かもだけど。

仲間を重視する場所は、私には窮屈になってきた
そして私を尊重しない人の中に居なくて良い

「当事者研究」も「オープンダイアローグ」も好きだから時々はいい

私が、生活リズムを整える事が出来るようにしてくれるのが
コンピュータの技術なので
「コネクションよりコーディング」


今日の夕食「冷豚シャブ」

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