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第二、五回。小学生時代の記憶と僕の唯一のモテ期その1

執筆時点で雪が降ったので家から出れません。
どうもタカマル(@daru501)です。

とりあえず土日は食料的に大丈夫そうですが醤油がなくなりました。
買いに行かねば、でも雪が…どうしよ。


話は変わって本日は小学生時代の話です。

前置きとして先に家族というか父について軽く話しておきます
僕の父親はサラリーマンで転勤族でした。
しかも息子の僕から見てめちゃくちゃハイスペックで出来のいい親父でした。
そのハイスペックのおかげかもしれませんがうちの家族は実際何回か転勤してます。

これから話す小学生時代までの話は今の実家のアルバムの写真とものすごく朧げな僕の記憶に沿ってお話しします。

僕は生まれてから幼稚園入園までは親の会社の都合で愛知県にいました。

長屋的なところに住んでいて、くまのプーさんがすきだったようです。

いまは、プーさんよりはちみつの方が好きです。

幼稚園に入る頃には広島県尾道市という町にいました。

ざっくりいうと尾道市は世界の中心で愛を叫ぶのロケ地です。世界の中心で愛を叫ぶ見たことないけど。ラブコメ映画苦手なんすよね。


海沿いではありますがでっかい橋を渡ると因島(いんのしま)という島があり、そのでっかい橋はしまなみ街道の始点と言われてました(諸説あり。)。

いまではサイクリングロードも整備され、空き倉庫にお洒落な店もできたりとリノベーションの町として有名ではありますが、尾道市にいた当時の僕の感想としてはこの町はど田舎でした。

当時住んでいた家(三階建てアパート)の目の前にはファミマ(当時はサンクスだった気がする)があったのが唯一と言っていい褒めるべきとこで、家の近くのスーパーまでは微妙に遠いし、本屋は10分ほど歩かねば着かない場所でした。

電車の駅はめちゃくちゃ遠くで、ほとんど移動手段は車だったし、家に一番近いスーパーはめちゃくちゃしょぼいし品揃えがはっきりいうとしょぼすぎました。(うろ覚えだったけどスーパーというよりは昔ながらの商店だった気がする)

近所の公園は土地があるから無駄に広いのも田舎ポイントでしたね。

小学生入学からしばらくは毎日楽しく遊んでました。

家の近くのコンビニの隣に公文式という塾があり、母親のママ友が自分の息子を通わせてめちゃくちゃ勉強させてるという自慢話を聞かされた母親により、小学生になる頃には僕もそこに通わされてました。

当時の僕は無理矢理通わされてる感覚はなく、
週二回、放課後に公文式に行くことは生活の一部となっていましたという建前の元、当時の僕は毎月コロコロコミックを買ってやるというわかりやすいエサに釣られてました。

結果として高校二年生まで僕は公文式に通ってました。

最初入った時の僕はコロコロのおかげで謎にやる気がありました。

実際公文式に行って、自分がその日にやる課題を速攻で終わらせたあと、教室にあった公文式が出してる絶妙にダサい公文式から出てる知育系の玩具的なものをだして、帰宅時間まで遊んでました。


そんな感じで教室で遊んでる僕を見て先生は手を打ってきました。
で気づいたらぼくの課題がめちゃくちゃに増えてました。

今考えると当時の公文式の先生は賢く、
毎回少しずつ量を増やしていき、僕がその量でも早く終わらせられることがわかるともう少しづつ増やしていき、1か月経った頃には課題を終わらせる頃には帰宅時間になる絶妙な量になっていました。

最初から考えると三倍ぐらいの量になってました。

それのおかげで僕は高校卒業まで算数に困ることはなくなりました。

(でも大学数学からは訳がわからなくはなる)

長くなりましたので一回ここで終わりとします。
続きはまた今度。
次回も小学生時代の話です。

それでは次回、
「小学生時代の思い出と僕の唯一のモテ期その2」
でお会いしましょう。

最後までよんでいだだきありがとうございます。もしよろしければハートもお願いします。


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