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極景

17
夏目漱石「こころ」のオマージュ作品です。
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極景-17-

極景-17-

 ――極景――

 僕は、友人ひとりひとりに声を掛けて、打ち合わせをしたいことがある、と言った。誰も理由は尋ねてこなかった。都合を合わせ、ある友人宅へ集まった。
 僕の辿り着いた結論である先生の計画とその根拠を順追って説明した。皆、絶句したが、異論を挟む者は居なかった。友人女性のひとりが、翔一って、こんなだったっけ、まるで先生みたい、と言った。

 先生は、やるべきことを粛々と進めているようだ

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極景-16-

極景-16-

――ゼロから『1』――

 僕の元へ、出版社経由で幾つかの取材依頼があった。僕は乗り気ではなかった。語るべきことは、もう僕の手の元を離れ、物語上にだけ存在しているように思えたが、友人である編集者とお世話になった編集長の手前上、断りはしなかった。インタビュアーや記者の期待するような受け答えは全くできなかった。編集長は、それでいいんだよ、と慰めてくれた。君はモノ書きだ。書き続けることでのみ、伝わるこ

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極景-15-

極景-15-

 ――変遷――

 事件経緯公表の直後に、僕の書いた物語は公開され、少なくない数のメディアで取り上げられた。メディアの反応を細かく見れば表現方法は様々だったが、言っていることは、同情の余地はあるが法治国家に暮らす以上、相応の罰は受けざるを得ない、ということへ集約されているように僕の目には映った。
 一方、ネット上の反応は実に多様だった。
 匿名投稿の方々の非難めいたコメントは、容疑者を擁護する理

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極景-14-

極景-14-

#公開

 先生の事件を担当した刑事や検察官は優秀だった。家族三名を殺害したのが、その男性である事実には、かなり早期の段階で到達していた。先生は徐々に自白を始めていたが、捜査状況のほとんどは、五月雨式にしか公表されなかった。

 僕らはこの物語を友人のひとりが編集者として勤務する出版社で、書籍化することを計画していた。友人から編集長にはうちうちに打診をして貰っていたし、草稿には目を通して貰

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極景-13-

極景-13-

#沸点と氷点

 その日、田中刑司は、いつも通り終電で帰宅した。国会会期中はタクシーを利用せざるを得ない場合も少なくないし、泊まり込むこともある。彼は全国に六百万人以上居る児童の未来を案じているが、自らの娘ふたりの育児、教育に関しては妻に任せっきりなっており、家事においては全く力になれていないことへ申し訳なさを感じていた。

 妻は、長女を身籠った折に、官舎から一戸建てへの引っ越しを望んだ。

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極景-12-

極景-12-

#教育改革

 これは先生があるセミナーで講演を行なった内容を文章に起こしたものだ。実際の先生は始終丁寧な言葉を遣っていたが、短く纏めるために筆者が省略を行なったことを断っておきたい。

 先生は冒頭にこう述べた。
「まずお詫びしたい。一部の教員や教育委員会による苛めの隠蔽や助長が報道されることがある。それによって教育現場への批判があるのは承知している。しかしながら、大多数の教員は高い志し

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極景-11-

極景-11-

#想像力の集約

 谷田詠子からの連絡と、ほとんど変わらないタイミングで複数の友人から着信やらメッセージが届いた。誰もが動揺していた。なぜだかわからないが、彼ら彼女らの動揺へ、僕自身の精神や感情の類いには、全く呼応する様子がなかった。
 テレビに映る先生の表情をただ観察し、各種メディアの報道内容をインプットしていった。わかったのは、先生は出頭し、妻と娘ふたり、妻の勤務先の元同僚男性、計四名を

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極景-10-

極景-10-

#彼女の決意

「では、教育の話を聴かせて欲しいんだけど、翔一くんの体力は大丈夫?」
「今日の僕は調子がいいみたいだ。だから気に掛けて貰わなくて大丈夫だよ。詠子さんの娘さんに関係のあることの方がいいと思うんだ。いま、いくつだっけ?」
「五歳よ。幼稚園の年中さん」
「どんなことが聴きたい?」
「すごく漠然とした感じなんだけど、いい?」
「もちろん。答えられるかどうかは自信ないけど」
「当たり前

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極景-9-

極景-9-

#先生との問答

「私と翔一くんに共通する話を聴きたい。さっき罪という言葉を遣ったでしょ。私は自分を罪深い人間だと思っているの。それと翔一くんが最近は教育に関心を持っているって言ったじゃない?それって先生の影響を少なからず受けているよね。私には娘が居るから、その話も聴きたい。きっと参考になると思うの。纏めるとテーマは罪と教育かな。まあ並列するとおかしな感じだけど、私の中では繋がっているのよ」

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極景-8-

極景-8-

#告白 ②#

 活性化された脳は、もう痺れることはなかった。閉店の時間が気になったし、それよりもっと彼女の気力の残量が気掛かりだったから、残りの話は今度にしようか?と尋ねた。彼女は、それに答えず、
「翔一くんは、お母さんと弟さんとお友達たちに救われたんだね。きっと、自分はなんの力も持っていない、全てはその人たちが、もう一度立ち上がる環境を整えてくれたんだって思っている。でもね、私はこうも思うの

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極景-7-

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#告白 ①#

 僕は可愛げのない子羊で彼女は媒介者だ。ようやく告白を開始した。
 僕は掻い摘んで、できる限り事実へ忠実になり再現するように努めた。家族構成から始まり、国立の中学校へ通っていたこと、国立の特異性、先生との出会いと圧倒的能力と存在感について、突然訪れた両親の離婚のこと、母が仕事を始めようとしていたこと、環境の変化に順応できず僕の行動が制御不能に陥ったこと、先生はそれに気づいていたこ

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極景-6-

極景-6-

#支え合うということ

 随分と時間を掛けてホテルを出たから、外は既に薄暮の世界だった。時間は十七時を少し回ったところ。路地を彩る銀杏の葉は眩く、冬と呼ぶに少し早い、そういう季節だ。肌寒くはあるが、コートの必要さは感じない。僕は薄手のニット、彼女はニット地のストールを肩へ軽く掛けている。
 僕はいつも感じることがある。ホテルに入る前と出るときでは、その建物が僕へ与える印象が全く別のものになっ

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極景-5-

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#僕と谷田詠子

「最近さ、なにか変わったことってあった?」と谷田詠子は僕に尋ねた。今日の僕の振る舞いに、普段との違いを感じ取ったのだろうか。もう二年の関係だ、新鮮さはないが、それに因って沸き上がった欲を削ぐということはなく、慣れた手順を踏めば、互いが納得する結果になることはわかっているし、独り善がりにならずに済む。
「満足できなかった?」僕は率直に尋ねた。
「ううん。ごめん。そういう意味じ

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極景-4-

極景-4-

#僕と先生

 僕は地元の公立小学校に入った後、五年生頃になってから、中学受験を意識し始めた。学校の勉強はできた方だったが、地元の友達が少なくなかったから迷いはあった。そのまま公立中学校に入ってからも、そのときの感じで勉強していれば、それなりの高校に進学できる見通しとまではいかないが、根拠のない自信はあった。でも、環境を変えたかった。いわゆる普通で居たくなかった。いま思えば、ませていたし自意

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