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【基本】緊急事態に直面した時にNHK職員としてやるべきこと

この記事を更新している3月11日は、言わずと知れた東日本大震災の起点となった地震発生日です。最初だけ自分語りをさせてください。

東日本大震災、発災時点での私の業務

その頃、私はちょうどローカルからAKに出張して編集する前日でした。特にやることも無く、昼過ぎに起きて家で格闘ゲームの通信対戦に勤しんでいました。その最中に、地震が起きたのです。

「揺れが長くて気持ち悪いな」と思いはしたものの、震度4以上の緊急出動が要請されるレベルとは思えなかったので私はゲームを続けていました。

しかし、数分後に地震速報を見ると、確か震度7とか6が並んでいました。いや、局携帯に来た速報スーパーのメールで気付いたのかな?いずれにせよ、異様な状況だと分かったので、ゲームを切り上げて出局してみました。

それが15時10分ごろだったでしょうか。後は、皆さんもご存知の通り、ひたすら津波の映像が流れているのを見ているうちに、火が沈んでどこかのコンビナートの火災などが映し出された記憶があります。

私としては「これなら明日はAKまで新幹線で行くのは無理だな。1日編集開始を遅らせよう」くらいにしか思っていなかったのですが、事態が想像以上に深刻化していきまして、「そもそも番組なんか編集してて良いのかな?」という気分になってきました。

結局、ある意味では緊急報道よりも過酷な長時間労働を経て、1ヶ月半ほど番組の編集をしました。毎日毎日東館2Fで緊急地震速報と地震の中、Web配信されていたNHKニュースをPCの片隅で表示しながら編集・試写・ポスプロと過ごしていたのも、今になってみると異常だった気がします。

実は、NHKで緊急報道について体系的に教わる機会は無い

計画停電で電車が止まる中、実家からタクシーで放送センターに通ったこともありましたが、あれも異常な光景でした。

原発事故の全容も掴めていなかったので、怪しいガイガーカウンター付き時計を通販で買って持ち歩いてもいました。

と…… 思い出話はそこそこに、本題である緊急報道についてです。

見出しの通り、緊急報道について適切なレクチャーを受ける機会はNHK時代一度もありませんでした。

NHKの中にあったのは、あくまで体制表やその時の編成措置くらいのものです。「政見放送と地震が重なった時は、地震の方が視聴率が取れる、など邪なことは考えずに、AKからQF(*キューのF番、無理やり放送を取られるやつ)などが来るまでは落ち着いて政見放送を出しましょう」くらいしか私も習ったことはありません。

では、実際に、どのようにして緊急報道が出されていたのか?

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