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【裂地】船越間道

船越間道【ふなこしかんどう】

船越間道とは?

 古田織部の弟子・船越五郎右衛門景直または伊予守永景の好んだ名物裂。

 船越景直は淡路の国人。左衛門尉。船越家は細川淡州家の家臣であったが、細川淡州家が滅びると三好長慶の弟・安宅冬康に従った。景直はその麾下にあって水軍を以て仕え、重臣となる。庄田城城主。

 三好家が滅びると織田信長、羽柴秀吉の直臣となったが、勘気を被り南部信直に預けられた。のち、家康の取りなしで復帰、関ヶ原では東軍につき、旗本となった。

 伊予守永景は景直の子。

船越間道を買った理由

 数年前から、私が一番気に入っている青織部箆目肩衝茶入の仕覆を何にするかで悩んでいた。

 重文などの仕覆を修復されている三浦先生と縁があり、チャットをする機会に恵まれ、ご相談した折に「利休間道が合う」と言われたのですが、これはどうも私の好みに合わない。

 そもそもこの茶入は「遊びの物」であり、「間道がよい」というご指導に感謝しつつ、じっくりと探すことにした。

 日野間道は白薩摩撫肩衝茶入に仕立てた事があり、同じ仕覆はつまらない。あのときは考えもしなかったが、茶入と仕覆にも物語が必要なのだ。単に好むとなると「数寄物」にしかならず、次第とは到底言えぬ組み合わせになる。

 替え仕覆ならば数寄物でも良いかと思うが、主仕覆ならば、きちんとした物語を添えるものだと考えた。

青織部箆目肩衝茶入

 しかもこの茶入は作不詳で、畳付の雰囲気から膳所か京瀬戸かという感じがする。おそらくは近代物で、江戸のふるさは無い。完全に私の遊び(数寄)である。織部の絵はおそらく「吊し柿」であろうが、私は「焼き芋」と呼んでいる(笑) まるで火に焼べるのに串刺しにした串芋のようである。

青織部箆目肩衝茶入 作不詳

 私は裂地と菓子にそれほど強くない。まだまだ勉強中の身である。

 そんな私が船越間道に出会ったのはたまたまである。携帯電話スマートフォンの契約が2年満了となり、3000円のサービスチケットが手に入ったのである。

 このチケットにちょい足しして、毎回小帛紗(当流の書き方)を買っているので、今回も……と考えたのだ。前回は薩摩間道織留を入手している。そして間道を探していて、目に入ったのが船越間道だった。

 しかも冒頭に「古田織部」の文字がある。

 調べてみるとこの船越五郎右衛門、淡路の戦国武将である。なんという奇遇だろう。これに添わせる茶杓は淡路の天然記念物である「目黒竹」である。

町祖八種 藤村庸軒「乙酉小春」写 名「軽霜」

安住樂風作 藤村庸軒「乙酉小春」写 銘「軽霜」

 目黒竹というのは、節上の樋の部分だけが黒くなるという「芽黒」の竹で、茶杓史上三振りしか残っていない(宗旦・藤村庸軒・松花堂昭乗)といわれる珍しい材質。しかも、淡路島の洲本市にだけ生育している珍種の淡竹で、室井綽博士が発見、近年天然記念物に指定された。

 この内、藤村庸軒の「乙酉小春」という茶杓を安住樂風氏に作ってもらっていた。この「乙酉」というのは、正保二年で、小堀遠州が炉開きを城中でしており、その席に藤村庸軒が招かれている。その際に持参して褒められたという伝承のある茶杓である。それ故、この初冬を意味する「小春」という名を付けたのであろう。

 二つの繋がりを持った裂地なら、いい仕覆となってくれるだろうと期待が高まる。

 この場を借りて、三浦紫鳳先生に感謝を。


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