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別れ話

先月、6年間お付き合いした女性と別れた。

僕にとってはあまりに突然のことだったのだが、彼女にしてみたら割と前から心に留めていたことだったらしい。

言われてから気づいたが兆候はいくらでもあった。ここ半年ほど一緒にご飯を食べて帰るだけの日を繰り返していたし、身体の関係だってご無沙汰だった。

決断した理由は一言にまとめると「もうドキドキしない」ということらしい。
彼女も僕と同じ24歳だ。社会人も3年目になり、そろそろ周りも結婚しはじめた。
彼女はそんな中、このままこの人と付き合って結婚して、他の男を知らないまま生きるのだろうか、とふと思ったらしい。新たな恋を知るのは今がラストチャンスだと思い、悩んだ挙句の決断だったそうだ。


なぜかどうしようもなく納得した。
話はあまりに突然のことだったのだが、僕は意外なほどあっさり受け入れていた。
僕にも同じ気持ちが多少なりともあったからだろうか。そりゃ6年も付き合っていればドキドキなんてしないし、燃えるような恋ってものをもう一度してみたい気はする。
浮気や目移りもせず今まで頑張ってきたつもりだが、「頑張ってきた」なんて言ってしまう時点でもう何かを我慢していることは明白なのだ。考えていたことはお互い様だったのだろう。

それでも、その話をされたつい2週間ほど前、僕は本気で好きな気持ちを伝えたはずだったんだけどな。本当に「キミじゃなきゃダメだ」って、想っていたはずだったけどな。


別れ話をされてから数日ほどは、ひどく精神が不安定だった。
毎日違う友達と会って酒を飲み、愚痴を聞いてもらい、励ましてもらってなんとか復活した。
いつも殴ってきたり暴言を吐いてくる(もちろんそういうノリの冗談)友達が、急に優しくなって慰めてくれた晩には帰ったあと独りで号泣してしまった。
僕の6年間は何だったんだろうと虚無を感じていたのだが、積み上げてきたものの方が大きかったみたいだ。いざという時に助けてくれる友達がこれだけいるということが、何よりの証明だと思った。こんなにも周りから好かれている男を振るなんて、もったいないことをしたな、アイツも!!



その女性と、つい先ほど会ってきた。
僕の家に置き忘れた多少の荷物があり、捨てるのも忍びないし郵送するのも面倒なので、直接会って渡してきたのだ。

驚くほど僕の心は揺れなかった。
職場で会う同僚や後輩、実家の母や姉と相対したときと同じような、会うことが特別でも何でもない人と対面した時の気持ちだった。
1ヶ月も経つとこんなになってしまうのか、僕は薄情者なのかな、と悲しくなったが、果たして別れた直後に不安定に陥った僕も本当なのか、と疑問に思った。

別れ話をされた時、変に納得した僕は本物なのか?ほんとうはあまりのショックに耐えられなかった心が自衛しただけなのではなないか?
その後にひどく悲しんだ僕は本物なのか?何も感じていないクセに、「フラれた可哀想な自分」に酔って、友達に突然の出来事を自慢したかっただけなのではないか?
1ヶ月ぶりにその人に会って、全く心が揺れなかった僕は本物なのか?色々叫びたい自分を押し殺してカッコつけたのか?強いところを彼女に見せて、何か反応されるのを待っていたのではないか?

きっと本当の自分なんてものは存在しないのだと思う。仕事をしている時や友達といる時など、生きているうちで何かを演じていない瞬間なんてほとんどないのだから。どれだけ気心の知れた人といる時でも、「こう演じれば相手はこう反応する」とロールを担っている自分がどこかにいる気がする。

演じなくなることが幸せだとは思わない。演じた自分が求められているものにぴったりハマった瞬間は、この上ないほど心地いい。それが僕の居場所なんだと痛感する。
誰といる時だって、こうして部屋でひとり文章を書いたり、曲を作っている時でさえ、僕は複数の自分に分かれている。

強い強い一本の芯を貫き通せたら、どれだけいいだろう。
折れない心があれば、別れ話なんてされることもなく生きられたのだろうか。
だが僕はそういう人間になれないし、ならなくてもいい。
分かれたまんまで、生きていけばいいのだと思う。

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