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『セロリ』の話

育ってきた環境が違うから
好き嫌いはイナメナイ

ちょっと前に水戸のライブで世間をお騒がせしてた山崎まさよしも、こう歌っていた。
彼はセロリの好き嫌いを例にしてこの歌を書いたけど、もっと大きなすれ違いだって、イナメナイことがあるんだな、と最近思う。

前に、僕が大好きな作品として『小林さんちのメイドラゴン』について文章を書いた。
あの作品のテーマは「価値観の違う者同士のすれ違いと擦り合わせ」だ。僕が惹かれたのはまさにそのテーマだったわけで、自分も愛する人とどれだけすれ違いが起こっても、一緒にいるために擦り合わせるぞ、と思えたきっかけになっている。「小林さんちのメイドラゴン」はいわば僕のオリジン(原動力)なのだ。

だが、実際にすれ違いと直面してみると、全く思っていた通りにはいかないものだ。

彼女と少しだけ衝突があった。
そもそもの原因は完全に僕のせいであり、僕に否があることは明らかなので反省するしかないのだが、その原因をめぐったやり取りで、完全な価値観のすれ違いが起こった。

彼女にとって、口には出さないけど”普通は”こうするでしょう、と考えるその”普通”が、僕には全く欠如していたのだ。
決定的にその点が許せないから関係を断とう、という重大な点ではなかったが、彼女にとっては驚くべきことだったようだ。
僕もその”普通”の考え方は今までの人生で一回も浮かんだことがなかったので、ハッとしてしまった。

先に述べた『小林さんちのメイドラゴン』で、人間の暮らしを全く知らないあるドラゴンがリビングで排泄してしまい、「ここで排泄しちゃまずかったのか…」と何食わぬ顔で気づくシーンがあったが、まさにそれに近い事だった。

僕は不安になった。
この先長い人生、もし彼女と一緒にいるとして、同じすれ違いが何度起こるんだろう。
その度僕は彼女を傷つけ、不安にさせ、「なんで”普通”気づくことをこの人は気づかないんだろう」と、絶望させてしまうのだろうか…と。

もちろん彼女とは話し合い、原因と対策を真面目に分析して、同じことが起こらないよう互いに気をつけよう、と決めた。
しかし、僕には気付きようもない価値観のずれが、一体僕たちの間にいくつ隠れているのかは想像することすらできない。

そんな折、2人で街に出かけた。
ある事情があり、複数の店をまわって一つに絞るという選択をしなければならなかったのだ。
様々な選択肢から、2人の好みを出し合ってああでもない、こうでもないと話すのはとても楽しかった。あっという間に時間が過ぎて、気づけば夕方になっているくらいだった。

それまで見ていた店とは趣向を変えた、ある店に入ってみた。
世間一般では人気の場所だったし、実際に来店客は別の店より圧倒的に多かった。
僕は正直、ここは僕たち2人には合わない気がすると思っていたが、まず見てみないと始まらないし、実物を見てみたら意外といいかもしれない、と思ってとりあえず飛び込んだのだ。
入ってすぐに彼女は「ここはなんか違う気がする」と言って、5分もせず店を出た。

価値観や考え方の違いは誰にだってあるだろう。人間なんだから仕方ない、ましてや男と女だからしょうがない。
でも、今まで一緒にいられたということは、それ以上に価値観の合うことが多いからだし、それ故に「この人と一緒にいたい」と思う瞬間を重ねてきたからだ。そう思い直した瞬間だった。

そして、これから先僕たち2人にすれ違いが起こることはおそらく防ぎようがない。
それこそ、この文章を書くきっかけになったすれ違いなんて些細すぎて笑ってしまうほどの、大きな溝だってきっとあるだろう。
だけど、それを最小限にするための努力はできる。今までだって、話し合いをせずとも自然とそうしてきたはずだ。

何より大事なことは、原初の気持ちを忘れないことだ。
不安になって複雑に色々考えてしまうこともある。それでも、その奥底にある単純な気持ちは何なのか、それを考えれば、きっと前に進めると思う。

「イナメナイ」と言って始まるあの歌だって、こう締めくくられているのだから。

がんばってみるよ やれるだけ 
がんばってみてよ 少しだけ
なんだかんだ言っても
つまりは単純に君のこと 好きなのさ

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