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家を継ぐということ

やっと、やっと、手編みのカーディガンを完成させました!
ふぅ。やっぱり大変だったなぁ。と思いながら、編み物を始めたきっかけについて、思い出していた。

2014年のFacebookに、こんなことを書き留めている。

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突然、編み物をはじめた理由は、私の中に「家」を継ぎたいと思ったからです。
 
私の実家はサラリーマンの家庭なので、家業を継ぐということはありません。結婚すれば、おそらく名字が変わってしまうため、名前を継ぐということもありません。
 
家や財産といった形あるものは、もしかすると継ぐかもしれません。 ですが、形あるものは、いつか形なくなるものでもあります。
 
数十年後、両親がいなくなったときに、私は自分の中に家族の何かを残しているのだろうかと考えはじめました。
 
そもそも、家族の歴史とは何を継ぐことで、繋がっていくものなんだろう。
 
形がなくなってしまっても、受け継がれるもの。表情や仕草、考え方、そういったものも含まれるでしょう。
 
考えても答えが明確になることはないかもしれないなと思った時に、決めました。

両親から受け継ぎたいと思っているものを、ひとつずつ受け継ごう。

いつかやればいいやと思っていることを、今やろう。
 
母は、編み物やミシンがとても得意。
彼女は、いつもそれを誰かを喜ばせるためにやっている。彼女が作ったものは、不思議なほど、相手を笑顔にします。
 
そのことが分かった時に、なぜ母のまわりの人間関係が豊かなのか、その秘密もわかったような気がした。
 
編み物を覚えるのは、なかなか気合いがいります。
だけど、時間は、有限なのだ。
 
だから、今年、実家に帰ったときに、私は母に編み物を教えてくださいとお願いをしました。ちょっと嬉しそうな母の顔をみて、この決断をしてよかったと思いました。
 
いつの日か、形あるものがなくなる日がきたとしても、自分の中に「家族の記憶」を生かし続けられるように。

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2014年→2020年

あれから結婚をして、色々考えたけど名字は夫の名字を選択した。
旧姓の「おーしま」は、あだ名として、書くときの名前としては、残っている。

編み物は続けていて、昨年はマフラー、今年はついに初めて着るものを作った。

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三國万里子さんの「編みものワードローブ」より

編んでいる途中で、わからないことが発生すると、編み物合宿と称して、実家に帰り、母に教えてもらう。私が娘に戻る時間だった。

こんな日が来るとは、19歳で家を出た時、想像もしていなかった。家族のなかに居場所がなく、日常会話なんてなかったあの日々。

あるのは、緊張と怒りと、愛してくれ!という叫び。

満たされず手負いの虎のようになった私は、もう誰にも傷つけられまいと冷たく鋭くなることで、父と母に向かい合っていた。

それが今。家族でこたつに入り、母に編み物を教えてもらう。すごいじゃん。がんばったじゃん。上手だよって褒めてもらう。

褒めてもらったこと、なかった。
100点とっても、特別な賞をもらっても、一度も褒めてもらえなかった。

それなのに、編み目の揃ってないカーディガンは褒めてもらえた。なんだよ、もう。子どもの時に言ってくれよ!と少し思ったわけです。

でも、わかってしまった。
セーター1枚編むのがどれだけ大変か。
子どもの頃、母が毎年セーターを編んでくれたことが、どれだけ愛情深いことだったか痛いほどわかった。

お母さん。
あなたって人は、手先は器用だけど、とても不器用な人だったのね。

今、私には、子どもがいない。
年齢のことを考えれば、このまま夫婦ふたり暮らしの可能性が高い。

名前も継がなかった。
血筋もつなげられないかもしれない。

愛情表現が不器用なところ、うっかり継いでる気がする。夫よ、ごめん。気をつける。

編み物をはじめたおかげで、娘としての時間を取り戻した。そして、母からの愛情のバトンを受けとることができた。

母に似ていると言われて、ちょっと嬉しいと思える日が来るなんて。

過去や起きた出来事は変わらないけれど、その意味を再編集することはできると信じたい。

不器用な仕上がりのカーディガンは、大切な一着になりました。

父の不器用さは、こちら。





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