父の子育て:32年分一括払い
私が子どもだった頃、父はとても忙しく、家に不在がち。家庭のことは、すべて母任せのように、感じていました。
ワンオペ育児で、かつ扱いにくい子ども。(具体的な話はこちらをどうぞ)
母と私は何度も修羅場となり、孤立と自立を抱えたまま育ちました。
たくさんの問題を抱えたまま、20歳になった私は、全てを捨てたくて一人暮らしを始め、それから実家に全く帰らない日々が何年も続き、ようやく家族の再生を始めたのが27歳の時でした。
だんだんと「家族」になってきた。そんな感じ。
32歳のとき。
結婚を考えている彼(今の夫)を初めて実家に連れて行きました。
今まで私が自分のプライベートを話すこともなかったし、ましてや彼を会わせるなんて一度もなかったから、両親はさぞや驚いていたに違いない。
母は彼に話しかけたりと気を遣ってくれて有りがたかったが、父は眉間にしわをよせて黙々と食事をしている。やっぱりこうなるかと居心地の悪さに、私はさっさと帰りたくなった。
すると突然、父が彼にむかって、口を開いた。
俺は子育てをしてこなかった。
この子たちをここまで育てたのはお母さんなんだよ。
俺はこの子のことを全然知らないんだ。
別居(私が一人暮らし)してからの時間が長くて、この子がどう生きてきたか知らない。この子、(性格)厳しいだろ。特に俺には厳しいんだよ(笑)
「だけど、俺はこの子のことが好きなんだよ。本当に好きなんだ。」
そう噛みしめるように、私の隣にいる彼に話しました。
「別居」まさしくそうだったのだと思います。
仕事が少し落ち着いて、子どもと向き合おうと父が思った時、もうその時には、私は家を出ていました。
寂しさや後悔、ぽっかりとあいた場所。
そういうものを感じながら過ごしてきたのでしょうか。
父は、イクメンとは程遠い人でした。
仕事人間で、家庭では何もしない、昭和の古い父親だったかもしれない。
だけど、子どもたちを愛していないわけではなかった。
親の立場からすると当たり前かもしれない子どもに対する「好きだよ」の気持ち。
でも、私は父から言われて、はじめて知ることができました。
寡黙で多くを語らない父。
これらの言葉に、どれだけの想いが込められているのだろう。
「好きなんだ」
その言葉で十分だよ、お父さん。
その一言で十分「32年分の子育て」に匹敵するよ。
***
年末には、帰ります。
お父さんは知らないでしょうが、私、本当はよく喋るんだよ。
これからはお父さんが仏頂面でもお構いなしに、喋るから。
私がどう生きてきたか、聞いてもらうから、覚悟しておいてね。
それで、お父さんの日記に「娘、よく喋る。幸せそうで何より」とか書いちゃってよ。
子育てしてないなんて言わなくていい。私が許す。
だから、いつまでも元気でいてください。
娘より
\ありがとうございます!/ たくさんのnoteの中から読んで頂き、嬉しいです。ご厚意は、おいしいものとアートめぐりに。それを励みに犬づくり&エッセイがんばりますっ!