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メジャーじゃなかった心の病パニック障害【1】

初めての発症から現在に至る四半世紀。

病気であることを認めたくなかったぼくが
仕事、プライベートで人に隠し通してきた
苦悩などを書いて行こうと思います。


1.発症


今から25年くらい前、
バブル崩壊間もないころ、
某電気メーカーに勤務し、
内容のゆるーい出張が頻繁にあった。
あの頃の出張とは、
仕事2割で
8割は飲み食い観光であった。


そんなことを繰り返していたある時、

出張先から東京に帰る飛行機内で
急に激しい動悸に襲われ、不安に。

冷や汗、顔面蒼白、過呼吸は
はたから見ても
絶対に具合が悪いと思われていたと…

しかし
同行していた会社の先輩は、
横の座席でタバコを吸いながら
新聞を大きく広げて読んでいる。
(当時は座席で喫煙が出来た。)

こちらの異常には
気づいていない様であった。


しばらく耐えて
やり過ごそうとしたが、
いっこうに良くならない。

『なんだこれ、ヤバイやつかも…💧』

早く羽田に着かないかな…
そんな気持ちがどんどんと焦り、
状態は更に悪化していく。
もはや意識を失うのではないかと。

【子供の頃に貧血で意識を失なって
倒れた時に似ている。】
(…そう、
僕は小学4年のとき
卒業式の練習中に貧血で倒れ、
保健室に運ばれたことがある。
その後、教室に戻ると
『どーしたの?。大丈夫?』
と質問攻めにあい、
すごく嫌なキモチになった。
それ以降
人がどう見ているかを
気にする様になっていく。)

その時の出来事が、
この病に関連していると、
5年後くらいに病院で言われる。


座席で耐えていることに限界を感じ、

僕『トイレ行ってきます。』

先輩『おう。』

先輩は、1ミリもドキッとしてないようだった。

狭い通路を
まるで繁った草をかき分けるように、
座席の肩をつかみながら
トイレを目指した。

ところが、
通路を
ワゴンで塞がれ
通せんぼ。
スチュワーデスさん(現CA)による
機内サービス真っ最中であったのだ。

現CA「お客様、申し訳ありません
暫くお待ちいただけますか。」

僕『トイレ行きたいので通って良いですか?』
『気持ち悪いんです。』

現CA「あら!大丈夫ですか、今どきますね。」

僕『お水を下さい。』

現CA「はいどうぞ。」

僕『ありがとうございます。』
中身はウーロン茶であった。

狭い通路でのやりとり。
紙コップに入った
“ウーロン茶”
を手にトイレへ入室。

『なんだこの辛いのは、一体なんなんだ。』
トイレの中で自問した。
ワイシャツの襟まわりをかきむしり
悶え苦しんだ。
何ら処置をするでもなく
時だけをやり過ごした。

動悸も半減してきたころ、

ドアのノック音。
(お客様、座席におもどり下さい。)(お客様~)と。

症状は
すこし落ちついていたと思う。
もう座席に戻っても大丈夫だろうか。
なんとか凌げるだろうか。
そう思いドアを開け、
不安のままトイレから出た。

現CA「お水どうぞ。 大丈夫ですか。」

紙コップにはいった“水”を差し出してくれた。

僕『何とか。』
『ありがとうございます。』

座席では
先輩が窓の外を眺め
『ずいぶん長いトイレだったな。フフフ』
と後頭部で言ったのを
覚えている。

その日は帰宅後に初めての新車の納車であった。


…この先
あらゆる乗り物が、
どんどんダメになることは、
知る由もなかったのであった。…


つづく。

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