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メジャーじゃなかった心の病パニック障害【13】

【4】病気と付き合う(6)


ー 割りきれる勇気 ー

心の病気と付き合うなんて
誰もが最初は【嫌なこった!】
と思うでしょう。
それは自身が大した病気な訳がないと思いたい
反射なのです。

でも、後にわかるのです。
治るまでは
"しょうがない"
と割りきることが"大切"ということを。
コレができていたら、のタラレバを
書きます。

ぼくは、これがうまくできなかった。

病気であることを認めたくない。
このプライドが長きに渡りあり、
人に打ち明けることもできないできた。

その結果、人間関係においては
そんな事情はもちろん周知されていないため、
他人に理解されるワケもなく、
いずれ、ぼくの日常のしぐさ、振る舞いが
健常者と異なることが如実になると、
おかしいとか、変に思われるようになる。


誤った考えを持ち続けたことで、
ぜんぜん結果オーライにならない。

例えるなら
好きな子に"好きと"言えず、
成就しない恋を
後に、あの子オマエのこと好きだったんだって!
なんて報告されちゃう。
時すでに遅しの出来事に良く似ています。


プライドはそれぞれの価値観で
全く異なります。

とくに、ぼくが思うのは、
神経質で真面目で几帳面な性格の持ち主は、
"割りきる"までには
相当時間がかかるとおもいます。
ぼくがそうです。

自分が真面目な性格なんて
実は、自分では気がつかず、
時間をかけて
人から評価されて初めてわかるものです。

長く生きてくと
残念ながら結構損してます。


人からよく思われたい。
誉められたい。
モテたい。
嫌われるわけがない。
この思いから、普段の振る舞いは
肩に力が入った演技なのです。

幼少期から思春期にかけて
挫折や屈辱を経験した人は、
そこの部分が知らずに鍛えれている人が多いと思う。
だから演技などしなくても、
自身をさらけ出して、
おおらかに振る舞えるのでしょう。
「へっちゃら」は羨ましいのです。

社会人になったとき
イジメられるとイジられるを
どう捉えるか。
先輩や目上の人にからかわれた時、
イジられて光栄と思う人
イジメだ。ヒドイと捉える人
さまざまです。

こういった受け止め方の違いから
真面目な方のほうが、繊細なプライドの持ち主で、
"割りきれる人"になれるまで
相当な時間を要するのでしょう。



最近では、
この辺りの価値観の違いが
理解されたのか、ハラスメントの防止に
辿り着いてます。

ぼくの発病当時(平成初期)の環境下では、
パワハラなんて言葉もないし、
昭和スポ根時代を継承していた
頃合いであったので、
それが普通と理解していた。
弱音を吐くようなら
肝っ玉ちっちぇーなと言われる世でした。

この解釈から、
「気のもちよう」
「素質があるからしょうがない」
「たるんでるから」
このように捉えることが、
ボクの中では当たり前でした。
これにあわせるがために演じ続けたのです。

弱いほうは、自虐的に。
その反対側にいる人は
自分が一番!おかしいやつが変なんだ!
上から目線。
この2極化は、のび太とジャイアン
ぼくは、誰からも嫌われたくないために、
自分に素直になれないスネ夫のたち位置を
演じていたのだ。
これは正直疲れました。

現在においては、
その時代、その瞬間に合わせた考え方に
オリジナリティーがあり、
だいぶ変化してきています。
変われないほうが
淘汰されていく世の中になったと
実感し、心地よく思います。

ぼくは、なかなか考え方を変えられない
保守的な部分がありました。
でも、クスリの服用に対しての罪悪感は
どこかで少しずつ開き直ることができ、
女医の言う
『不安を起こさせないことが先決』を理解し、
自虐的から少しずつであるが
解放されていきました。
これも割りきりです。

少しずつでも割りきれることができ、
プラスにしていく事が大切なんだと思います。

この勇気欲しいですよね。

つづく。

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