見出し画像

父と祖母を亡くした25歳の時の話を書きます。【90日間の法則】後編

僕は、25歳の時に父親と祖母を癌で亡くしました。


前編はこちらです。

■父の癌の発覚


僕はその年、公務員試験を受けようと決め、薬品会社を退職したところでした。試験まで約半年間の勉強期間がある一方で、生計を立てないといけなかったから、居酒屋でのバイトや派遣でのバイトを掛け持ちしながら、昼は予備校、夜〜翌朝にかけて働く、というサイクルで生活していました。


睡眠時間は短かったし、貯金もなかった。毎日疲れ切っていて、この生活を長く続けるのはしんどいなって思っていたから、「絶対に半年で結果を出さないといけない」という危機感と焦りを感じていました。


この時はすでに祖母の膵臓の癌は見つかっていて、緩和ケア病棟に入院していました。時折お見舞いに行き、状況を見守っている状況でした。
その矢先、父の肺がんが発覚。2008年12月24日に父親からの電話でステージ3b、余命3ヶ月ということを知らされました。


祖母に続いて、父親も…


それからは、正直、勉強をする精神状態ではなかった。
予備校の授業も入ってこなかったし、暇があれば癌の治療法や生存率のことばかりを調べる日々でした。


後のない状況になのに、なんでこんなことが起きるんだろう…。
そんな気持ちをいつも抱えていました。


■はじめて見た、父の諦めない姿


父は、たぶん弱い人間だったと思う。
努力をしている姿は見たことがないし、お酒もタバコもギャンブルも好きで、いつも母と喧嘩をしていた。お金で困れば自分の親に頼っていたし、トラブルも多かったように思う。子どもながらに筋が通ってないな、って思うことも沢山ありました。


僕に対しては思いやりも優しさもあったけど、立派な大人かと言われればそうではないと思います。(ごめんな、親父)


父は、抗がん剤治療を進める中でどんどん弱っていきました。元々180cmの上背と90kg近くあった体は痩せ細り、見るからに苦しそうな姿を見せるようになりました。それでも複数の抗がん剤を試しましたが、残念ながら最後の方はほとんど効果は出ませんでした。


でも一つ言えるのは、


抗がん剤の副作用に苦しむ中、「生きること」に執着し、父は最後まで戦い続けたと思います。それが、はじめて見た父の「諦めない姿」でした。


■最後の言葉の意味


亡くなる数日前、車椅子に乗った父は僕を病室の外まで連れて行かせ、人目が無いことを確認して、泣きながら「ごめん」とだけ言いました。


今思えば、父の人生全ての感情が乗っかった言葉だったのかもしれません。当時の今よりさらに未熟な僕には、その言葉を十分に受け止めるほどの覚悟がなかったから、


「どうしたの急に?」「大丈夫?」
としか答えられなかった。その時、もっと感謝の言葉を伝えれば良かったな。



おそらくですが、父には後悔の念があったと思う。
病気になって以降の言葉の多くに、そんなニュアンスが含まれていることが多かったから。



もっと誠実に、もっと真っ直ぐ、もっと懸命に生きたかったように思います。


■生まれて初めてやり切ったのは、自分も。


抗がん剤の副作用と戦い、父の頑張る姿に後押しされて、僕は公務員試験と向き合う力をもらった気がします。


先日Xでポストしたとおり、半年間の最初の90日間で自分の「勉強の型」を作り、残りの90日間でその型で徹底的に勉強を重ねました。



父と祖母のお見舞いに行った病室でも、ほんの少しの隙間時間を見つけては勉強に取り組みました。もちろん、その他の移動時間も、お風呂に入る時間も、ご飯を食べている時間も全部勉強。気持ちは落ち込んでいたけど、気力は保てていたんでしょうね。


2009年の夏。祖母は亡くなりました。
公務員試験の合格発表は、祖母の告別式の日だった。


火葬場で、合格者の一覧を携帯電話で確認した時の記憶が鮮明に残っています。


先ほどは偉そうに「父の頑張る姿をはじめて見た」と書きましたけど、よく考えたら、自分自身もここまで徹底的に物事をやり切ったことはなかったかもしれない。


そんな自分の人生を左右する出来事が重なる中での戦いは、未熟な僕にとって大きなターニングポイントになったことは間違いありません。

■今生きていることの重さと幸せ


父は、その年の秋に亡くなりました。
余命3ヶ月と宣告。実際は、10ヶ月。3倍以上の期間を生き抜きました。


僕が「本気」「覚悟」「人生」という言葉をよく使うのは、この年に経験した大切な人との別れの影響がすごく大きいです。


人って簡単に死んでしまうんだな。生きたくても生きられない人生もあるんだな。という遥か遠い距離にあったはずの事実を、急に身近に感じたからだと思います。


今日生きているのは当たり前のことじゃ無いから、この心臓が動いている時間を、命を、大切にしなければならないと、25歳の時に心に決めたんです。


あなたは、全力で生きていますか?


僕は、あの頃の必死さで、今を生きています。


毎日眠いよ。
毎日疲れてるよ。
嫌なことも沢山あるよ。


面倒くさいな、全部投げ出したいな、って思うことも山ほどあるよ。


でも、たった一度きりの人生。いつ命が尽きるかも分からない人生。
せっかくなら、少しでも悔いの残らないものにしたいと思いませんか?


■最後に。

今回、ビジネスコンサルタントでもある僕が、この話を書かせてもらったのには理由があります。


最近、色々な方と接する機会も多く、様々な考えに触れることがありますが、「自分のために時間を使えていない人」が多い気がしています。


人目、しがらみ、妬み、僻み、過剰な忖度、見返り、上辺、他責、人任せ、依存…根が深いネガティブな感情に振り回されながら、貴重な時間までも失っているように思えます。


その時間を「必死で自分の為に充てて欲しい」。
あなた史上、今後の人生において一番若い瞬間は「今」です。


やりたいことは今すぐ本気でやらなきゃ損です。


やり切りましょう。
一緒に頑張りましょう。


それでは。