ビジネスパーソン【ショートショート #03】

 そいつとは、もともと職場の同僚だった。
「いまのご時世、手に職をつけなきゃダメだ」
 とかなんとか言って辞めた後、職業訓練校に通っていたらしい。なんでも国からお金をもらいながら、さまざまな技能を習得できる学校らしく、そこの建築設計コースを卒業して、いまは大工をやっていると聞いた。
 数日前、ひさしぶりにそいつのことを思い出して、連絡をとってみたのだ。そうしてきょう、このカフェで会う流れになった。

 約束の時間の少し前に着き、コーヒーを一杯やりながらそいつを待った。おれから誘っておいてだが、少々気がひけてきた。とくに仲がよかったわけでもなく、思えば職場以外で会ったことはない。それなのにどうしてそいつと会う気になったのかというとだ。実はおれ自身も転職を考えはじめていたのだ。いまのご時世だ、大企業とてどうなるかわからない。そいつなら何かいいアドバイスをくれるかもしれないと考えたわけだ。
 それに、もともとそいつの動向は気になっていた。ただでさえ、社内で一目置かれる存在だったそいつが、会社を見限って辞めたのだ。しかも大工を選んだ。ちゃんとした大学を出て、ある程度名の知れた企業にも務めたやつが行き着く先じゃない。そこにはきっと並々ならぬ理由あるはずだ。棟梁になって一旗あげるくらいのことではないだろう。もしか、そいつのことだから何か新しいビジネスの準備でも進めているのかもしれない。惰性で勤め続け、会社にしがみつくような連中に毒されてきたおれだ。そいつの野心にあやかりたいという気持ちも少なからずあった。
 ひとり物思いにふけるうちに、そいつはやってきた。店内に入ると、すぐにおれを認めて対面のソファに腰掛けた。 
「よお、調子はどうだ?」
 そいつは日に焼けた顔で、以前よりも少し体つきも屈強になったように見受けられたが、それ以外は相も変わらない様子だった。
「ぼちぼちだな、なにか頼めよ」
 まもなく店員が注文をとりにやってきた。
「同じものをひとつ」
 といって、そいつはおれと同じコーヒーを頼んだ。
 ひさしぶりに会って、しかもふたりきりだから、はじめのうちはぎこちない会話がつづいた。そいつが辞めてからの会社の様子はどうだとか、いまはどこに住んでいるのだとか、そんなようなこと。おれが聞きたいのは、いま転職すべき業界はどこかで、ひいてはそいつの構想しているビジネスの話だ。もし軌道にのりそうなら、右腕として便乗させてもらいたいとも考えていた。核心に踏み込めないもどかしさのなか、テーブルにコーヒーが運ばれた。

 そいつがコーヒーを飲もうと、カップに指をかけたときだった。おれは何か違和感を覚えた。照明の光に反射して、そいつの指が光ったように見えたのだ。
「ちょっと待て…」
 目を瞬かせて見入ると、どおりでおかしい。そいつの人差し指が金属になっていて、その表面には螺旋状の溝がある。
「おい、お前の指どうしたんだ?」
「どうしたって、これか?なんだ、手に職をつけただけじゃないか」
 そういってそいつはあっけらかんとしている。
 よくよく見ると、人差し指だけではないじゃないか。右手の残りの4本も、大小のドライバーやドリルなどの工具になっていて、どれも関節がなくなっている。さらには小指球のあたりがまるでノコギリのようにギザギザだ。
「手に職だって、まさか…。だけど合点がいったよ、それで手が工具になったわけだ。文字通り手に職をつけるなんて、なんともお前らしい発想だ。恐れ入った。だが不便じゃないか、私生活に支障がでるだろう」
 おれは単純な疑問を投げかけた。
「なに、マスターベーションができなくなったことくらいさ。あと鼻くそはほじりにくいね。だがそれと引き換えに、この手で家を建てられるようになったんだから儲けもんだよ。手刀で木材を切り、人差し指と中指のドリルで穴を開け、薬指と小指のドライバーでビスを打てる。親指のノミは穿ったり削ったりもできるんだ。大工だけじゃなく家具屋にもなれるな」
 そいつは自慢げに右手を見せびらかせてきた。そこで、おれはさっきからテーブルで死角になって見えない左手のことが気になった。
「ちなみに、左手もどうかしたのか?」
「お、察しがいいな」
 待ってましたとばかりに目を輝かせ、そいつは伏せていた左手を持ち上げながら言った。
 おれはその左手をみて、またも驚いた。フック船長ならぬ、ハンマー船長。手首から先が黒い鋼鉄になっている。一見するとサムズアップの形にも見え、もともと親指だったところの先端が二股に分かれ、おそらく釘抜きになっている。
「どうだ、すごいだろ?」
 そいつは得意げにそう言った。確かにすごい、それなら釘を打つことも引き抜くこともできる。やはり、何か新しいことをやろうとするやつは、考えることが違う。
 ところで、おれはそいつの今後の進展を尋ねるつもりだったのだと思い出した。
「両手に職をつけたお前だ、さぞかし順調なんだろう。だがまさか、このまま大工を続けるつもりじゃないだろう?」 
「よくわかっているじゃないか。実は、そろそろ次のステップに移ろうと思っている」
 やはりな、ただの大工で終わる玉じゃない。
「だが気が早いな、せっかく手に職をつけたばかりなのに」
 おれはそいつのはじめようとしているビジネスの概要を知りたくてうずうずした。
「いや、両立できることだから大工は辞めないよ。いまのご時世、足にも職をつけなきゃダメだろうと思っているんだ」
「なるほど、手の次は足というわけか。だが、足に職ってのはいったい…足で稼ぐ営業みたいなことか?」
「そんなもんじゃないさ。おれがいま目をつけているのは豆栽培だ」
「農業か、それはいいじゃないか。だが足と何の関係がある?」
「長時間歩き続ければどうなる、足に豆ができるだろう」
「なるほどねえ。つまり、歩くだけで栽培できるというわけか、名案じゃないか。お前の足でできた豆とくりゃあ、クセが強そうだ」
「きっとワインに合うだろう。チーズみたいな味がするとふんでいる。高級料理店と契約して珍味として卸すつもりだ」
「だが、足にできる豆なんか限りがあるだろう。大量生産はできないじゃないか。おれはてっきり、お前がビッグビジネスでもはじめようとしているのかと思ったが…」
「おいおい、ビッグビジネスをはじめるつもりなら大工になったりしないさ。いいか、いまのご時世、スモールビジネスをいくつも持つことが大事だ。これはリスクヘッジでもある。1つがダメになっても他にもいくつか食いぶちをもっておけば安心だろ。副業は多い方がいい。それに、衣食住を生業にすれば道端で野垂れ死ぬ心配もない。いざとなったら自分で家を建て、豆を食えばいいんだからな」
「そうか、確かにな。やっぱりお前は賢いよ」
「ありがとう。お前ならわかると思ったよ」
 そいつの話は実にユニークで才智に飛んでいた。そんな会話の中で、おれはある革新的なアイデアを閃いた。
「ところで、おれもいま思いついたんだ」
「おう、なんだ?」
「タコの養殖をやろうと思うんだが」
「ほう、どこでやるんだ?」
「おれの耳でだ」
「なんだって?」
「お前はいつも言っているだろう、『いまのご時世はああだこうだ』とな。おれはもうすぐ耳にタコができそうだ。どうだ、これもビジネスになるかい?」
「うむ、会社にいたときからお前には何か感じていたが、おれの目に狂いはなかったようだ。上からものを言うようで恐縮だが、お前にはビジネスの才能がありそうだ」
「お前にそう言ってもらえて嬉しいよ。いまのご時世、耳にも職をつけなきゃダメだろう?」
「これはいっぱい食わされたな」
 自分のアイデアを認められたところで、きょうの本題に差し掛かった。
「ところでだ、おれもちょうど会社を辞めようと考えていたんだ。お前を見ていて、あの会社で骨を埋めるのは確かにリスクがあると感じた。どうだろう、一緒に組まないかい?タコの養殖はおれ一人ではできない」
「いいだろう。おれの豆栽培も一人でやるより効率がいい。そうだ、お前にならおれの今後の構想を打ち明けてもいいだろう。おれは、ゆくゆくは全身でビジネスをやりたいと思っている」
「文字通り、ビジネスパーソンになるわけだ」
「まあ、耳のアイデアはお前に取られてしまったがな。だが、さっきも言った通り、ビッグビジネスはやらない。リスクは小さい方がいい。いまに限らず、どんなご時世でも、地に足をつけてやらなきゃダメだからな」
「お前の意見に100%賛成だ…ん、ちょっと待てよ。いま『地に足をつけて』と言ったか?」
「ああ、言ったさ」
「それだ。では、さっそく地に足をつけていこうじゃないか」

 おれたちは勘定を済ませ、すり足で店を後にした。



(了)


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