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意味不明なグリム童話『ハンスのトリーネ』が伝えたかった事とは

グリム童話に、『ハンスのトリーネ』というお話がある。

『ハンスのトリーネ』の知名度はあまり高くないと思う。
それもそのはず、この物語は、グリム童話の初版でしか取り上げられていないからだ。

第2版以降で削除された理由は、調べた限り不明だった。

これは私の考えだが、単純に面白みが薄く、教訓と言うべきものがない、という理由があるのではないかと思う。
何より、はっきり言ってこの話、意味がわからないのだ。


『ハンスのトリーネ』のあらすじはこうだ。

ハンスの妻・トリーネは、仕事もせず食っちゃ寝を繰り返す怠惰な嫁である。
ある日、あまりの怠けっぷりに腹を立てたハンスは、寝ているトリーネのスカートを短く切ってしまう。

昼過ぎに目を覚ましたトリーネは、ようやく仕事に出かけていく。
ふと、短くなった自分のスカートに気づいて驚く。
「こんなにスカートの短い私は、本当にトリーネなのかしら?」

自分で自分が何者かわからなくなったトリーネは、家に戻り、玄関先で家族たちに尋ねる。
「トリーネは中にいるかしら?」

家族たちは、トリーネはいつものように寝ているだろうと思い込んでいるので、「トリーネは中で寝ているよ」と答える。

それを聞いた当のトリーネは、「なあんだ、トリーネが中で寝ているなら、私はトリーネじゃないのね」と奇妙な納得をし、そのまま村を出て二度と帰らなかった。

「こうしてハンスは怠惰なトリーネとおさらばできたのだった」というのがこの話のオチである。


話の意図としては、怠け者でアホな嫁があわれにも旦那に捨てられた、という笑い話なのだろう。
連発される「トリーネ」のゲシュタルト崩壊や、不条理な展開の面白さという要素もある。


完全なる妄想話だが、私はこの話を読んでこう思った。

夫に家を追い出され、村を出て、新しい生活を始めたトリーネは、それなりに居場所を見つけ、意外と幸せにやって行くのではないか?と。

根拠は、トリーネが女性であることだ。
女性には、ライフステージによって次々に変わっていく環境に、なんやかんやと順応していく能力が備わっている。

それまでの「ハンスの妻で、スカートの長いトリーネ」という環境から、「独身で、スカートの短いトリーネ」に変わったことで、それまでより自由で幸せになっていてもおかしくない。

また、トリーネ自身も怠惰な自分に飽きていて、また夫婦生活や家族関係に疑問や行き詰まりを感じていたとしたら、夫・ハンスによるスカート切り裂き事件は彼女にとって『渡りに舟』な出来事だったのではないか。

「あ、やっぱり私の居場所はここじゃなかったのね。前から薄々感じていたけど、これではっきりしたわ。こんな家さっさと出て行って、自由になろうっと」なんて、ウキウキで家を出たのではないか。
女というのは、それくらいの強かさを標準装備している。

案外、トリーネを追い出したハンスの方が、「あんな嫁でも居ないよりマシだった」と、あとになって喪失感や後悔に苛まれていたりして。
「男やもめに蛆が湧き、女やもめに花が咲く」ってやつだ。

・・・・なんて、私自身が怠惰な主婦なので、ついトリーネに肩入れしてしまう。

でも『ハンスのトリーネ』は、不条理な滑稽話であると同時に、女のアイデンティティーを描いた物語である。

「私は誰?」

その問いに、「私はトリーネではない」という答えを出したトリーネは、「トリーネではないトリーネ」になる権利を得て、新しい人生を自分の手で作って行ったのではないか?と、私は願望混じりに想像してしまうのである。

そんな風に捉えれば、結構、含蓄や教訓のある物語のような気がしてこないだろうか。

『ハンスのトリーネ』は、『初版グリム童話集 : ベスト・セレクション』(白水社)などで読むことができる。気になった方は是非手に取ってみて欲しい。


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