たつき諒さんの『私が見た未来』をどう読むか
夢日記を書いている者として、また夢世界の観察を趣味とする者として、たつき諒さんの『私が見た未来』を避けては通れないだろう。
『完全版』の出版はずいぶん話題になっていたし、興味はあったのだが、“流行りモノ”の意味を強く感じてしまい、逆張り人間の私はどうも食指が動かなかった。
――のだが、今月に入って「読んでみたいかも…」という気持ちになったので、ついに先日『私が見た未来 完全版』を手に取ってみた。
だいぶ時期を逃している気もするが、ここに感想などを書き留めておく。
予知夢は特別な現象ではない、とはいえ
『私が見た未来 完全版』には、夢を題材とした漫画がいくつか収録されている。
『夢のメッセージ』では、夢が現実を予知していたかのような、不思議な体験が描かれている。
表題作の『私が見た未来』では、『夢のメッセージ』で取り上げられたエピソードをもう少し詳しく描いていて、さらに、後の東日本大震災を思わせる「津波」のイメージも詳細に記している。
99年に出版された『私が見た未来』が最近になって話題になったのは、津波の場面に加え、表紙に「大災害は2011年3月」という文字が書き込まれていたからだ。それが「東日本大震災を予言していた」として大きく取り上げられた。
この日付も、たつきさんが夢で見たものであるという。
夢が未来を先取りした場面を見せることについては、私は何の異論もない。
漫画に描かれていた「ミュージシャンの死を的中させてしまう」とか「事件のあった場所を、そうとは知らずに繰り返し夢に見る」などのエピソードについては、そこまで驚くことでもないと思っている。
未来のイメージの断片であれば、多くの人が日常的にキャッチしていると私は考えるからだ。
(この辺のことは、「予知夢についての私見」という記事に詳しく書いた)
たつきさんのすごい所は、時期(日付)を的中させていることだ。
ここまで具体的だと、夢も単なるイメージではなく“メッセージ”であると思わざるを得ない。
これがあることによって、夢に「人々に危機を知らせるための情報」という意味が加わっているような気がする。
2025年に来る「本当の災害」
しかし、『完全版』の中でたつきさんは、「漫画に描いた大津波は、2011年の出来事ではないのかもしれない」といったことを話している。
なぜなら、その夢の中での季節は夏で、さらに津波の規模も、東日本大震災よりさらに大きいものだったからだ。
つまり、表紙に描かれた「大災害は2011年3月」と夢で見た大津波は、それぞれ別個のイメージだということになる。
では、漫画に描かれた「大津波の夢」は、いつの出来事を予知したものなのか?
あとがきによれば、それは「2025年7月5日午前」であるという。
たつきさんが2021年に見た夢に現れた日付だ。
夢は現実の予行練習でもあるから、こういった夢を通して、人々に「災害が起きる可能性」を見せている、あるいは大津波に象徴される“何か”が起きることを人々に知らせているのだろう。
その中でも、具体的に日付の入った夢を見たのが、夢の内容を広く発信できる「漫画家」という立場にあるたつきさんであることも、意味深長に感じないだろうか。
「大津波」が現実にどのような形で現れるかはわからないが、この夢からのメッセージ性を強く感じずには居られない。
『私の見た未来』が示す心の在り方
『私の見た未来 完全版』には、予知夢を扱った作品や夢日記の解説と併せて、心霊現象などをテーマとしたたつきさんの過去作品も収録されている。
これらは、目に見えない世界が「ホラー」「怪奇」として描かれていた。
しかし、本を一冊通して読んでみると、今は目に見えないものを「不思議」とか「怖い」「うさんくさい」と思うフェーズを過ぎて、「そこに在る」ことを前提にしなければいけないのだろうな、と思わされる構成になっている気がする。
たつきさん自身による解説パートが、目に見えない世界と現実との間をさらりと取り持ってくれているので、通読するとよりその感覚が腑に落ちる感じがした。
また、本筋に関係ない所かもしれないが、『冥界の壁』というお話の中にあった、「心を和ませて軽くしてあげれば霊界に近づける」というセリフにピンと来るものがあった。
私も最近、やたらこの「心を軽く」という言葉がぐるぐる頭を巡っていた。多分、大事なキーワードなのだろう。
うまく言えないけど、この本は「心を軽く」というあり方を、様々な角度から伝えているのだと、直感的に思った。
もう多分、心霊とかオカルトとかスピリチュアルとか、我々の生きている世界は、そういうことを言っている場合ではないのだ。
まとめ
『私が見た未来』という本は、災害を怖がらせる意図とか、作者が自身の霊感を誇示したいとかいうわけではなく、「目に見えない世界は間違いなくあるって、みんなわかってるよね?これからはそういう世界もひっくるめて受け入れて、心軽く生きて行こうね」というメッセージを孕んでいるのではないかと思う。
だいぶ曲解かもしれないが、私にとってはそういう受け取り方の出来る本であった。
いずれにしても、令和の世にこの本が出版され話題になった意義は、「災害予知が当たるか当たらないか」とかいう卑小な次元ではないはずだ。
私はこれからの日々を心軽く生きて、2025年の災害の後に訪れるという「ものすごく輝かしい未来」(本文より)に順応できる人間で居よう、と思っている。
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