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対談記録No.4 自己否定という合理的な思考停止

昨日は19歳のメンヘラの女の子と話す機会をいただいた。Twitterで僕から営業をかけて仲良くなったので対談をする運びとなった。

その記録を書き留めておく。



思考が雑

彼女のクセはいくつかあったけど、もっとも特徴的なのが自己否定だった。

メ「わたしがわるいの」

だ「なんで?」

メ「わかんない」

だ「どこが悪いの?」

メ「んー、わかんない。ぜんぶ」


働いていない自分には価値がない
→こんな性格の自分には魅力なんてないし、友達なんてできるわけがない
→わたしがぜんぶわるい
→だから死にたい

おおよそ、彼女の言っていること内容というか、論理の組み立てはこんなかんじで、めちゃくちゃ答えが雑だった。

「なぜ?」「どこがわるいの?」と聞いても具体的に何が悪いのか言うことができなかった。


僕は話を聞いていって「思考停止とは、バカにとってすごくラクだからやるものなのではないか」という問いがわいてきた。

というのは、彼女をバカにしているわけではなくて、これはたんじゅんに僕自身の経験からくるアイデアだった。

僕自身が不健康で最悪に認知もバグっていた時に、身体も認知もぜんぶがクソすぎて、しかもそのせいで元々わるいあたまがさらに悪くなっていたので、ものごとをかんがえるよゆうがまったくなくなっていたから、それで思考を無理やりに終わらせることがおおかったからだ。経験者はかたる。

だから、たぶん彼女もそうなんじゃないかな、と。


どんな人生

彼女の人生のおおすじを聞いていくと、それに納得がいった。

①OD

きっかけは不明だが、高一から風邪薬のODをやりはじめ、これを飲まないとやる気が出ないからと飲み続ける。カフェインが大量にはいっていて、他にもいろんな成分が入っている。これを一日に何本も飲むので、おそらくものすごく不安を感じやすいような状態になっている。だから、それがすべての行動に影響をおよぼしている。


②恋人・友人関係

高一でいまの彼と付き合い、ほとんど彼氏とだけ過ごすような生活をしていた。だから友達がいない。作り方もわからない。関わり方もよくわからない。彼との距離感の近さが、人間関係で快楽を感じるためのベースとなっていて、大人が距離感を持って関わる中で楽しむという作法ができない。

そしていまその彼氏とも仲が悪くなっている。


③家族関係

親は離婚していて、父親と妹と一緒に住んでいるが、父親からはお金をもらう時以外は話をしない。

妹がいるが仲が悪くラインすらつながっておらず、同棲しているが話すらしない。

母親とはこないだケンカして「わたしのことをロクにわかってないくせに!」みたいなのとをいってしまい、それ以降はなしていない。



つまり、OD(おもにカフェイン)によって身体の健康が失われていて、それに伴って認知もゆがみ思考がロクにできなくなり、考え込むとさらにつらくなるので思考停止している。

すべての人間関係や自分の尊厳を彼氏に一極集中で依存していて、彼氏とのコミュニケーションだけに快楽を見出してきたから距離感を保ちながらコミュニケーションをして快楽を得ることができず、またじぶんから話しかけて仲良くなったりもできないので友達がひとりもいない。

人間関係のベースとなるはずの家族関係も、彼氏との関係に依存していたことやODの影響などで完全に崩壊していて、前なら彼氏の元に帰ればよかったが、彼氏に拒絶されているいまでは帰ることのできる人間関係がどこにもない。

と、おおよそこんな感じだろうか。


どこにも居場所がなくなって、だれかと仲良くなる力もなく、よりどころがなくなったいま社会的な価値を求めようとしても働けるような状態にないので自分には誰にとっても価値がなく社会にとってもいらない存在で、だから死にたい、と。


子どものままでいたい

自分で試行錯誤をくりかえしてきた人間には、誰かと関係を作る力がある。何が悪かったかを具体的に考えて、行動につなげていく力がある。それのくりかえしで自分の生き方というものを見つけていく。

だけど、おそらく彼女はすべてを彼氏との関係につぎこんでしまった。その関係性というものは、どんな関係だったのかはわからないが、彼女の言動を聞くに、男が主体となり女は受け身でただ与えられるだけ、という感じで、ワガママもそれなりに許される環境だったのだと思われる。だから、他の関係性に快楽を見出せない。

「ありのままの、こどものままの自分」を受け入れてくれる人間だけが、自分を愛してくれていると実感できる。それがないと生きていけない。彼女はそういう状態なのだと思う。

友達と話していても、どうでもよければどうでもよいほどに気を遣ってしまい、うまく楽しめないのだという。これは彼氏との関係にすべてをつぎこんできた後遺症なのだろう。ざんねんながら手持ちのほぼ全財産をつっこんだ万馬券は当たらなかったのだ。


だから、思考停止して何が悪いとか考えて自分で何かを変えていくことができない。ただ、他人が何かを与えてくれるのを待っている。そういう生き方をしてきたから、試行錯誤に乗り出していけないのだ。

そして、先ほど述べたように、試行錯誤をしていくことやある問題の根本を問うていくことは、健康がないとむずかしい。ODをしていたら正常な状態ではいられないから余計に難しい。


思考停止は合理的な選択

だから、彼女が根本を問うていかないのは、これまでの生き方がそれでうまくいっていたからというのもあるが、やはりラクだからそう選択しているのだと思う。

もちろん、彼女のはいまものすごく苦しい。苦しみから解放されたい。でも余計に苦しみたくない。でも色々と考えると、最初に書いたような自己否定の思考のループに入ってしまうし、何が正しいのかこれまで試行錯誤を繰り返してこなかったから何もわからない。

だから、現状維持をしてこれ以上余計な苦しみを味合わないために、合理的な選択として「思考停止」を選んだのだと僕は思う。



僕が提示したこと


僕が提示したのはふたつ。

1.ともだちをつくろう

2.ODやめて散歩しよう



ともだちをつくろう

最近は某浮浪者と某コミュニティの影響で「ともだちをつくろう!」という流れができてきている。僕もそれに納得しているので(洗脳された)、すこしずつ他人とコミュニケーションする機会を増やしているところだ。

彼女と話したのも、個人的に縁をつくって話して、色んな人のことを知り、自分や他人、人間のことを知って受け入れていくためだ。納得していくためだ。


彼女のように自分の話をまったく聞いてもらえないような状態、試行錯誤もできない状態になる前に、そもそもともだちがいて楽しくやっていけていれば、そんなことにはならなかったと思うのだ。僕は友達がめちゃくちゃいた時期もあるし、まったくいなかった時期もあるので経験的にわかる気がする。

だから、とりあえず通話アプリとかで誰かに話を聞いてもらうようにするとか、少しずつ他人とコミュニケーションすることになれていこうと言っておいた。

彼女のいまの生き方的にはこれはなかなか心理的にむずかしいことだとは思うけれど、他人とのコミュニケーションの中に自分なりに快楽を見出していけるようにならないことには、社会と関わっていくのはむずかしいから。

親や彼氏のような「甘えさせてくれる誰か」を見つけるのではなくて、「お互いが自立していて一緒に歩んでいける誰か」が見つかるといいね。僕はそういう人を友達にしたい。


ODやめて散歩しよう


元々カフェインが大量に入った風邪薬かなんかを飲みはじめたキッカケが思い出せないらしいのだけど、それはともかく現状はカフェインをぶちこまないとやる気が出ないと言っていたので、脳みその中がそういう依存症の構造になっており、ヤクブーツを摂取しないと脳が回らなくなっているのだと思われる。

だが、そもそも人間ってのは、朝に散歩をして、外の景色やにおい、いろんな方向から聞こえてくる音なんかを聞いていれば、脳みそは自然に起きてくる。

だけどその経験がない人間からすると、これまで頼っていた方法にすがりたくなる。彼氏にすべてを依存している人間関係・コミュニケーションで快楽を得るための構造とおなじで、ODでしか覚醒できないというふうに思い込んでいる。

だが、ヤクブーツの依存というのは、やればやるほどに効かなくなっていくものだから、持続性がない。

だから、まずはODをやめること。そして、朝は散歩をして脳が自然に起きるようにしていくこと。


カフェインとうまくつきあう


ODはよくないけど、カフェインはそんなに悪いものじゃない。

毎日のように連用し続ければ耐性がついてきて、効きが悪くなっていくけど、まずは1ヶ月かそこら完全にカフェインを断てば元に戻るらしい。

そして、これは僕の個人的な方法なんだけど、10日以上あけてカフェインをとるようにすると、効き目が最大化される。

風邪薬はなんか色々成分が入っててよくなさそうなのでやめた方がいいと思うけど、コーヒーとか錠剤のカフェインなら、そうやってうまく付き合っていけるようにすればとてもいいものだと思う。


そもそも試行錯誤が足りない


だが、当たり前だけどこれで根本的な問題は解決しない。根本的な問題ってのは、自分で問いを立てたり、人と話していく中でどうにか自分で納得できる答えを、より良いと思われる答えを探してやっていくしかない。

そのためには試行錯誤が必要で、その足掛かりがこのふたつの提案なわけだ。だからこれですべてが解決するわけはなくて、ただ納得しやすいように僕が知っている中でゴールを無理やりに設定しただけにすぎない。

結局、じぶんで試行錯誤して、納得していくしかないのだ。苦しんでいる時に「もういやだ!」と投げ出そうとするのではなく、「なんでこうなったんだろう…?」とその苦しみすらも興味の対象となるくらいに試行錯誤を深めていくしかない。


感想


めちゃくちゃおっさんくさく説教くさい内容になったのだけど、彼女との対談を通して、過去の自分を見ることができたし、自分がどうやって変わってきたのかを振り返ることができたのですごく良かったなと思っている。

ウルトラ金持ちとの対談記録のような感じで「まさかそんな人生があるなんて!」という話をもっと聞いていきたいという気持ちがあるけど、この対談もそれと同じくらい僕には有意義で良い対談だった。


ということで可能な限りほぼ毎日、対談する相手を募集しておりますので、話を聞いてほしいって方や、僕と話してみたいなと思った方がいたらこちらを一読してからTwitterの DMまでお願いします!

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