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体験談|鬼が何匹殺されている

西武断酒会 村中正義

16年前、私の酒が止まらなかった時に、我が家で次女が奥さんに「お母さん、今日鬼が三匹殺されてました」と報告しているのが、私の耳に入ったのです。最初、私は何でこんな会話をしているのだろうと思っていただけでした。しかし、次の日も・・・次の日も、同じ報告を次女が奥さんにしているものですから、さすがに酔った頭でも考えたら、私が一日の最後に飲んだ酒を捨てたのを、次女は見つけ、その数を数えて奥さんに報告しているんだろうということが理解できました。
私自身その時信じられなかったのは、どうしてあの場所を見つけられたのだろうということでした。なぜなら、マンションのエレベーターの後ろにある階段の壁・高さにして1m20cm位ある高さの壁と壁のすき間に捨てていたのですから、それを見つけるには壁を手をかけてよじ登って下を見なければ分からない様な場所であったのです。
当時私は仕事をしていました。職場は三鷹の山中にあったため、所定はバス通勤になっていました。その通勤手当(=18,000円)を誤魔化すために自転車通勤をしていたのです。
仕事は8時半から16時まででした。アルコール依存症を告知されたら後ですから、酒を飲んだら止まらず、当時は仕事が終わった後、直行でコンビニに走り鬼殺し2パックを買って、通勤途中にあるグリーンパーク遊歩道のベンチでストローを差し込んで飲んでいました。
40分の通勤時間があるのですが、飲み終わった後自転車で帰宅するため、20分経ったら、また酒を飲みたくなって、コンビニに寄り2パックを買って、また飲むのです。
そして家の近くになると、このまま帰ってしまうと飲めなくなるということで、最後にコンビニで3パックを買います。それを家のマンションのエレベーターの前で一気に飲むのです。飲み終わった空パックは後ろの壁のすき間に全て投げ捨てていたのでした。
その結果として、次女が奥さんに「今日鬼が何匹殺されてました」という会話につながるのでした。
私には3人の子供がいます。私が酒を飲み、それが見つかり会社をクビになった時は、長女が23歳、長男が21歳、次女が19才でした。当然、皆一人の人格を持った大人でしたから、私が酒で会社をクビになってからは、家から「おとうさん」という言葉がなくなり「おっさん」になってしまいました。上の2人は私を無視しましたが、次女だけが私をかまってくれました。私が酒を止める気がなかった時は、抗酒剤も飲もうとしませんでした。その時我が家では、長男が私を羽交い絞めにして、次女が私の足をおさえ、長女がスプーンに抗酒剤(=ノックビン)を水でといて、奥さんが私の口を開け、長女がスプーンを差し入れて抗酒剤を飲ますということをしていました。そこまで家族がしてくれたのに私は何も感じず、酒は止まらなかったのです。ただ、そういうことも思い出せるのは断酒会に通い続けた結果だと私は思っています。長男が奥さんに「俺たちがあんなに酒を止めてくれと言っても酒を止めなかった親父が、他人の集まりの断酒会に通うようになったら酒が止まった。それを思うと悔しくて仕方ない」と言ったそうです。それは事実ですが、付け加えなければならないのは、私自身が酒を止めたいという思いから、断酒会を通ったということです。それが本質的な理由です。


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