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伊予柑日記 強さとは何か

(※これは2023年12月のログです)


強くなる!

ここ3年の自分のテーマが「生き残る」「健康になる」だったが、今後は生き残るために「強くなる」「ともだちになる」がテーマとなるんだな。父性の時代。

つまりこれは目的と戦略であり「金と時間の使い道」の話です。法と倫理を失った蛮族が暴れるようになったので、金と健康だけでは自分や仲間の身を守れないので、強さを目的にせざるをえない。

このスラムは「健康」を目的にしています。人々があつまって仲良くするときに、その集団の共通善(共通の利害)は何? というときに「健康」が良いなーとおもって決めたからです。

今後、「強さ」というのが実験テーマとして個人的に加えようとおもいます。来月から人間研究所は「強さ研究所」に改名します。明るさも強さですし、睡眠力も強さです。文章力も強さですし、美しさも強さです。強くなる!

スラムで健康にいきるための方法論を3年かけて探したように、強くなるための方法論を探したいぜ。まずは「健康になれ」なんだが。健康になった次はどうやって強くなるか。とりあえず「大掃除をする」「年賀状を出す」が強くなりたい人の今月のミッションです。

世の中の変化

「まともな人」が「法も倫理も経済合理も無視して、友敵関係だけで真っ直ぐ動く」というのを目の当たりにして、これ、今後増えるなと思いました。ロシア軍人が「ウクライナの家なので略奪ok」とほぼ同じ世界観。

「いやいや極端な例でしょ!」というのが、たぶん今後2年かけて静かに増えていって、当たり前になります。誰も理解できない侵略戦争が当たり前になってしまったように。

わかりやすいTwitterだと「フォロワー数50万いると深刻なストーカーが生まれて生活がマジで大変になる」から「フォロワー数1万でストーカーが生まれる」くらいになる。

https://twitter.com/Nintendo/status/1732694410276802658

暴力、こんなかんじです。金や信用があっても暴力に負けます。強さとは「暴力にあわない、暴力にあっても生き延びられる」力のことです。

弱肉強食の暴力時代

「個人で生き延びよう。俺は金があるから大丈夫」みたいなのもう終わったというかんじです。これからは「ともだち」の暴力総量の時代。

今後「社不」とか「発達」とかの用語も使わないほうがよくなります。「私は弱い」宣言をするメリットがない。誰も可哀想だとか思ってくれなくなる。「弱いんだね。じゃあ私にとってはリスクだね。バイバイ」っていわれる。

下半身不随のかたが生きていくためにはコミュ力がなければいけないように、今後「明るさ」が強要されます。友達がいないやつは「友達がいないんだ。じゃあリスクだね。バイバイ」とさらに友達ができなくなる。

わりと「アクト・オブ・キリング」と「七人の侍」の世界になってきました。課題図書としていまいちだったのに、預言書だったw

おそらく日本は「法治国家的なクラスタ」と「万人の闘争クラスタ」に分かれていくはずです。金とか生まれとかも大事なんですが「万人の闘争クラスタには近寄らない、近づいてきたら逃げる」が最大優先だとおもう。暴力団との付き合いと一緒。なので「Twitterをやっているだけで面接スコアが落ちる」とか普通にあるとおもいます。

昔なら「地位が低い場所の出身」が疎まれたのが、今後は「今、私刑が当たり前の世界のネットワークの所属している」とかがアウトになる。

分断される社会

あなたの友人のなかにそのうち「金? バイト先のレジから抜いて来たよ。だってあの店長最悪でさあ、めっちゃ儲かってるし1万くらいいいじゃん」という人が現れます。これを「当然とおもうひと/ダメだとおもうひと」で、無法地帯と法治国家に分かれていきます。

あなたが法治国家住民であれば、その「金抜き当然」の友人とは、そっと離れる選択肢くらいしかないはずです。本人に注意しても逆ギレされるだけですし、通報しても警察も動いてくれません。そうすると「つきあわない」しかなくなります。こうして、無法地帯と法治国家は静かに分かれていきます。

別に、無法にも友達はいるし、常識はあるし、生活もしています。ただ倫理基準が法治国家と違うだけ。

「理解できない他者だから、法のもと平等に接しよう」派閥と「理解できない他者だから、法を無視しても大丈夫」派閥にわかれていきます。

日本の倫理観がかなり同質性をベースに設計されているので「同質じゃない関係」だとろくでもないことがおきがち。「フィリピンからきた教育実習生だから搾取しまくってもOK」みたいな。

「自分はフィリピンからきた教育実習生である」という前提で人生を組み立てると強くなります。

強くなるために

健康になり、年賀状を送り、掃除をするといいですよ。これまでは健康だけで良かったんですが、今後は年賀状と掃除も必要になりました。増税メガネの増税です(大嘘)

つまり、「一人で生き延びよう」なんて甘いことはいえないので、「私は足でまといにならない努力をするので仲間にいれてください」といえないと、仲間にしてもらえないということです。そのときに必要なのはあいさつ、贈与、掃除です。私は敵ではないことを示し、公共性があることを行動で示す。「孤独な人間」が最も犯罪係数が高いのです。

コミュニケーションの大事さについてはこちらも参考に。

強さの三要素

だいたい強さの仮説がまとまった。強さとは「資本」です。このときのポイントは「弱い一人でも貯められる資本であること」と「資本は流通させないと価値がないこと」の2つ。つまり、「半導体工場は個人では作れない」と、「半導体工場があっても、売り先がないと意味がない」

個人で作れる資本は(健康は前提として)「知恵」と「教養」と「地元」。

知恵

知恵というのは「問題解決能力」です。知識や技術と異なります。

「知恵があったからベンチャーで上場できた」とは言わないですよね。「知恵があったからピンチを切り抜けられた」など、トラブル対応に使うことが多いです。

デジタル大辞泉によると「物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力」だそうです。物事をありのまま見てる。判断する。一つ一つ解決していくこと。要するにぷろおごのツイッターが「知恵」ってかんじですね。

こうした知恵は「くらがりチャレンジ」「越境した先での交流」「ものを捉えて、表現すること」を繰り返すことで身につきます。一人の取得は困難で、周囲に異なるタイプの人間が多いほど身につきます。

教養

教養、というのは「ものごとの前提にある共通知識の流れ」です。

たとえば「スマホ」の前提にあるのはCPUの仕組みや、電気回路の仕組みです。「福祉制度」の前提にあるのは憲法やリベラリズム思想です。「アメリカ」の前提にあるのは西部開拓であり、キリスト教です。

こうした教養は「点」ではなく「線」なので1冊では身につかず、流れで把握する必要があります。教養は即座に役に立たないのでですが「その分野で新しいものを身につけるとき」に学習コストを劇的に下げます。コンピューターの基礎教養があるひとは、スマホもすぐに身につきます。

今後日本がもっともっと海外とやりとりをするときに、教養がものをいいます。「アメリカ人の前提」「中国人の前提」がないと、理解するのがコスト高すぎてダルいからです。「ワタシ日本にくる前に日本国憲法読みました」という外国のかたがいたら、ちょっといいですよね。その意味で教養とは「他者への誠実な関心」を示すものでもあります。

地元

地元、というのは「自分が利益代表として振る舞うことを許されている場所」です。

「コミュニティの一員」というだけでなく「コミュニティの名前を冠して行動してもOK」ということです。バイトじゃなくて正社員。たとえば「大学の伝統あるラグビー部のOBとして名乗ることができる」とかです。その地位を使って職業斡旋をしたりする。そうすると後輩が自動的に生まれ、先輩ポジで居続けられる。

海外の日本人村で100人くらいしかいない小国だとあっという間に利益代表になれます。地元であれば、店舗を運営すると小さなバーであっても「池袋2丁目に店を構えるものとして言わせてもらいますが…」と利益代表できます。利益代表すると、そのコミュニティに貢献しなくてはいけないのですが、そのコミュニティから受け取るものもあります。

たくさんの大人と一緒に経験を積み、古典と基礎科目を通じて幅広い教養を身につけ、自分の地元を大切にする。「知恵・教養・地元」という3つの強さはすべて他者に関わるものです。他者から学び、他者と話すために備え、他者に貢献する。そのことで得られる「他者からの尊敬」というのが、あなたを10年間守る「強さ」になります。

正統性を得て資本を活かす

「正統性」は「私はこの地域を守る資格があります」ということ。静岡県民がみかんを売り、農家を助けるのは正統性がある。暗号通貨を売ることに正統性はない。でも、サトシナカモトの子孫ならそこに正統性がある。

つまり「地元」と「正統性」はセットの概念になる。

いま知り合いで北海道の猟師コミュニティに入ろうとしてるやつがいる。うまくいって、「地元」にできたとする。伊予柑の知り合いが歌舞伎町が「地元」だとする。このとき、うまくやるとジビエの流通が即座に解決したりする。つまり「地元をもつやつら」がつるんで市場になることが大事。これで資本が生きる。

「教養×正統性」ができると、さらに資本が生きる。世界共通文脈を取り出して、私のストーリーにすること。それにより、私の地域を守り、代表になること。そうすると、地元が本当の資本になる。

これから活きる資本

最近の関心は、「手元に資本が残らない」ということです。

たとえば、昔はYouTubeで100万再生すれば、5万チャンネル登録されて、次の動画は10万再生が保障されました。しかし、今はチャンネル登録数の価値が激減しています。たとえば、「スパイダーメン」さんというショート動画中心の1500万登録のYouTuberの最新動画は50万再生です。これは、YouTubeショートが登録数を無視したアルゴリズムで表示を決めているからです。

tiktokを中心としたこのアルゴリズムはYouTubeにもTwitterにも適応され、フォロワーの無価値化がされました。これは「頑張っても報われない」ということ指します。

漫才であればM-1で優勝すれば1年はテレビにでられる、ということが価値です。その間にうまくいけばレギュラーまで繋がるかもしれない。でも、R-1で優勝してもそんなことはないです。みんなが欲しいのは「頑張ったら、人生のステージが次になる」という変化です。単なる優勝賞金ではありません。

アルゴリズム中心のtiktokでは100万再生されても、次が1000再生とかあたりまえです。こうすると、努力しがいがないです。何にも自分のものにならない。自分の「資本」が増えないということです。土地のない小作農である。

さらにいえば「お金」の価値が暴落しています。お金の変換先の資本がないからです。宝くじで1000万あたったら嬉しいですが、その1000万があったところでテレビのレギュラーがもらえるわけでも、任天堂に入社できるわけではないです。お金を稼ぐだけでは、どうやら人生のステージは変わらない。

大学に行きたい、東京にいきたい、英語を学びたい、弁護士資格が欲しい。人が強くモチベーションをもつのは、人生のステージを変えることです。
ITが輝いていたのは、金が稼げるからだけではなく、ITの仲間入りをすれば俺たちだけの何らかの資本が手に入ると夢見ていたからです。しかし、西部は開拓され、フロンティアは終りました。もう、金山に金脈があるかは、怪しいところです。

この社会で「夢を持て」というのは、残酷なことです。何かを得ても政府とプラットフォームに取り上げられてしまうのに、情熱をもって頑張ることなんて、普通無理でしょう。

せめて「取り上げられにくいもの」をナップサックにいれて、肌身離さず持ち歩くくらいです。その「持たざる者の資本」は、結局「知恵と教養と地元」になるのではないか、というのが今の暫定案です。

生き残り、地元を守るために、強くなりましょう。

次回予告:欲望論

資本は「材料」でしかないので、コロッケではないんですね。10億円あってもメンタリストDAIGOさんの欲しいものは手に入っていないように。この次に「資本をコロッケに変える」という記事を書こうと思ってるんですが、なかなか大変で、まとまってません。

レシピがないと作れないし、そもそも「コロッケが食べたい」と気づかないとコロッケにたどり着かない。それがまさに資本論の次のコロッケ論=あなたの欲しいものは?という欲望論になります。

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