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謙虚なリーダーシップ

また新しい本です。前回の読書会で紹介した、ハンブルリーダーシップ(謙虚なリーダーシップ)について読んでいきます。

これが、昨日のPeople Poweredの第二章で挙げた問いへのアンサーみたいになっていて、すごく興味深い内容でした。

本書の目指すリーダーシップとは

リーダーは常に「スーパースター」として、英雄のように、大胆かつ非凡なことをしなければならない。そんな考え方をする個人主義的・競争的な経営文化に、あなたはいつの間にか囚われてしまっていないだろうか。リーダーシップとは、なんらかの「決まった手順」を踏んで発揮すべきものではなく、新たな、よりよいことを成し遂げようとするグループ内で共有されるエネルギーである──そのように考えるわけにはいかないだろうか。

P12

リーダーシップとは、関係性にほかならない。そして、真に成功しているリーダーシップは、きわめて率直に話をし、心から信頼し合うグループの文化のなかで成果をあげている、と。リーダーシップと文化はいわば表裏一体であり、文化はまぎれもなく、一つのグループ現象である。

P13

本書では、リーダーシップに対する新しいアプローチを紹介する。業務上の役割に基づく関係ではなく、個人的なつながりを重視するアプローチである。

P21

ということで、のっけから想像とは180度真逆のリーダーシップ論が展開されています。スティーブ・ジョブズのようなビジョナリーなリーダーシップは、かつての古い考え方で今の時代にはそぐわない、といった論調です。

企業に根強く残る古いリーダーシップ

単なる業務上の関係は、役割期待とそれに伴うルールを中心に築かれる関係であり、これが、おそらく今なお多くの組織や機関に大きな影響を及ぼす基本的な経営文化の土台になっている。そうした経営文化の根底にあるのは、アメリカの中核的な価値観──個人間の競争、勇ましい自己決定、仕事は段階的に進み、さながら機械のようで、技術的合理性に基づいているとする考え──だ。

P25

アメリカのビジネス文化は、個人が英雄として皆を率いるという誤ったリーダー像と、機械のような階層型の組織とを信奉している。そのような組織は、従業員エンゲージメント、エンパワーメント、組織の機敏性、革新力というみずからの目標をむしばむだけでなく、VUCA──不安定で(volatile)不確か(uncertain)、複雑(complex)かつ曖昧(ambiguous)──になっていく世界への対応力を制限してしまっている。

P32

従業員は、自分たちに求められるもの(「チームワークと協働」など)と、文化にもっと深く染みついている要素(出世階段を上るときに報われる、競争的個人主義など)とが、完全に矛盾していると感じることが少なくない。

P29

私たちも、会社で働いていると「社長の方針がしっかりしていないからダメだ」とか、「もっと明確な方向性を示してほしい」とか、いろいろ文句を言うことがあります。自己啓発本を読めば、スティーブ・ジョブズのように明確なビジョンを示して成功した事例が華やかに取り上げられ喧伝されています。こうした文化が、VUCA時代への対応力を制限しているというのです。

なぜ謙虚さが必要なのか

既存の文化を守るために、これまでのリーダーは、自分が課題を理解してさえいれば、たとえば「リーン」や「アジャイル」などの新たな、よりよい方法を取り入れよと半ば強制することができた。だが、課題が社会-技術的に複雑かつ相互依存的になるにつれ、リーダーと名のつく人たちは、しばしば気づくようになっている──新たな、よりよい方法を従業員に理解してもらい、正しく実施できるのは、変革のデザインと実行に従業員が積極的に関わる場合だけであり、結局、変革グループのなかで個人的なつながりをつくれるかどうかにかかっているのだ、と。

P33

このような環境に身を置くリーダーは、絶対的に謙虚にならざるをえない。なぜなら、あらゆる答えを見つけられるだけの知識を一人の人間が積み上げることは、事実上、不可能だからである。相互依存と絶え間ない変化が当たり前の、この複雑な状況にあっては、謙虚であることが、生き残るための不可欠なスキルになっている。

P28

つまり、英雄的なリーダーが解決策を考えて世の中を引っ張っていくようなスタイルは限界がきている。そんな簡単な課題はとうの昔にすべて解決済みであり、いまも残っている複雑で難しい課題に取り組むには、みんなの知恵と力を合わせていかないといけない、というのが本書の主張だ。

そう考えると、「最近の若い奴は根性がない」という主張は「昔の簡単な課題解決の成功体験でテングになっているダメなおじさん」と考えることもできるわけだ。

これからの複雑で難しい課題を解決するには、たくさんの人が自発的かつ積極的に取り組む必要があり、それは上からの命令で人を動かすようなリーダーシップでは決して発揮できない、もっと謙虚にお互いを尊重しないと実現しえないチームの力なのだ。

問い:私たちにそれだけの美があるのか

リーダーが謙虚になってメンバーのやる気を引き出す必要がある、そういう時代になっているというのは理解しました。しかし、ここで私たちは容易に勘違いをしてしまいます。

「上司が謙虚じゃないからこんなダメな組織では何も生まれない」とか「もっと上司は部下の気持ちを考えるべきだ」と考えるのも仕方ないですが、でもそれは「私は定時で帰りたいから仕事量を適正にしてほしい」という願いを叶えることではありません。

ここで目指しているのは、リーダーが謙虚になることによって、「私もこの仕事を成功させたいから土日も返上で死ぬ気で仕事に没頭したい!」と従業員のやる気に火をつけることです。それが、自発的に積極的に課題に取り組むということです。

なんとなく、ベンチャー企業だとやりたいことがあって、寸暇を惜しんで働いているイメージがありますが、大企業だとそんな情熱にあふれた人は少ないだろうな、と思います。ベンチャー企業は、人数が少ないこともあって、自然とお互いを尊重する謙虚なリーダーシップを築きやすいんだと思いますが、大企業では価値観の違う人も大勢いて、むしろ人間を機械的に動かすことで生産を回していく、みたいなシステムが出来上がっているので、非常に難しいだろうな、と思います。

これって「真善美」の話だと思います。

真:自分の過去、自分のスキル、自分のあたりまえ
善:所属しているコミュニティの目線(良いとされるもの)、実績
美:自分の身体の固有性、自分を突き動かす謎の欲望

https://note.com/danshikaji/n/n212e079a5bf7

従来のリーダーシップでは「善」が重視されていて、チームの「善」に即した「真」を有する人が採用されていったと思います。しかし、そうやって「真善」で動く関係性は、機械的で、一定のスキル以上の力が出ません。火事場の底力みたいなのが発揮されないわけです。

人間が、その本当の力を発揮できるのは、「美」の領域です。あなたの「美」がチームの「善」と重なって「善美」で動くチームになると、今まで解決できなかった複雑な問題にも対処できるようになる、というのがおそらく本書の謙虚なリーダーシップで目指す姿だろうと思います。

そこで大事になるのは、リーダーが謙虚であることと同時に、あなたの「美」がどれくらいしっかりしたものか、ではないかと思うのです。あなたが心から情熱を注いで頑張りたいと思えるもの、そういうものをしっかりと見つめていく必要があるのではないでしょうか。

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