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People Powered コンシューマー、支援者、コラボレーター

第二章です。

コミュニティの3つの型

前章では人が集まればコミュニティ、みたいなざっくりした定義をしていましたが、その中でも人々の貢献のあり方によって3つに分類していました。

コンシューマー

共通の興味を持つ人たちを集めたコミュニティ。ファンクラブ的なもの。みんなで感想とかを共有するのが目的であり、それが応援・推進力になる。

支援者

メンバーの成功を支援するために積極的に働くコミュニティ。ただのファンから一歩進んで、応援する商品なり人物なりのために、または他のファンのために、何か支援をする人。スプラトゥーンの攻略動画をアップしたり、wikiを整備したり、布教活動に勤しんだりする。

コラボレーター

支援者がさらに強力になったもの。プロジェクトチームとして能動的に協働作業をする人。ファンがボランティアで公式活動に参画する感じでかな。オープンソースの開発とかでよくある。

このコラボレーター・コミュニティはさらに「インナー」と「アウター」の2つに分類できるらしい。

インナー・コミュニティ

Ubuntuプロジェクトのように、参加者がプロジェクト開発の全体に関与していると感じられるもの。

アウター・コミュニティ

AppleやGoogleのアプリ開発者のように、プラットフォーム上でどのように新しいアプリを開発するかを考えている人たちは、AppleやGoogleに対してコラボレーターとして活動しているが、プラットフォームそのものの開発には関与していない。そういったタイプのコミュニティ。

適切な型を選ぼう

あなたが作りたいコミュニティはどのタイプか、まずはしっかりと見極めよう。世の中では「コラボレーター」のような、特に人々が自発的に活動することで目覚ましい成果を上げるタイプのコミュニティ作りがフォーカスされがちだけど、あなたの作りたいものは「コンシューマー」のようなファンクラブ的なものの方がマッチする、というケースも多い。

いずれにしても大事なことは、しっかり計画を立てて、最後までやりきること、だそうです。

僕は「意識的に、徹底的にやる」ということの価値を信じている。お試しはダメ。中途半端はダメ。腕をまくり、全力で入っていき、言い訳をしない。それが実現につながる。結果は決意だけでなく、冷静な頭と明確な戦略によって実現される。

P73

機会を平等に用意しよう

コラボレーションのための明確でオープンなアクセスの提供だ。だれもが同じ土俵に立ち、同じツール、ガイダンス、その他のリソースにアクセスできるようにする必要がある。だれもが平等に同じツールとチャンスを持っていなければ、チームを作ることはできない。

P90

機会の平等と公平な競争の場を提供しなければならない。だれもが輝くチャンスがなければならない。性別、肌の色、セクシュアリティ、社会経済的背景などに関係なく、だれでもはっきり歓迎し、だれの仕事でも客観的に判断されるような環境を作らなければならない。

P91

組織内の別の人にコメントをもらい、それを改善しよう。たとえアドバイスに意味がなくても、これは必要だ。役員にも、部門長にも、製品企画やエンジニアのスタッフも、マーケティング他あらゆる人達にも見せて、君の考えに難しいところがないか聞こう。自分の考えに反論してもらい、欠点をみつけ、見逃した他の要素を見当してもらおう。彼らのフィードバックを集め、フィードバックの内容について真面目に考えてアップデートを続けるべきだ。もう一度言うよ。君は、意見を聞くことを通して、全員が「コミュニティ・ミッションに意見が反映されている」とみんなに思わせなきゃならないんだ。

P77

これは、効率厨のアスペには厳しいことだと思います。意味のないアドバイスもしっかり聞く機会を作ること。それくらい、全員に平等にするというのは参加者のモチベーションアップに重要なことなのです。

問い:上意下達の縦割り組織のメリットは?

大企業では、平社員に平等な機会など与えられず、公平感はかなり低いと思います。最近の新入社員は、そうした組織が古くて将来性がないように感じてすぐに転職してしまいます。

しかし、当然ですが新入社員は知識も少なく、上位の社員から学ぶべきことが多い段階でもあると思います。公平感よりも、まずは上意下達で仕事を学ばせることの方が、最終的には本人の能力向上を早めることにつながる気もしますが、これはどうする方がいいのでしょうか。

すぐ辞めてしまう最近の若者は根性がない、と切って捨てる昭和的な価値観もいかがなものかとは思いますが、実際に根性パワーは落ちているのでしょうか。昭和時代には平等な機会があったのでしょうか。

問い:フォロワーはコミュニティを作れないのか

人はリーダーかフォロワーのどちらかに分かれるという俗説があるが、それはだいたい正しい。しかも世界にはリーダーよりフォロワーのほうが圧倒的に多い。コミュニティには明確で迷いがなく、公正なリーダーシップが必要だ。それは成功のためだけではない。重要なのは、他の人がそのリーダーシップに導かれて、マネをすることだ。君は正しい行動パターンとリーダーシップをマネしてもらいたいと思っている。

P106

こう書かれている通り、特に日本にいると、フォロワーばかりで誰もリーディングしてくれない、と感じることが多いです。しかし、フォロワーだってみんな危機感をもっていて、何かしら改善したい、どうにかしたい、と思っています。そうした人たちがいっぱい集まっているのに、何もできない、というケースも多いのではないかと思います。

うまくリーディングできないフォロワーたちが、それでも上手にコミュニティを回していく方法はないのでしょうか。みんなで話し合って目標を定義して、北極星を見つけて、一緒に歩んでいくような、そういう日本的なコミュニティ作りはできないのでしょうか。

問い:井戸端会議はコミュニティか

コミュニティの「プロダクト」の生命線は、だれでも参加できる健全で魅力的な文化であることを忘れてはならない。この文化は、だれもが積極的に文化そのものに自分の影響を与えられるような、柔軟性のあるものでなければならない。
そのコミュニティが何をおこなうかがみんなからハッキリ見える見通しを持ちつつも、メンバーにとって"ハッキング可能"な文化を作り上げるよう注力しよう。定期的にコミュニティからのフィードバックを集め、そこから学び、実践とワークフローの基準をアップデートする。文化は参加者によって進化していくものであり、神々から下される不変のルールブックではない。

P109

本書で目指しているコミュニティは、とても強いコミットメントを伴う、自発的で積極的なものが多いです。しかし、世の中にはもっとゆる~いコミュニティもあります。

毎日なんとなく井戸端会議をする、たき火を囲んでなんとなくお話をする、コーヒーハウスとかタバコ部屋みたいな弱い紐帯でつながったコミュニティもあると思います。そういった、距離の離れた異分野の人とのコミュニケーションが新たな価値を生むことも多い、という事例は数多く報告されています(例:ネットワーク科学)。

こうした弱い紐帯に基づく接点を増やすことが、これからのイノベーションには重要だろうと考えていますが、そういった視点でのコミュニティ作りというのは本書では語られていないのでしょうか。

なんてことを思ったり思わなかったりしました。

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