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この先何十年も続きますように(20歳記念エッセイ)

0.プロローグ

 今年の夏は3年ぶりに「うらじゃ」があった。「うらじゃ」って何やねん!って人も多いと思うので、その祭りの簡単な説明となぜ私が関わってるのかを20歳になった私がつらつらと語っていく。贅沢搾りを呑みながら書いているので誤字脱字があるはず。ご了承を。はっきり言っておく。正直言って、私は15年くらい住んだ(18年のうち3年間は高松)岡山がそんなに好きではなかった。残念なことにイオンモールしか楽しめる観光地がないし、後楽園や美観地区など若者にはあまり楽しめない、教養がないと何も感じないような観光地はつまらないと思っていた。だから東京に行きたくて仕方なかった。東京ならなんでもあるって思ってたし、岡山にいるよりももっと豊かな生活が送れるものだと思っていた。そんな幻想を思い込んでいた。

1.うらじゃとは

 そもそも論、うらじゃって何?というのが大多数の人の声だと思うので、簡単な説明を。

毎年8月の第一土曜と日曜に岡山市中心部で開催されている”うらじゃ”。「踊り」を軸として開催されるこの祭りは、市民自らが中心となりそのほとんどをボランティアスタッフが運営する岡山の地域・文化・歴史に根ざしたストーリー性のある市民参加型の祭りとして、年々その規模を拡大し、県内はおろか県外からも毎年多くの踊り子が参加する祭りとして岡山のまちに定着しています。温羅(うら)のお話を基にし「共生と融和」をテーマにこの”うらじゃ”はつくられました。”うらじゃ”をきっかけに「郷土の歴史や文化に興味を持つ」ということから「知らなかった歴史や文化を調べ・知る」といった行動を導き、「郷土を誇りに思う心」や「まちを大切にする心」や「人と人との繋がりを大切にする心」を育む活動に繋げ「まちのために行動を起こせる人」の育成を目指したいと考えています。“うらじゃ”の最後に岡山のまちに感謝し、踊り子が自主的にゴミ拾いをして日常に帰るのもこうした気持ちの現れです。1994年にまちづくり、ひとづくり、幸せづくりのきっかけになればと始まった”うらじゃ”。特色を出し設けられる「演舞場」や、商店街・市役所筋公道を練り歩き群舞する「パレード」など多くのコンテンツを持ち岡山のまちを祭りムード一色に染め上げます。(振興会)
振興会HP

 前々回のnoteにも書いたが、私はこの祭りの実行委員会に高校から入っている。高校時代はコロナがまだ流行る前だったので今回よりももっともっと多くの人が見にきてくれた。でも、今回も想定よりも多くの人が来てくれたので満足。

2.始めた理由

 私がこの実行委員の活動を始めた理由は高校時代の生徒会活動にある。私は生徒会で、事務担当として、校内外の窓口の役割を担っていた。当時は、共通テストを導入するのか否かで揉めている時期で、なおかつ調査書を重視しましょう的な時期だったので「ボランティア活動・課外活動項目」に何かを記載しないといけないよねみたいな風潮だった。そこで、当時の顧問の先生から、「生徒会中心でボランティアをやったらどうか」と言われ、そういう類の事務を担当していた私が何をやるか考えることになった。やる条件はいくつかあって、

①生徒会執行部員全員でできるもの

②行政団体が運営団体に参画しているもの

③それなりに規模が大きく、様々な方と関われるもの

この3観点だった。2年間生徒会をやった中で、1年目は「岡山マラソン」のボランティアをやった。これはなかなか好評だった。そして、2年目はせっかくなので違うことをやろうと思った。それに、担当の私が岡山マラソンに出場するのでボランティアができないという事情もあった。そこで目をつけたのが「うらじゃ」だった。夏休みでみんなでできる可能性が高いし、高校生だと色々やらしてくれるのでないかと思った。そこで全員分エントリーをしてやることになった。1日目は演舞場運営、2日目はパレード運営のボランティアをやることになった。これもみんな楽しんでくれて、担当者として非常にやりがいがあった。私は正直内申点や調査書、あわよくば、AO入試を意識していたのでそのために何かやれたら良いな程度だった。

3.実行委員になってからの私

 小さい頃はうるさくてうるさくて、そして何よりやかましくて仕方のなかった祭りであったが、歴史やまちづくりの基盤となっていることを知ったり、実行委員の素敵な方々と交流したりすることによって、考えも変わり、もうちょっとやってみようかなと思って演舞部会という演舞場運営をする部会に残ることになった。そこで私はせっかくなら何かやろうと思って、公式Instagramを開設したいと企画書を出した。これは、2019年に岡山県への海外旅行者数が1,000万人を超えたことに伴い、従来のホームページやツイッター等の文字での広報には、文字では伝えにくい岡山の文化を写真を通じて理解してもらいにくく、そこに限界を感じたという問題意識に起因する。地方規模の祭りでは初となる公式インスタグラムを開設し、広報の専門部署を立ち上げ、その責任者になろうとした。このことを当時お世話になっていた岡山JC(青年会議所)の方に伝えるとなかなかの高評価をもらった。以前にも同じような話が出たが白紙に終わったと聞いたので、これはなんとしても実現したいと思ったし、それが自分の岡山での実績になると思った。そこで、有志の委員たちと、休みの日や塾の帰りに彼らの家に集まって、企画書を書いたり偉い方々にレビューしてもらったりと企画も水面下で進めて、いよいよ2020年から実施することになった。踊り連に公表する説明資料、運営のためのガイドラインそこでコロナの野郎が現れ、企画は頓挫してしまった。

 それから入試対策等で資料を作る上で、私はうらじゃのことをたくさん書いた。自分たちで作った企画書も縮小して掲載した。資料枚数で言うと多分80枚くらい、これについて書いた。東京でのキャンパスライフが懸かっているので真剣に書いた。結果、入試を通過し、入学内定者となった。晴れて東京でのキャンパスライフも内定し、岡山のまちづくりに対する熱意も抜けてしまった。内定した段階で来年は参加できそうにないことを伝えた。「慶應に行くことになったので来年の祭りに参加できるか怪しいです」東京での生活が楽しみすぎてやる気がなくなっていたのが事実だったが、そんなことを言うと道具として使っていたみたいで印象が悪くなるので飲み込んだ。

 私は部会のLINEグループを抜けた。部員のインスタも見なくなった。

4.結局帰ってきた私

 東京は楽しい。憧れのコンクリートジャングル。やりたいことは多分なんだってできて、できないことはほとんどない。高校生のお金のなかった頃は行けなかった銀座や表参道で買い物をしたり美容室に行ったりした。スタバでバイトもできて、興味のあった金融関連のインターンもできた。慶應って名前を出すと褒められる。結構いい思いをした。でも、物足りなさももちろんあって、やりたいことって何かとか考えることも増えた。今まで評価を気にして人の顔を窺って過ごしてきたから、何をしたいのかよく分からない。特に何か熱心にしたいこともない。「やりたいことやりなよ。バイトばっかりじゃだめだよ。」そんな親も言葉に反して1年生の頃はバイトに捧げた。その分稼げたし貯金もできたが、空虚な毎日が続いた。

 2年生になって、奨学金の選考を何回か受けさせてもらえることがあった。そこで聞かれたり書かされたりするのは「今まで熱中したこと」「大学でやりたいこと」「将来の夢」大体こんなところだ。ここで書くのを気をつけないといけないのは、他の人と被らないことだ。良い子ちゃんと生徒会ネタで被ったことがある。幸いにも私はなんちゃって役席者だったので話すネタがあったので助かったが、ネタがないとしんどい。ネタが被って相手の方がちゃんとやってる系だったらトークの勝ち目がない。困ることが結構あるので、ネタには気をつけている。そこで大体うらじゃのことを書く。そうすると自然と筆も進むし、悩む時間も少ない。1,600字がすぐに埋まってくれる。

あ、これが俺のやりたいことなんだ。

 私は疎遠になっていた実行委の部員の先輩に「もう一度やりたい」とLINEをした。私はてっきりLINEの友達から消されてしまっていて、相手も気まずいだろうから「機種変した」とか適当な理由をつけてもう一度QRコードを送って!みたいな展開かと思っていた。でも実際には違った。あまり話したことない別の先輩が招待してくれて、胸熱。残してくれてたんだ〜!!

5.東京だってできることたくさん

 東京にいるからできないことはあまりなかった。私は基本的に書類作成を担当させてもらった。会場のメンバーを見ると、懐かしい人もいれば新しい人もいる。みんなどんな感じなんだろうな〜と胸が膨らむ。会議は毎回オンライン参加させてもらった。先輩の厚い配慮で、Teamsで参加させてもらえた。感謝。会議に出て意見を言わないのは勿体無いので、コロナ対策とか会場運営とか言いたいことは結構言う。でも、若い人の意見であってもちゃんと聞いてくれる。嬉しい。

 本祭期間は忙しかったけど、みんなで強力してなんとか準備した。整理券を作って渋谷から事務局に速達したのが懐かしい。電話で話しながら資料整理したなあ〜とか、8月毎週末帰省してたな〜とか色々思い出す。大変だったし何回も作り直しになったけど、その資料が完成して全体マニュアルに載った時の達成感は半端ない。授業の組み方の問題で私は1日しか参加できなかったが、その分楽しめた。大声を出さないと聞こえないから出していたら喉が潰れた。のど飴を終始舐めながらのオペレーションは大変だったけどその分楽しい。毎年楽しい祭りになってる。

 最後の最後でサプライズがあった。それは、会場責任者の呼びかけで裏方数人で総おどり(うらじゃ音頭)を踊るというもの。順番に名前が呼ばれていって、もしやこれは出番では?と思ったら「右遠くん!」いやああああああああああ、来てしまった。踊れない裏方でやらせてもらってるので完全に想定外。仕方がないので、周りを見ながら慣れてますよ感を出して踊った。人生で初めてうらじゃの振り付けを踊った。ぎこちなかった。でも楽しかった。

 帰り道、いろんな人に声をかけられた。覚えててくれたんだ,,,感無量。うらじゃ勉強会で一回しか会ったことがない振興会の人もそう。パレード部会の方もそう。嬉しいな。岡山って街は田舎で退屈な街ではあるけど、かっこいい大人がたくさんいて、帰れる場所を用意してくれるセーフティネットみたいな街だと思う。自分も帰って来れる場所を用意してあげたいし、そういう文化であってほしいなって思う。好きでもないけど、嫌いになれないそんな街。イオンと岡山駅。イオンは郊外にできるって社会の授業でやった。ファミリー層が多い、車で来れるショッピングモール。Twitterで子供に優しいモールだと誰かが言っていて妙に納得した。最初岡山駅にイオンができるって聞いた時は、我らが岡山駅前も東京から郊外だって言われてる気がしたそんな街。そんな街で15年過ごした。なかったことにはしたくない15年。15年を肯定するための2日間。

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