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”あなたのためにこんなにしているのに”は危険(特に我が子に対して)

中学受験する親に時々ある相談、私はあの子のためにこんなに色々やってるのにあの子は全然勉強しない、というもの。

そもそも人間関係において“あなたのためにこんなにしているのに”(だからあなたもこうしてほしい)と見返りを求めだしては危険だ。

特に子どもというのは、親から同等の見返りを求められれば生きていけない生き物である。
乳児に対して、こんなに痛い思いして産んだのにあなたは泣いているばかりで私に何もしてくれない、というマインドに親がなってしまったらその子に残された道は死しかない。
幼児や小児においても、特にお金のことを持ち出されると子どもは生きていくのが大変困難になる。あなたのためにこれだけお金をかけたのだから頑張りなさい、などという言葉は激励などでは全くなく、死を予感させる呪いでしかないのである。

だからそういった声かけをすると子どもは本能的に猛反発するのだろう。
私はそんなことしてくれって頼んでない。
産んでくれなんて言ってない。
不幸になってくれなんて言ってない。
私の存在はあなたにとってマイナスでしかないの?
勉強になんか身が入るはずもない。


“あなたのためにこんなに頑張っているのに”というマインドに陥ってしまいやすい人は、とても頑張り屋な人なのだろう。
この人のためだから、と頑張って、頑張って、あまりにも頑張り過ぎるから全然自分の頑張りに見合うだけの見返りはなくて、見返りなんか求めていないと最初は思っていたはずの心も壊れていく。
元々は周りの幸せを望んですすんでやっていたはずのことが、なんで私ばかり頑張っているのだ、と周りに対する怒りに変わっていく。

だからそれに対する対処はきっと、
“頑張り過ぎない”
“自分にご褒美をあげる”
そういったことしかないんだろうと思う。

かくいう自分も、大学時代、家庭が崩壊していたので自分の居場所は大学のサークルにしかなく、大学のサークルが全てであった。
そこにいる人達が大切過ぎて、大好き過ぎて、飲み会でもいつもシラフな自分は数十人単位の会計をいつもやっていたし、周りの人達が楽しんでいるのを邪魔しまいといつもすみで一人でいて、それでいてグラスが割れればそこに現れて誰知れず片付け、飲み会の後みんなで公園にいる時に雨が降ってくればコンビニで傘を複数買い自分からとは言わずに配布して、公園で酔い潰れたみんなの持ち物は寝ずの番をし、そんなことばかりしていた。

みんなの陰に隠れてこっそりそういうことをやるのが得意過ぎたから、そんなことは全然評価されず、いつしかどんどん病んでいった。
周りからは、“何故かいつも病んでいる痛いヤツ”という認識になっていった。
そんなやつが恋愛なんて上手くいくはずもなく。
まあそんな感じである。

結局頑張り過ぎて自分を追い込み過ぎるのは本当に良くない。
最近はたまに飲み会に行っても、潰れたやつは自己責任、という感じでほとんど自分を犠牲にすることはしなくなった。
人間それくらいがちょうどよいのだと思う。

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