デンマークのリカレント教育 続き

デンマークの具体的なリカレント教育を前回はご紹介しました。続いて、今回はその背景についての分析とまとめを掲載します。

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3. デンマークのリカレント教育の背景

 ここまで具体的な施設や機関について見てきたが、こうしたデンマークのリカレント教育が成立する背景として、大きく4つの要因があると筆者は考えている。

① 就業における資格の必要性
デンマークでは未経験の職に就く場合、また、新たな業務に転職する場合、その仕事に必要な専門的な資格が求められる。企業への入社は「就社」ではなく、大学で修めた学士・修士課程の修了資格をダイレクトに生かせるスペシャリストとしての業務に就くこととなる。また、日本でも看護師などの専門職は資格の取れる職業専門学校に通うが、デンマークでは例えば、精肉店店員、介護者、大工といった職業もすべて3年前後の職業専門学校を修了していないとなることはできず、親から農業を引き継ぐ場合でも同様に農業専門学校を修了していなくては就業できない。そのため、新業務への転職は資格取得のために学び直しをする必要があり、デンマーク人にとって、リカレント教育自体がごく自然なことだと考えられる。
学校教育は無料であるため、こうした教育も全て無料で受けられ 、その分、リカレント教育は国家としてはコストがかかるわけだが、2007年、政府は「成人教育、継続教育におけるリアルコンピタンス認証の拡張」の法制化を行った 。これは、中途退学者や学び直しの者が大学や職業専門学校に戻った際、既に修得した単位が認められるというものである。これにより、政府は学習期間の短縮によるにコスト削減と就労の早期化(=納税の早期化)を実現し、人々にとってはリカレント教育へのハードルを下げ、また学習自体の負担の軽減化となり、両者にとって大きな利点である。

② 「SU(奨学金)」と「学生給与」
2つ目に、デンマークのリカレント教育を支える背景として、一番大きいといえるのがこのSUという制度である。
デンマークでは国民への教育の目的は、将来国を支える「多額の納税者」を育成することであり、高等教育を受ける学生は、そうした納税者になる高いポテンシャルを持つ。そのため、高等教育を受ける学生は、国からSU(Statens Uddanelsesstøtte、「国による教育補助金」という意味)という返済不要の奨学金を支給されて学習する「プロフェッショナルな学生」と位置づけられる。
SUは18歳以上の学生であれば、誰でも最大70か月支給され、一般に、1ヵ月につき約5,600クローネ(94,000円)程度で 、学生に最低限の生活を保証する金額となっている。大学教育や職業専門学校だけでなく、フォルケホイスコーレにも適用されるほか、海外での教育にも適用される。2017年には324,400人がSUを受け取っており、政府は206億クローネ(約3,300億円)を支給、これは教育に対する公的支出の14.6%に値している。
子どものいる単身の親が学生となる場合には更にほぼ同額の上乗せがあり、同時に、子どもに対しても児童手当が支給されているため、手厚く生活が保証されるようになっている。他にも、妊娠している学生や障がいのある学生などには特別加算支給が設定されている。また、もしこれでも金額が不足する場合は、低利子で返済義務のある「SUローン」を追加することが可能になっている。
SUは、生涯において合計70か月という期間の設定であるため、学校の変更や学習中断後の復学、また、長いインターバルをおいての断続的な教育にも適用されるため、大変ありがたい制度となっている。他にもSUの重要な意義として、すべての国民が親の経済状態に関係なく、自らの選択で学びたいことを学ぶ自由と公平性が保証されることである。
もう一つ、人が不足しがちな介護などの分野では、地方自治体の正職員という身分で学び、SUの倍額程度の給与が貰える「学生給与」という仕組みがある。既にその職業の経験があれば、更に所得が補填され、18,000クローネ(300,000円)程となり、生活できる金額が支払われる。資格取得後は支給した自治体に就職の義務がなく、その寛容さに少々驚くが、これは地方自治体という狭い地域に捉われず、国全体という大枠で捉えるということであろうと筆者は理解している 。

③ 高い退学率とやり直しのきく社会
3つ目に、デンマークのリカレント教育の背景として、高い退学率を挙げたい。デンマーク統計局によると2012年の中退者は、普通高校が15%、職業学校が約40%、短期高等専門学校が31%、大学が約25%、大学院で約10%となっており、非常に高くなっている。理由は、勉強について行けなかったり、本人の怠惰や問題を起こしたなどといったこともあるが、根底に、デンマーク人の価値観も関係している。まずやってみて、合わなければ辞めてよい、また、好きなこと、得意なことを伸ばすべきだという考え方が一般にあり、不得意なことを苦労しながら継続することは奨励されていない。それが間違っていると思ったら、何に関しても「変更」や「変化」を前向きで良いことだとする価値観があり、やり直しができるような寛容な社会が構築されている 。
 そして、このようなやり直しや学び直しを支えているのが、前述のSUである。生活が保証されているため、人々は躊躇なく、自分の学びをスタートすることができるのである。良くも悪くもゆるやかな社会であり、裏返せば、やや安易な退学もしばしば見受けられる。

④ 定時退社の徹底
 デンマークでは誰も残業しない、ノー残業社会である。デンマークは労働組合が強固であり、労働者の権利が守られている。週に37時間勤務、そして、年6週間の休暇がデンマークの労働者には保証されている。そのため、デンマーク人は毎日5時前後には帰宅し、6時前後に夕食を食べる生活スタイルであり、夜間に十分にプライベートな時間を取ることができる。ワークライフバランスとともに、ワーク・「スタディ」・ライフバランスが可能なのである。デンマーク人のリカレント教育が盛んである理由として、そもそも彼らには学習に費やす時間があるということが重要なインフラと言える。

4. まとめ

 デンマークのリカレント教育について、大きく要点をまとめると以下の3点となる。

1. デンマークでは、仕事に就くためには、その職業のための資格が必須であり、そのため、しかるべき教育機関で専門教育を受けざるを得ないこと。
2. 返済不要の奨学金「SU」という経済的バックアップがあるため、国民全員に、平等に教育の機会が保証がされていること。
3. 新分野への挑戦、やり直し・学び直し、変更について柔軟な価値観を持つ個人と社会であること。また、残業がなく、学習時間の確保のしやすい社会であること。

 デンマークはヨーロッパの、そして北欧の資源のない小さな国として、新産業の開拓、各産業の効率化を図り、IT化に力を注いできた。そしてそれを支える「人財」として、一人一人に合った教育を模索し、合理的な人材育成システムを構築してきた。リカレント教育もその一環として、よりその人の能力を生かせるような就職やキャリアアップに貢献し、個人の生活の充実を図ると共に、より高額な納税者を育成し、高福祉社会を維持するための要素として位置付けれられているといえよう。
 実際、デンマーク人は冒頭のデータで見たように、非常に多くの者が断続的・継続的に学習をしている。しかしながら、近年はパソコンやスマートフォンの普及により、学びそのものがどんどん変貌を遂げている。さらに、今年はコロナという全く予想もしなかった事態となり、人々は自粛生活を強いられ、新しいライフスタイルの中、ますます学びの内容も方法も変わってくるはずである。これからどうなっていくのか、今後もまた、デンマークのリカレント教育における変化に着目していきたいと考えている。

参考文献
『北欧文化事典』バルト=スカンディナヴィア研究会他編、丸善出版、2018年、「デンマークのフォルケホイスコーレ」近藤千穂
『デンマークの光と影』、鈴木優美、リベルタ出版、2010年
『デンマークのにぎやかな公共図書館』、吉田右子、新評論、2010年
『デンマーク流「幸せの国」のつくりかた』、銭本隆行、明石書店
デンマーク統計局https://www.dst.dk/da/Statistik/

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