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【おすすめ】             『忘れられた日本人』 宮本常一著   文字を持つ伝承者について      


「古きを訪ね新しきを知る」という言葉がある。意味は、昔のことをよく研究し、それを参考に、今付き合っている問題や新しい事柄について考えること(温故知新より)」とある。
 
 さて、「文字を持つ伝承者」田中翁について宮本が著したお話である。
 現代では読み書きをできる人はほとんどであるが、一昔前までは、文字を知らないか、知っていたとしても文字に頼ることが少ない人ばかりだった。文字で表現できる人は極めて少なく、田中翁は文字を持つ表現者であった。
 文字を持つものは、文字を通じて外の世界と交流し、その外部の良さを村の発展のために取り入れていった。それは、文字を持つものとしての責任でもあった。
 「油を売る」という言葉について、宮本が記した文章がある。

「油を売る」とは怠けるという意味だが、当時は誰もが当たり前に知っていたことまでも翁は書き留めていた。明治末には油売は現実にあった。女性の髪につける椿油、食用や神物の灯用にする種油を縦長の箱桶に入れ、天秤棒に担いで売り歩いていた。買い手の持ってきた小瓶に小さい漏斗をさして、杓で油を桶からすくいあげて瓶に入れる。買い手は一滴でも多い方がいいから、漏斗から油が落ちきるまでじっくり見つめている。まことに時間のかかるのどかな風景であった。油を売ることが怠けると同義語になったのは、油そのものの性質とその風景が媒介になっているのであろう・・・・

 そうした普通とされていることから、過去のものとして記憶から忘れ去られてしまうことまで、たくさんのことを翁は記録していった。
 
 翁は自分が育った土地に愛着と誇りを持っていた。百姓であることを賛美し、この村から百姓を絶やしてしまうことがないよう、全ての人が誇りを持って働けるような理想郷をつくろうと尽力した。昔の伝承を参照し、外の世界を参照し、自分の村が今の時代に適したより良いものへと改変しようとしていった。その変遷していく過程を記録し後世に伝承しようとしたのである。
 
 昔の人は伝承によって歴史観を持っていた。歴史を忘れてしまったことで、アイデンティを失ってしまった現代の私たち。「古きを訪ね新しきを知る」ことの意味を今一度再考する必要がある。
 

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