自撮りするやつ、自己肯定するやつ。
俺だよ。
自撮りするやつと自己肯定するやつです。
どうも。
この話はちょっと前に書いたnoteの続きみたいなもんなんでこれを先に見た方が話が通るかもしんないです。にしても今回ちょっと分かりづらい内容になってしまった。。
。
自撮りというワードとよく紐づいて語られるもので「承認欲求」というのがある。
俺はこの多用される承認欲求という言葉が、ちょっと意味として曖昧すぎじゃないかと最近思っている。
自撮りをSNSにあげる身として、一体どんな気持ちで己の顔面を投稿しているかというと、俺の場合だいたいが
「いい雰囲気に撮れたから載せよー」
「今日ヘアセットの調子いいから載せよー」
「カッコよく撮れたから見てもらおー」
みたいな感じ。
主観でしかないけど別に真の意味で承認してもらいたいわけじゃないんすよね。
なんていうか、ただ俺が良いと思ったから皆んなに見てもらいたいだけというか、良いものとして他者から認められたいというよりただ俺を確認して欲しいというニュアンスに近い。
でもまぁ自撮りのストーリーにいいねとか来るとそら嬉しいよ。いいねが続くとその度にやった〜と思う。
承認されるのは素直に嬉しい。
だけど別に承認して欲しいとは思っていない。
そこはお任せ。
これが俺の自撮りをするうえでの感覚で、他の自撮りを載せている人がどう思ってるかはわからないけど案外”容姿を褒められたい”という承認欲を満たすために自撮りをあげている人というのはわりとそこまでいないんじゃないかなと推測する。
というか承認欲を満たすための自撮りと言ってもよくよく考えるとパターンが複雑なんだよな。
例えば、“自撮りを載せる”
これだけで容姿を褒められたいための行為と言えるのか。
俺はこの段階ではなんとも言えないと思うんだけど、SNS世代の一般的な解釈だとここでYESと確定されてしまう場合が多い。
じゃあ、ちょっと具体化して、
「いいねが欲しいから手段として自撮りをSNSに載せる」
だったらどう。
いいねが欲しい」をひとつ承認欲として捉えるとして、それを満たすための自撮り。
これは自撮りという行為が、容姿を褒められたいという承認欲に由来しているわけではない。あくまで”いいね❤️”をゲトるためのツールとして自撮りを選択しているパターン。
いいね先行型の自撮り。
全然いると思う。
SNSの垢を伸ばすためだったり、何かを宣伝する場合に親近感を持たせるために顔を載せていたりとか。(自撮り風のAI画像を載っけてる人とかもこのパターンに該当するかな。)
ややこしい話だけど、いいねが欲しいのか、
容姿を褒められたいのか。その両方なのか。
自撮りに関係する承認欲にもいくつか枝分かれがある。
じゃあ次は前後を入れ替えてニュアンスを変えてみる。
「自撮りを共有したい。あわよくばいいねを貰いたい。」
だとするとどう。
これはさっき話した俺のパターンだ。
まず共有したいという欲があって、そのうえでいいねをくれる人がいたならばそれはありがたいこととして嬉しがる。
これは承認欲が先行した行動パターンではない。共有欲。とりあえず見てほしいという欲が先行した自撮り。まず自撮りを承認して欲しいという前提から違う。
承認するかしないかは別に見る人次第で決めてもらって構わないですというスタンス。
この例は自撮り=承認欲を満たすためという規制観念から外れている。
そしてもちろん
「容姿を褒められたいから自撮りをする」
というパターンもあるだろうね。
元来の解釈がちゃんと通るやつだ。
そういう人も当然いると思う。
でも上2パターンの人もけっこういると思うんだよなぁ。
感覚の話でしかないけど、認められたいとか褒められたいみたいな踏み込んだ欲求よりとりあえず見てもらいたい欲の方がありそうじゃない?俺の場合だとそうなんだけどみんなはどうなんだろ。
それから自撮りをする人というのはもれなく自分の容姿に自信がある人だという偏見もあると思うけど、これも微妙な気がする。
自分ベースの話が続いてしまい申し訳ないんだけど、俺は自撮りをするが自分の容姿に自信があるわけではない。
俺の目は綺麗な二重ではないし鼻は高くないし歯並びも良くない。
いわゆる整った顔ではない。から、他人にポジティヴな評価をされるかはわからない。自信はない。
でも、自分の容姿は全然嫌いじゃない。
むしろ好き寄りだ。
ちょっと前にダイエットして痩せて、筋トレを始めて筋肉が少しついてきたあたりからだいぶ好き寄りだ。
確実に今が俺至上いちばん洗練されていると思う。
だけどこれが他人に認められるかというのはまた別の話として捉えていて、そこは好みにもよるし、単に俺の思い込みで、側から見れば昔と変わらず全く洗練されていないように見える可能性だってある。
これも承認の話と同じようなことだけど、自己評価が他人から見た自分への評価にそのまま反映するとは限らないという感覚があって、他人がする評価に対してはご自由にどうぞという気持ちでいる。というかそうするしかないから。他人には他人の感覚があるから。
なので承認して欲しいとはあんまりならない。
感覚の違う他人という存在に、承認して欲しい!って願っても承認するかしないかは完全にそいつ次第でこっちはどうにも出来ないんだもん。
だからそれよりもっと前の段階の欲求として自分がいいと思ったものを共有してただ見てもらいたいという気持ちが俺の場合先行するんだと思うな。
何回も言ってしまうけど、承認して欲しいって本当に多くの人が思ってるのかな。
どうなの?
答えは分かりませんけどね。
俺と似たパターンの人は結構いると思う。
あとこの前言った、堀越千史さんという方(ページトップ☝️のnote参照)が自撮りについていいことを言っていたのにその記事が見当たらないよというやつなんだけど、あれ結局見つけられなかった。
俺の記憶の範囲で言うと何故自撮りをするのかという質問に対して
「自分の綺麗な状態を収められるから。」的な感じに応えていた記憶がある。
これはシンプルだけどかなり納得したんだよな。
自分のいいと思える状態を収められるのって、、いいじゃん。
自分の良い状態を記録したいというのは自撮りの根源みたいなとこあるな。
自撮り人(びと)のアンサーとして洗練されている感じがした。
こういう意味での自撮りは自己肯定にも繋がるだろうし。
それでいうと最後に自己肯定感を上げるライフハックをひとつだけ書いて終わりにする。
いつもそうだけど今回特に乱文になってしまった😞スマソ
スマホのアプリで「BAミラー」というのがあるんですが、これが何かというと内カメを左右反転した状態で写せるアプリなんす。
つまり鏡に映った自分じゃなくて他人から見た自分の顔を確認できるということ。
普通のカメラアプリでも写真を撮れば確認出来るけどとってから写真を見るまでラグあるじゃん。それにシャッター音なるの嫌じゃん。でもBAミラーはシャッターを切らなくてもアプリを起動すればすぐ、それこそ鏡のように扱える。(一応写真も撮れる。撮る時もシャッター音がならないから外でも自撮りが撮りやすいというのも良いポイント)
反転することでヘアセットのアンバランスに気づいたり、自分の表情の癖に気づいたりする。
これがね、最初はめちゃくちゃ違和感あるんだけど、自分の反転した顔を確認することを癖づけるとだんだん慣れてきて自分の容姿への違和感が薄まっていくんだよね。
他人から見た自分の顔ってこんななのかよ...と思っていたのが、いつしか全然普通になってきて、顔を見ても過度なリアクションが薄まっていき、気づいたら
「そうですよね。これが俺の顔ですよね」
となっている。
これが自己肯定です。
自分をそういうものとして肯定できるようになるんです。
いいでしょう?
おすすめですよBAミラー。
ぜひお試しあれ