最近、毎日走ってる気がする。
最近、なんだか毎日どこかで走っている気がしてきた。
まあ、朝が大の苦手の私は、元々毎朝のように遅刻ギリギリの通勤路を走ってはいたのだが。
ここ数日は、帰りも走っている気がする。
ひとつに、冬の北海道の天気が悪すぎるというのもある。
毎日当たり前のようにけっこうな雪が降り、そこそこ風が吹き、普通に気温が低い。
普通に吹雪かホワイトアウトかみたいな日も、ままある。
寒いんですよ。
走るってステキなもんで、吹雪にさらされる時間を短くできるし、動くことで暖かくなるし、運動不足解消にもなる。
一石三鳥とはこのことである。
この場合の石、私が失うものはせいぜい非常に疲れるということだけで、毎日部屋に帰って真っ先に暖房をつけたあとは、その前で温まりながらぜぇはぁと息を整えている。
帰宅のときだけでなく、ボランティアに行くときもほぼ必ず走っている。
(参照:【実録レポ】さっぽろ雪まつり 雪像作成ボランティア体験記①)
これは普通に、毎回遅刻している私が悪い。
ボランティアからの帰りの道は、流石に走る気力もないほど肉体労働に疲れ切っているので、とぼとぼと歩いて帰っている。
今日の帰り道は、そのボランティアからの帰り道だったが、やはり猛吹雪だったことに加え、明日のnote毎日投稿のための記事を書き溜めていなかったので、その焦りもあって全力ダッシュだった。
そう、なんだか最近、焦っているのだ。
ボランティアで就業後に2時間拘束され、noter活動のためになんだかんだ毎日1時間くらい。
そこに、仕事がなんだかバタついてきて残業時間が少しずつ増えている。
シンプルに、時間が足りないのだ!
noteを始める前の私(つい3週間前)は、暇さえあればYouTubeやらTikTokやらを見ている堕人間だった。
暇さえあればというか、動画を見るのが面白くてやめられなくて、気づけば暇がなくなっているのだった。
こうして文章に書いてみると、とんだダメ人間っぷりである。
まあ、今どきの現代人なんて大部分がそんな生活を送っている気がするし、そこにTwitter Xやインスタ、オンラインゲームなどなどをこなしているハイパー現代人も、山のようにいるだろう。
問題だったのは、自分でそんな生活に嫌気が差していたのに、なかなか抜け出せていなかったことだ。
別に、動画やSNSに時間を費やすのは全く悪いことではない。
それらに全力をかけて、推し活やネ友とのコミュニケーションを生きがいにして幸せに生きている人だってたくさんいる。
でも、こんなのはいけない、やめなければいけないと思いながらやめられないのは、だめだ。
理想自己と現実自己の間に差があればあるほど、自己肯定感は低くなる。
みたいなことを、大学の教育心理学か何かで習ったような、習わなかったような。
なので、noteを始めたことでほとんど動画を見る時間がなくなったのは、私にとっては良いことなのだ。
だから、多少の焦りはあれど、私は今の時間が足りない生活を、楽しんでいると思う。
確かに、やりたいことはこれでもかと山積みで、とりあえず2月中に取ると宣言してしまったJavaシルバーの試験勉強を始めなければいけないし、撮りためた旅行中の写真を整理したいし、次の旅行の計画も経てたいし、できなかった大掃除を少しでもやっておきたい。
基本的にマルチタスクが苦手な私は、今の仕事とボランティアとnoter活動でいっぱいいっぱいになっているが、どうにか少しずつ慣れて、並行してできることを増やしていきたい気持ちが強い。
むしろこの調子でマルチタスクを乗り切っていけば、それは充実感やバイタリティ向上につながると思うのだ。
時間とは命であり、人生はあっという間。
であるならば、すこしくらいは時間を有意義に使おうと頑張るのは、貰い受けたこの生を全うしようという、言わば人間の本能みたいなものだろう。
だらけたいという欲望もまた人の本能だが、せっかく良い滑り出しを切れた2024年、できるだけ高みのほうの本能に従って、やりたいことをやっていきたい所存である。
ということで、私はきっと、明日もどこかで走っているのだろう。
雪道は非常に滑るので、皆様もどうかお気をつけを!
サポートなんて頂けた日には舞い上がってドーナツ買っちゃいます。