とてもじゃないが人に「団地が好き」なんて言えなかった
@kikkawadanchi / 昼15時05分
団地と私
生まれも育ちも団地で、今も団地に住んでいる。
「団地に住んでいる」なら言えるのだけど、「団地が好き」は思わずはばかってしまう。
たぶん、団地は私の弱さを象徴する存在だからかなと思う。
私の世界は狭い
大抵の人は労働をしないと経済的に生きていくことが難しいし、世間体という数値で計れない何かにも、労働に向けて突き動かされている。私もそれにもれず日々労働をしていて、体をいためながら、ねぎらいながら、どうにかこうにか生きている。
私はまだ20代だから「なし得たいこと」が一般的にあって普通の年代だ。労働をしながら考えてみると、そんなのあるだろうか、私は何か成し遂げたいことがあるのか、という自問にイマイチかっこいい答えが出せずにいる。
一方で同年代には、世界で活躍する人もいる。既に海外で仕事をしたり、その視野が目線より高い方を見上げている人がいて、そういう人たちをツイッターやnoteで見るたびに、私にはこうは出来ないなという心境になる。
私の世界は、2LDKまでが精一杯だ。
狭い世界でしか生きれないという表明
前置きが長くなってしまったけど、まとめれば私にとって「団地が好き」というのは「団地が私の唯一の世界」という風なメッセージが込められている。
それがあまりに矮小な人間に思えて、なんともこれでいいのか?という心境になったこともあったが、最近は素直に「団地が好き」と言えるようになってきている。
これは「狭い世界だからこそ濃縮出来たもの」をいろんな人に伝えたいという思いが芽生えたからだ。
日本から人口が減っていく中で、広い世界へ視線を上げ続けることが出来る人だけが生き残れるなんて悲しいから、狭い世界の奥深さについて、団地から発信していこうと思っている。
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