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【最終回】#3 本当に「万人受け」するコンテンツなんてものはない(クッソ長いから気を付けて)

皆さん自粛お疲れ様です。だんまつです。今日も俺の暇つぶしに物を書き、そして皆さんの暇つぶしに物を公開していきますね。

そういえばさっき、2日ぶりくらいにタバコを吸いに近所のコンビニに行ったんだけど、近くを子連れのママさんが通りかかって少し罪悪感がありましたね。
で、そのママさんが子供たちに「コンビニの前でおとなしくしててね、出来なかったらあとでゲームやらせないから。」といってコンビニに入って行きました。これを聞いてて、やはり「」で子どもを支配するのは育て方としてあんまりよくないなあって思いました。その瞬間は親としては楽だとしてもね。

話が逸れそうなので無理やり本筋に戻します。まあ子育てとかの話は、俺ら世代でもそろそろ少し考えておいたほうが良いと思うし、近々記事として書きます。

それでは今日もYouTubeをやめた人の話をしていきます。一応今回で最終回のつもりです。次回はYouTubeをこれからやる人向けに心得みたいな感じで全体の総括をします。本編は今回でラストです。

前半は俺がYouTubeをやめるに至った決定的な事件について、後半はその事件を踏まえて俺が創作について感じていることを語ります。
言いたいことはほとんど後半にあるんで、興味ある方は目次の3.4.から飛んで読んでみて、ぜひコメントでご自分の意見を聞かせてください。色んな意見があって当然なので。

では僕の家庭環境とネットリテラシーについて。語ってイク

前回はこちらから。まだの方は先によんでね



3. 家庭環境と自分のネットリテラシーが引き起こしたこと

俺は話を聞いたあと、意気揚々と撮影を始め、ゴリゴリに編集して、動画を世に出した。

ここで重要なのは、過激なものといいつつも、YouTubeのコンプライアンスには反してなかったということ。年齢制限こそかかったが、動画やチャンネルが削除されたりはしなかった。ただ「年齢制限が、かかっていた」。

一応俺としても、世に出すモノとして、最低限の注意は払ったつもりだった。けど、ダメだった。

3.1. 俺の家庭環境

俺は、少し厳しめな父親と、とっても優しい母親と、思春期真っただ中の妹と四人で実家で暮らしている。今も。

父親は本当に不器用で、息子である俺とは受験勉強や就職活動の話題でしか話せない人だ。

YouTubeを始めた当初は、この不器用で厳しいながら俺の将来を最も案じている父親に、YouTubeをやっていることが発覚するのが一番怖かった

でも、一番気を遣うべきだったのは父親じゃなかった

思春期真っただ中の妹がいると言ったが、思春期の女の子にしては珍しく当時は兄たる俺ととても仲が良かった。一緒にご飯作ったりしてたし。

しかし、俺には見えてなかっただけで、妹もまた、学校などで思春期特有の相当なストレスを背負っていたようだ。

いつからか、反抗期のようなものが始まり、妹は父親や母親にきつく当たることが増えた。俺はこのとき、ただの反抗期としか思っていなかったけど、じつは半ば鬱のような状態だったそうだ。

そんなときに、俺の高校時代の友達の親経由で、母親に俺がYouTubeをやっていること、少し品のない動画を作っていることが発覚する

YouTubeという誰でも見られるプラットフォームでやっている以上、いつか直面する問題ではあったが、ここから地獄が始まる

3.2. 過激で斬新な動画は伸びる

母親は、とてもやさしく、ありがたいことに俺のすべての行動に寛容なので、YouTubeをやること自体には一つも異を唱えなかった

ただ、同時に下品な動画を出しているのも伝わったことで、そっちへの心配はめっちゃされた。「人様が不快になるようなものを公開してはいけないよ」って。別にYouTubeのコンプライアンスに反しない限り、何やったっていいだろ、それがYouTubeの良さだろって、すごい悶々とした。

ところで、昨日の最後の方に話に出てきた「過激で斬新な動画」なんだけど、想像通りめっちゃ伸びた。(俺的には。)

心も荒みきってて、何も見えなくなってた俺が、突然勝利を手にした。
友達もみんな褒めてくれた面白いって言ってくれた。「俺、これならいける、続けられる」って思えた。やっと

でも流石に同じような内容をやり続けるのは視聴者も飽きるし、コンプライアンス的にもちょっとヤバい気もしたので、違う方向から「俺のやりたいこと」と「みんながおもろいと思うこと」のちょうど真ん中らへんを探し始めた。過激な動画のおかげでモチベも俄然出てきてアイデアが無限に湧き出てきた。

このまま頑張れば視聴者ももっと増えるだろうし、実力がついたら、もう一度あいつらを誘って、今度こそみんなでやりたいな!

視界が開ききって俺は何でもできるんじゃないかって気さえした。やる気しかなかった

投稿頻度も急に上がって、それから2週間くらいは毎日のように動画を出し続けた。

視聴者も本当に少しずつだけど着実に増えていった

「これからやっと本気でYouTuberとしてやっていける」

って、思ってた。

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3.3. 閉幕

今考えれば、すべてのタイミングが悪かったように思う。

さっき話したは、俺が絶好調だった頃ちょうど、最も精神が崩れていた時期だった。

そんなときに母親から俺がYouTubeをやっていることを聞き、「動画に個人を特定できるものが映ってないか」気にし始めたという。正直俺だってその辺は配慮してたし、そもそも登録者50人そこそこの駆け出しYouTuberに何が映ってたってわざわざ俺を特定するために一体何人が動くんだって話。

俺には到底その心境は理解できないんだけど、高校生っていう不安定な時期のさらに一番乱れている時ってのは、そんなにも敏感なんだろうかね。

ともあれ、俺は母親にも妹にも「実家の特徴的なものは極力映らないようにしているし、ターゲットの視聴者層が若い男だから、あまり見て面白いものじゃないよ」ってのは再三にわたって言ってた

けど意味なかった。狂ったように「俺の動画のせいで自分が危害を加えられないか」気にしていた妹はついに俺の動画にたどり着いた

一応言っておくと、俺のチャンネル名とか、具体的にどんなことをやっているとか、一切家族には俺からは話してないです。わからないけど、妹はなぜか自力で俺のチャンネルを探り当て、そして、「過激で斬新な動画」を発見してしまった。

何も知らなかった俺はそのころ呑気に友達と旅行に行ってて、明日はどんな動画撮ろうかな、なんて考えながら帰宅した。

実家に帰ってみると誰もおらず、リビングには乱雑に置かれた紙の束があった。

なんとなく手に取ってみるとそれらは妹から俺に宛てられた手紙だった。
いや、「手紙」なんて呼べる代物ではなかった

「兄へ、今すぐYouTubeをやめるか、この家を出ていけ。それが出来ないのなら死ね。」「同じ家にこんなことをしている奴がいると思うと気持ち悪い」「私は鬱だと診断された」「鬱なのに受験勉強しなきゃいけない」「それなのに動画とか撮られてると邪魔」「不愉快」「声を聴きたくない」「顔も見たくない」「死ね」「消えろ」「気持ち悪い」

一行目を読んだ時点で気が動転してしまい、正確な内容はほとんど覚えていないが、こういった、俺に対する、あらゆる方向からの支離滅裂な暴言や苦言が、A4のメモ用紙3枚にわたってびっしりと書かれていた。

俺はよくわからない気持ちだった。悲しみでも、怒りでも、途方に暮れたとかでもなく、ただただよく分からなかった。疑問が多すぎて頭が回らなかった

そこからは、なし崩し的に家族会議という名の俺の裁判が行われ、両親からはYouTubeでの活動に厳しい制限をかけられた。

・対象の動画を削除すること
撮影は昼間、自分以外誰も家にいない時のみ許可する
・実家の様子が全く映り込まないようにグリーンバックを使用し背景を合成すること
今後見る人を不快にする動画を作らないこと。

俺のチャンネルの末期にゲーム実況が多く、実写動画は背景が合成されたものなのはそのせいだ。そして、学生の俺にはその時平日で全休のある日は無かったから、実質土日の昼間、偶然俺以外が買い物にでも出ない限りは撮影不可能になった。

この時点で絶好調だった俺のやる気はゼロになり、そして様々な制約を加えられることでマイナスに達した。完全に殺された

こんな家にはもう住んでいられないと思い、俺は必死に一人で住める物件を探した逃げたかった。妹から、両親から。

それでも母親は物件探しに協力してくれて、学校の近くにちょうどいい部屋が見つかった。

けれど学生だったから、世帯主つまり父親のサインが必要だった

まあ無理だわな。家族から逃げて動画なり何なり自由になりたいのがバレバレだったんだと思う。結局逃げられなかった

それからはあっという間で、やる気満々だった頃にめちゃくちゃ撮り貯めてた動画素材たちを淡々と編集して世に放ち、ストックが無くなった時には同じく俺の創作意欲も尽きていた。

以降半年、動画が投稿されることはなく今に至る

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3.4. 「見た人誰もが不快にならないもの、見た人すべてが面白いと思えるもの」ってそんなの無いだろ

ここまでが、俺がYouTubeをやめるに至った経緯です。

どう思います?

ちなみに俺は半年が経った今でも納得いってない

問題となった動画についてここで詳しくは話せないけど、確かに俺が悪い部分は間違いなくあるとは思う。けど。

なんだろう、過激とはいえ、年齢制限がかかる程度なんで、そこまでじゃないんすよ。実際。

その前提の上で、話をすると、まずは俺と家族の「面白い」と「不快」の感覚が全くズレてたのは原因の一つだと思う。

俺は今でもあの動画はめっちゃ好きだし、家族に見せたらめちゃくちゃ嫌われるだろうなとも思う。それは動画をとってた時と変わらない。

でもさ、それって当たり前じゃね?

全く層が違うじゃんか。そりゃそうだよ

例えばだけど普段イケメンとかかわいい女の子の「美容動画」「商品紹介」「1万円企画」みたいなのばっか見てる女がさ、急に「レ〇ゼン地球」とか見て、不愉快だと思わない訳がなくない?

逆にレ〇ゼンのファン層がさっき言ったようなフッツーの企画みても「おもんな」ってなるだろ。そういうことだろ。層が違うんだからそこは住み分けだろ。運営に許されてる範囲内ならさ。

だから、「すべての人が不快にならないもの、すべての人が面白いと思えるもの」なんて無いんだわ。理想論でしかない

例えばさ、まああり得ないけど100人のうち99人がその動画が大好きです。でも、1人だけその動画が嫌いでした。こんなとき、いちいちそのたった1人の「嫌い」って声に耳を貸さないだろ。普通。まあいまのネット文化における「アンチ」ってのは結局その「1人」なんだけども。

で、俺のチャンネルは、YouTubeアナリティクスっていう動画の分析できるページで確認してるけど、ただでさえ少ない視聴者のうち「20代」「男性」の占める割合が「100%」なわけ。

そしたら冷静に考えてブランディングとして20代男性にウケるような動画作るだろ?そもそも「10代女性」とか「50代男性・女性」に見てもらおうとして無いんだわ。

テレビならまだわかる。チャンネル数が少ないから、視聴者は見れるものが限られてくる。しかもほとんど全国民がテレビを持っているわけだから、「公共の電波」ってことになる。そうするとテレビに流す番組ってのは色んな層に配慮して作らなくちゃいけない。まあそれでも「ヒル〇ンデス」とか「メレ〇ゲの気持ち」みたいな平日の昼間にやってる番組は、あからさまに20~40代女性に向けた番組だよね。時代遅れだと思うけど。

で、テレビの話は置いといて、YouTubeはというと、チャンネルも動画も無限にあるじゃん。視聴者側は選び放題なの。だから、作る側は狙ってる層以外が見ることを想定する必要は無いんだわ。

ただそうなると流石になんでもやり放題になっちゃうから、YouTubeが「ここういう動画は作んなよ」ってルールを決めて、それに違反してる奴は消すし、ギリセーフなのは何らかの制限を受けるってこと。

さて、ここまで読んでくれた人ならわかると思うけど、実は制度上は俺悪いことなーんもしてないんだわ。

逆に、散々俺が「見ても良いことはない」って言ったのを無視し、年齢制限をかいくぐって、わざわざ俺の動画をみたくせに、見た途端俺に「消せ」「YouTubeやめろ」とヒステリーぶちかましてきたクソ妹は、さっきいった「1人」の「アンチ」でしかないわけ。

また同じ例になっちゃうけど、

美容系ばっか見てるAさんに、友達のBさんが「レ〇ゼンっていう、めっちゃ過激なことやってる人たちがいて、私は好きだけど、Aには合わないから見ない方が良いよ」って言ったとします。しかしそのあと何故かAさんはレ〇ゼンの動画をわざわざ見に行きました。すると案の定Aさんには合わなかったようで、「不快なので動画消してください」とコメントしてしまいました。

このとき、過激な動画を上げているレ〇ゼンが悪いんでしょうか?動画が消されていないってことはYouTubeのルールの範囲内で作られたものなんです。YouTubeっていう誰でも発信できる場所だからこそ、一番「表現の自由があるべき場所だと思うんです。俺は。だって「見ない自由もあるんだから。

「影響力が」「子供が真似する」とかよく言われてますが、創作物の影響で何かをするのは、受け取る側の問題なんですよ。受け取る側のリテラシーなんです。

じゃあ『ハリー・ポッター』の「ヴォルデモート」の影響でめっちゃ人殺す奴がいたら、それはJ.K.ローリングが悪いんですか?そんなわけ無いでしょう。そういうことだよ。

ただもちろん、発信者側も受け取る側の気持ちを考えて創作する姿勢は重要だと思います。でもそれも人類すべてだとキリが無いんで、層を絞るんですよ。ニーズが一番ある層にもっとも配慮して作るんです。そういうもんなんです。

だって、作り手がみんな、狙った層以外にも配慮し始めたら、すべての創作物がNHKの教育番組以下の内容になります。そんな世界つまんないだろ。だからみんな住み分けてんだよ。

だから、「見た人が不快になるようなものを作るな」って言われたときは逆に衝撃でした。人の親のくせに何も分かってねえんだなって。ただぼーっと与えられた創作物にしか触れてこないとこうなるんだなって。作る側の考えていること、気持ちを全く考慮できないのに創作物の恩恵だけ受けようとする人間は、はっきり言ってホラーであり害悪です

「何かを作ってから言え」とか言いたいわけじゃないです。みんな事情があるし。そうじゃなくて、創作物をただ茫然と受け入れるだけじゃなくて、背景にある作り手の意思とか、作戦とか、どんな層を狙ってるのかとか、そういうのを少し考えて創作物に向き合った方が、たぶん何倍も世界が楽しくなるよと言いたいんです。

これって、俺が若造だから、社会が見えてないからなのかな?大人になれてないってことなの?よくわからん。ぜひ他の大人の方の考えを聞きたいけど機会がない。

3.5. 最後に

長くなってしまったのでそろそろまとめに入ろうと思いますが。その前に。

さっきクソ妹と言いましたが、その通りです。きっと妹は俺のこと嫌いだろうけど、俺は嫌いとは言いません兄弟だから。でも俺も妹に対して怒ってますし許してません。

なぜなら、今長々と話した、作り手の意思と狙っている層、受け取る側のリテラシーといったことを全く考えずに、自分の「不快」という気持ちだけを押し通して正当化しているからです。許せない。

「不快」「嫌だ」「辛い」「悲しい」といった負の感情は、前面に押し出すことで正当化され、共感を呼び、凶器(狂気)になります。企業へのクレームとか、ある種の反社会的運動とかと一緒。

「気が狂って、わざわざ兄の動画を見なければ、こんなことは起きなかった」こと、「驚いたとはいえ、ありったけの罵詈雑言を実の兄に浴びせてしまったこと」この二点を反省することなく、「すべて兄が悪い」と主張し続ける以上、俺は妹とは話すことは何もありません実際半年マジで一回も口をきいてません。兄弟喧嘩とかそういう次元じゃないんです。

というわけで、また収拾がつかなくなりそうなので、今日のお話はこの辺で終わりにしときます。クッソ長くなっちゃったけど、ここまで読んでくれた人が果たして何人いるのか。笑

冒頭にも言いましたが、俺の創作に関する考え方について、「それは違うだろ」とか「確かにそれはそう」とか思うこと、自分なりの考えなど、コメントでどしどし送ってくれよな。

長すぎた。寝よ。ばいばい。


〈次回はこちら〉


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