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センター試験と偏差値社会

どうも。ダンチブロードキャスティングです。今日から最後のセンター試験が始まりますね。受験生の皆様には是非悔いのないよう力を出し切ってほしいものです。最後のセンター試験ということで、センター試験を含めた現在の大学一般受験について思うところを書いてみようと思います。

センター試験の最初の目的

あまり知らなかったのですが、調べてみるとセンター試験はもともと「偏差値社会/大学序列の是正」のために始まったようです。

1970年代、受験人口が増えたことによって受験競争が激化し、大学が奇問・難問を出すことで差別化を図った時代がありました。そうした傾向が問題視されて、高校の指導要領に沿った問題を出そうとして始まったのがセンター試験の前身、共通一次試験です。共通一次試験から採点効率化のためマークシート形式が導入されました。しかし、この共通一次試験がどうやら受験者一律5教科を受けなければならない試験で、偏差値社会や大学の序列化を助長したと非難されたようです。そこで、いろんな大学が一教科からでも自由に使える試験があったらいいじゃんということで作られたのが現在のセンター試験みたいですね。

けれど、当初の目的であった偏差値社会と大学の序列の是正っていうところに関しては実現されたのでしょうか。東大が一番、京大が二番という考え方はおそらく日本に住んでいたら全員持っている共通認識だと思いますし、早慶上智、GMARCH、日東駒専なんて言葉があるくらいには偏差値社会は未だ残っています。

偏差値社会の弊害

偏差値が重視されると2つの弊害があると思っています。1つは存在意義がなくなる大学が出てくることと、2つ目は学生の価値基準の画一化と選ぶ能力の低下です。

まず、1つ目。現在、大学に行くことはあまり珍しいことではありません。これはほとんどの人が高校へ行くようになった一億総中流の延長だとも取れますし、「大卒」という肩書を重視する企業による大学の就職予備校化とも取れます。多くの人にとって就職に必要なステップとして、大学が組み込まれたという図式です。大学が就職予備校化すると、就職する企業も偏差値の序列に置き換えられ、より良い大学、より良い会社、より良い人生って構図が成り立ちます。こうなったときに、学問を志しているわけでもなく、勉強もあまり得意でない人が、大卒という称号を得るためだけに大学へ入る意味ってあるのでしょうか。バカにしているわけじゃありません。ただ、大卒の肩書のためだけに大学に学費を払う意味も、4年間を費やす意味も、国がそういった大学を補助する意味もわからないという話です。大学に行くお金と時間を他のことに使った方が有意義な気がします。

なので、偏差値の上に大学を並べるのではなく、明確な目的のもとに大学と学部が設置されるべきなんじゃないかなって思いますね。

次に、2つ目。大学受験にも就職活動にも言えることですが、偏差値の上に置かれると上=良いという考え方になります。「AはBより良くて、Cよりは悪い」みたいな白黒ついたわかりやすい基準があると人は安心します。でもその結果、綺麗な序列の上でしか物事を判断できなくなり、より上、より上のランクのものを手に入るために努力します。就職活動で総合商社などの「良い」企業に人が殺到するのもそうした影響を受けていると言えるでしょう。

自分に何が必要で、何が必要じゃないかわかってないから、そういうことになるんだ。
宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年


宮台真司氏は、「これさえあれば十分」という考え方をしろと著作で述べています。自分の幸せのために何が必要なのか考えて、それを基準に物事を選ぶべきだ、と。この能力は『14歳からの社会学』内で、「選ぶ能力」という言葉で表されています。

偏差値や序列といったわかりやすい指標は、その指標の上を目指しておけばすべて報われるというような幻想を産みます。だから、学力における偏差値なんて概念はさっさと無くしてしまった方がいい。

最後に

なにはともあれ、目の前のセンター試験に向かって勉強してきた受験生のみなさんには頑張って欲しいです。みなさんがベストを尽くせますように。では。


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