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ANIとの悲劇〜前編〜

今日もお疲れサマ🍀
踊るスターシードASAKOでっす☆



今日は映画「Wの悲劇」風な
タイトルにしてみましたが〜 
(古過ぎて知らないかな〜😝)


前回の両親エピソードの流れから
今日は3つ上の兄との関係性についても
書き記していこうかと思います☆彡



まず始めに
結論から言わせて頂くと…


私と兄との関係性は
"悪い"を通り越して
"崩壊"していると言っても
過言じゃない状況でありまして


兄とはこの数十年会ってもいないし
"もはや私達は兄妹なのでしょうか?"
という関係性なのが正直なお話でっす😑


でも私の方は
そんな兄に対してのネガティブな感情は
長年かけて整理整頓してきましたので
今はほぼほぼ手放せてると思うので


今日は逆にそんな自分の過去の人生体験を
改めて俯瞰してみる良い機会でもあるかな〜
と思いながら書いております✍️✨



ということで☆
今日はそんな兄と私の間に
"一体何があったのか⁉️"というところを
お話してゆくことになるわけですが…


兄と私の関係性は私が幼き頃から
すでに"良好"ではありませんでした😑


私の中の兄といえば…


踊ったり歌ったりお芝居したりと
自己表現することが大好きで
自己主張出来る子ども時代の
私とはまったく対照的で


あまり自分の真の気持ちや思いを
表に出せない不器用なタイプ★


それでいて理屈っぽくて
すごくプライドが高くて
そしてとにかく幼少時代から
私に対してイジワルな人でしたっ★


そう…
あれは忘れもしない
兄のお誕生日会の日でのこと…🎂🎉🎁


確か私が3、4歳くらいだったから
あれは兄の7歳のお誕生日会だったのかなぁ🤔⁉︎


その日は兄の学校のお友達がいっぱい来て
私もテンションあげあげだったのだけど〜♬


そのうちの一人のハンサムなお兄ちゃんが
私のことを「かわいい😍かわいい😍」
と言いながらずっと遊んでくれて〜♬


「こんなかわいい妹ボクも欲しいな〜❣️」
って言ってくれたんです〜ぅ🥰
(注: 昭和の話なので「イケメン」ではなく、
敢えて「ハンサム」と表現しております)


すると兄がすかさずっ!
「こんなやつ!うるさいだけで可愛くも何ともないっ!!」と突如感情的に言い放ったんですっ😳‼️


その後兄は
私を遊びに一切入れてくれなくなりっ
近づくとみんなの前で私をバカにしました😱why⁉︎


3、4歳の小さき私は
そりゃあとても傷つきましたよ💔


"あたちが何したってんだい?"
ってさ🥲


なんなら私だって!
「こんなかわいい妹が欲しい♡」
と言ってくれたハンサムお兄ちゃんの
妹にマジでなりたかったよーーーーーっ😭😭😭


でもまぁ…
その辺の子ども(兄の)の心理は
私も人の子の親になったわけですから
今ではもちろん理解出来ますよ🤱


上の子はホント大変ですよね…。
言い方ちょっと癖強めかもですけど…


両親の初めての子育ての
実験台のようなものだし…

下の子が出来たら
我慢しなきゃならないこともいっぱいだし…

下の子"かわいい"って言われると
ヤキモチでイヤな気持ちになること多いだろうし…


でもね…


ここで私は敢えて言いたいっ‼️


下の子だって!
下の子にだって!!
上の子とは違った!!!
大変さがあるんやでーーっ😫‼️


とねっ😒


だってそれから私はっ
そんな兄から何十年と…


"俺はアニキなんだからっ!"
"お前は妹なんだからっ!"と…


何かにつけて執拗な「兄貴マウント」をとられ続け色々と搾取される幼青年期を過ごしたわけですからね…😭


もちろんこちとら!
納得いかぬことに対して
おとなしく黙っていられるタイプ
ではございませんのでっ
その度に抵抗反発してましたけどねっ😤


そんなすでに幼少期から
"ヒエラルキー主義"の兄にとって


一筋縄でいかない妹は
目の上のたんこぶでしかなかったんでしょう…😑



そんな私にとって"めんどくせー兄"が
両親にとっても"めんどくせー存在"に
なっていったのはおそらく兄が
中学生になってからだと思います…。


兄は両親のアートの
才能を受け継いだようで
幼少期から絵が上手く🎨✨


進路は両親と同じように
芸術系の学校に進学したかったようなのですが


なにせ子どもの頃から
偏屈で物事に融通が効かない上
プライドだけはバカ高い性格なので


学校の美術課題の提出物なども
自分の納得のいかないものは提出しないらしく


得意なはずの美術の成績が
悪かったみたいなんですね…。


それで自分の行きたかった高校に入れずで…
この辺りから彼の精神状態が不安定になり出し
両親との間でも日々諍いが絶えなくなり


それはもう側から見てても
めんどくせー状況が日々繰り広げられていました😑


でも私が観察&検証する限り
父と母の兄への対応の仕方にもやはり問題があって


なぜだかそういう時だけ夫婦団結して
ステレオ放送で説教をするんですよね…😑


例え夫婦が同じ意見だったとしても
そんなナーバスで繊細な息子なんだからっ


その場はせめて母だけは黙って見守り
後で父の意見や気持ちを愛を持って伝え諭すとか
もう少しフォローする側に回ってあげればいいのに…


とこれまた十二、三歳くらいだった私が
そう冷静に思いながら見てましたよね😑


まっ!
前回の母エピソードでご説明した通りっ


そんな優しい細やかな配慮が
出来る人ではありませんから
しかたないんですけどね…😑


結局兄は自分の希望じゃない
高校に入ったものの長くは続かず
途中で高校をドロップアウト★


その後「大検」を取得し
父と同じ難関校である芸術大学を目指すものの
一浪した末その大学にも入ることが出来ずで…


違う大学に入ったのですが
"こんな大学俺様には合わない!"
とまた訳わからぬプライドが再び発動し
結局大学もドロップアウトすることに…。


それからの兄は
部屋に引きこもりがちになり
(たまにバイトには出かけてたけど)


兄の部屋からは時々★
シャウトする声が聞こえたり…
ドンガラシャンと何かを
ひっくり返す音がしたり…


まぁ私から見ても兄の精神状態が
ノーマルじゃないことは決定的でしたよね…😑


大人になってから両親に
なぜあんな状態だった兄なのに
精神科で診てもらわなかったのか?と尋ねたらば


何度もそれは試みたそう…。


でもプライドが異常に高いので
本人が自分の異常性を認めず
そう言われることに対して大憤慨するので
説得するのがムリだった…とのこと。


確かに…
現代は発達障害などの解明もすごく進んで


そうした検査なども気軽に
受けられるようになってきているし
人々への認知も広がっているので


親子共にだいぶ抵抗感も
薄れてきてるとは思いますが


当時は「精神科」に行くことは
双方に色んな意味での一大決心みたいなものが
必要だったのかもしれませんね…。


今であれば
もしかすると兄は


物事に拘りの強い
「自閉症スペクトラム」とか


プライドが高くて
空気が読みづらいという
「アスペルガー症候群」
などと診断されたかもしれません。


この辺りのことについては
私も何をどうすれば正解だったのか分かりませんが…


兄が薬漬けにされなかったことは
結果よかったのかも…と今は思っていますが…💊



とまぁ!
本日もすっかり長くなってしまいましたのでっ💦


つづきはまた次回ということで
しばしお待ち頂けたらと思いまっす🙇‍♀️🙏✨







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