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日記:私の犬はカステラという

石坂洋次郎「私の犬はレオという」を読む。2歳の雄のコリー犬を飼った中年の男と、1歳半の牝のコリー犬を飼った中年の女が出会う話。どちらも独身で、強く他人を求める時期は過ぎている。生活に必要な一通りのことができるから、ひとつ屋根の下で異性と暮らす刺激よりも、同時に存在する窮屈さを強く意識している。2歳の雄のコリー犬の名前が「レオ」という。僕の実家の犬の名前は「カステラ」。僕がつけた。ずいぶん昔の話になるけれど、ある日家に帰ると、いるはずのない子犬が家の中を歩いている。家には誰もいない。「迷い犬?そんなことあんの?」と思いながら、足の間に子犬を寄せて撫でる。お父さんが帰ってきて「それもらってきたから」と言う。実家は長崎。子犬は茶色の雑種で、お腹のほうから背中にかけて茶色が濃くなっている。「うーん、名前はカステラだな」子犬を見ながら決める。犬を飼ったことのなかった僕はずいぶん経った今でも犬の扱いに慣れない。一人で散歩するのは好きだけど、散歩させるのは苦手だ。僕の好きな方向に行けない。首輪をつけられているのは犬だけど、ほんとは僕の方にそれがついていて、「こっちにこい」と引っ張られているような気がする。僕は「あれをやれ」「これをやれ」というしつけに向かないタイプだ。それでも家の中で一番被害を被ったのは飼い猫のロベカルだろう。長毛の白い猫。飼われている動物(人間もそうなんだけど)として家の中で独壇場だったところに犬が加わる。猫がどう思っているかは分からないけれど、楽しそうな顔はしてなかった。2人の中年の男女は婚約したけど、すでにお互いが確立してしまっているので、完全に心を許す付き合いは一生できないだろうと考えている。ここで物語は終わる。中年の独身っていったら僕も同じだ。悲観の少ない物語がいいなと思った。

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