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内田あぐり在Existence を拝見して

「身体」をキーワードに活動、文化芸術に携わる方々に共有したいと思いnoteします。

埼玉県東松山にある丸木美術館でいくどとなく体感してきた沖縄戦の図

沖縄今帰仁村へ4年間かよい身につけてきた

古典琉球箏曲や唄、踊り

沖縄愛楽園での人々の暮らしにふれたり

内地ではみえない日常ベースでおこるみみを疑う

事件の数々…

これまで

今帰仁村に暮らしながら見聞きしてきたことを

身体表現をするものとして、

沖縄と埼玉をフィールドとし行き来しながら

関連イベントクロージングトーク「表現とこれから-沖縄の地で考える」に参加したこをきっかけに振り返りながら回想する。


イノチとはなんだろう?

わたしは、

沖縄をつうじてなにを考えたのだろう?


新しい命をはぐくむ女が与えられた身体の偉大さと

それをあっけなく破壊する闘いに圧倒され

それでも

これでもか

これでもか、と

生きようとするイノチの存りよう。


自身が女であるからだを纏うことをいとましく感じ

女体とイノチと破壊のはざまで

己が女であればうみだせると錯覚していた「命」

己が作家であればいつでも、

いかようにもうみだせると過信していた「作品」


「つくる」と言う行為自体がおこがましくおもえ

劇場空間にて舞踊作品を発表することへの違和感をおぼえるようになり久しい。沖縄にあうことでこの感覚は加速の一途をたどり「うむ」と「つくる」の距離ははなれるばかり…踊る、と言う行為は、作るより、地肉をわけてうみだす感覚にちかいからではなかろうか。ここにノート的に記しておく。


自分は現代において

作品制作をするなかで

はたして

己や社会を

うみだしているのか

はかいしているのか


循環のとだえた暮らしや文化芸術に終止符をうち

生存権と文化権をとうとぶ

生きる道はないのか…と。


それでも生きろ!

おれをみろ!

わたしをみなさい!

決してのびることをやめない山原のように

決してたえない波打際の潮騒のように

決してとだえぬ男女の性行のように

わたしのカラダをつき動かすような美しくもくるおしい亜熱帯の山原の偉大さと同等、いやそれ以上の躍動と平穏を内田さんの作品群のなかにみました。


一見とまっているかのようにみえる静止画のような社会のあれこれも

よどみこびりつき一転の機をのがしてしまう

ひとの価値観も

さまざまなカタチに姿をかえながら

唄や踊りのようき

ときにやさしく

ときにくるおしく

ときに滑稽に

生き続けようと躍動するイノチを表現された作品群


佐喜眞美術館さんの作品群やアーティストさんと

対話するなかで

自分のなかで

おくればせながら

女のからだを与えられたことをようやく容認し

つつましくやかに生きるのもよいではないか、と

以前より沖縄に歩みよれた気すらしています。


今回の展示をつうじ、

ワタシの体さんと沖縄さんは前より少し仲良くなれて

「うむ」と「つくる」のわだかまりも緩和し

いまは、お互いの表現の種となりあい、

イノチの息吹をふきらなす音に耳を傾けられるようになった。


わがみ つでみちど

よそのうえや しゆる

むりするな うきよ

情きばかり


帰り道では、

仲間節がどこからともなく聞こえてきた気がしました。この体験は、明日からのわが身の表現の糧にします。


長期間にわたり
展示開催をおつかれさまに御座いました。
様々な状況のなか、ご苦労も多かったと思います。スタッフさまにも御礼申し上げます。


文責:小林三悠

埼玉県比企郡滑川町福田両表10-1

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