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ケアホームあすくん家の縁側からはじまる舞台芸術プロジェクト ART ExChange#001 介護亭楽珍 内村英徳さんインタビュー

こんにちは。
あすくん家の縁側からはじまる舞台芸術プロジェクト担当の小林です。この記事では、2022年8月7日に実施したあのよ〜エンターテイメント代表、内村英徳(うちむらひでのり)さんのインタビューをお読みいただけます。レポートを始める前に、はじめてページに訪れていただいた方のためにプロジェクトについてちょっとご紹介させてください。そもそも、縁側からはじまるプロジェクトってなんでしょう。

縁側からはじまる舞台芸術プロジェクトとは?

埼玉県比企郡西部における自然と人と社会をつなぐプロジェクトです。比企郡丘陵に広がる壮大な自然を舞台に、地域福祉、ものつくり、国際交流など既に活動を行っている人と、これから行ってみたい人が出会う機会を創出する取り組みを行っています。拠点は、埼玉県比企郡嵐山町にあるケアホームあすくに併設するアートサロンです。あすくは、埼玉弁で”あそこ”の意。近隣の人らがホームへ気軽に「あすくん家いくべ〜っ!」と言っていただけるような存在になれば、と立ち上げた職員さんが名づけられたそうです。

■縁側からはじまる舞台芸術プロジェクトsince2021

皆さんは、あすくん家に素敵な縁側があることをご存知ですか?
縁側は陽当たり良好、本を読んだり、買い物をしに来たついでにちょっとホッと一息つくのにも絶好の場所です。散歩で行き交う人がサロンの絵を見にふらりと立ち寄ったり、本を読んだり、時にはコワーキングしたり。。。楽器練習をしたりアロママッサージをしたりなんてこともできます。

私は、この縁側に魅了されてここに住んで見たいなー、ゆったり過ごしたいなー、作品も飾りたいなー、なんなら、作品制作もしたいなぁ、と思っている近隣住人の一人です。2020年春頃から、縁側アートサロンの活動を始めましたがケアホーム自体は10年以上前からあります。木材で有名な隣町のとき川町さんの木材を利用してあすくは建設されました。

ART EXCHANGE リサーチ とは?
そんな、縁側からはじまる舞台芸術プロジェクトでは、ケアホームの住人さんをはじめ、嵐山町民さんが気軽に舞台芸術に親しむ場をつくろうと、様々な切り口で集いの機会を創出しています。ART EXCHANGE はその取り組みの一つです。が、今日は、合わせて他の4つの取り組みも併せてご紹介させていださい。

(1)Engawa de…

「観る側と演じる側」、「企画する側と参加する側」、「支援する側と支援を受ける側」という様々な側を行ったり来たりする中で立場を超えるお付き合いをする場所です。あなたの好きを持ち寄り、交換することで、思いを伝え、共有する場とします。また、あなたのやってみたい! を縁側で叶える場でもあります。

縁側で楽器つくり
初めての共同作業^^

(2)Artist inグループホーム

「ものつくり」や「身体」を主軸に取り組む職人さんやアーティストが一定期間滞在し、比企郡の土地柄や人柄に触れながら作品制作や仕事作りをします。また、滞在者には、近隣住人から相談されたこと(お困りごとや技術の伝授など)について、住人同士や滞在者を交える作業場を設けます。日頃のお悩みの解決やワクワクの増殖が起こるかも?しれない場です。

グループホームとデイセンターで連携創作をやってみる
アーティストがグループホームにやってくる

(3)ART ExCHANGE リサーチ

埼玉県比企郡西部、また近隣での様々な活動を広く共有するため、芸術文化による共進化社会つくりに取り組む個人、団体等を調査、インタビューしそれぞれの課題や得意を共有し、お互いの願いの実現をするコミュニティーを創出します。また、インタビュー内容や交換の例をnote等で紹介しています。

思いを聞き、語り合う

(4)ART MEETs & JAM

 自ら足を運び、行動するかっこいい大人や子どもが出会う機会をつくり、共に「創造」する楽しさと苦労を真近に体験し、未来のクリエーターの芽を育む場所とします。令和2年からは、メディア・アーティストさんと金属系職人さんに来ていただいてます。

ものつくりの醍醐味を体験
ゼロからつくる楽しみ
形が現れる

(5)縁側ArtPal

 埼玉県比企郡で芸術文化活動をしている、または、これから行おうと考えている方を募集しています。パルは、Pal=仲間の意味です。国際交流や芸術文化に興味がある。記録、編集作業、舞台制作、その他縁側からはじまるアート活動にご関心のある方も大歓迎です。

話すことから始めよ〜

今回は、ART EXCHANGEの取り組みとしてあのよ〜エンターテイメント代表にて、ケアマネージャーでありながら創作落語をされている内村英徳(うちむら ひでのり) さんにインタビューしました。

落語中の内村英徳さん

あのよーエンターテイメントができるまで

内村さんは、ケアマネージャーになられたことをきっかけに、創作落語を披露することによって人が最期まで、その人らしく生きる大切さを伝える活動に至りました。それでは、インタビューをはじめます。


あのよ〜 エンターテイメント



福祉職員以外の肩書が活動しやすい

(小林)今日は、「あのよ―エンターテイメント」代表にてケアマネージャーでありながら創作落語をされている内村さんの人となり、また謎のエンターテイメント集団!?あのよ―エンターテイメントの活動について迫ってみようと思います。

ケアマネージャーで創作落語家という役職を伺うだけでも突っ込みどころ満載の組み合わせですよね。そもそも、”あのよ―エンターテイメント”と言うワードが気になりますけれど、これはどういう?

(内村)
正直あのよ~エンターテインメントができるまで は、落語を始めていく中で、だんだんと知られるようになり広がっていくと 呼ぶ側と それを認める主催者側で、 「それ誰なんですか?その人?」という事になっていく。その中で、「ええ 特別養護老人ホームなゆたの副施設長なんです!」という肩書はちょっと弱い!なんでもいいから 代表とか 社長とか CEO とか 研究所所長とか実態はないにしても勝手な肩書が欲しい。

要は「箔をつけたかった」 というので、あのよ~へ行くことの支援やあのよ~へ行くまで楽しもうぜ という事で、「あのよ~エンターテインメント」ができたんだけどね。そこで 落語の講演などもそれに乗っけている感じかなぁ~

(小林)
なるほど。肩書きが弱いって感じる辺りが、面白いです。こちらからすると、ケアマネージャーされている副施設長って、肩書として弱いとは思わないですけど。

それって、
福祉職員以外の、肩書がある方が活動しやすい、というか、他者に伝えられることをすんなり伝えられそう、みたいか感覚があるからだっりするんですか?

(内村)
それもあるかもね。施設や職場を背負っていくとかえってやりにくい事もある。あくまでも個人的な活動にした方がやりやすいところもありますね。

(小林)
なるほど、では、あのよ〜エンターテイメントに所属?する方は、様々な立場、役職?の方がいられるのですね。例えば、どんな方がいらして、活動の中でメンバー同士のどんな化学反応が働いていると思われますか?

(内村)
萬田緑平という医師。彼は緩和ケア萬田診療所の医師である。彼は「本人の好きなように最後まで精一杯生きる手伝いをする緩和ケア医師で、彼の元を訪れ最後まで自分らしく精一杯生き抜いた人たちを映像にして、講演活動をしています。最近では、自分がその講演会の前座として落語をし、笑ってから泣くというジェットコースター講演会を一緒に回り活動しています。

そんな彼と知り合い、意気投合し、酒を飲み、ゴルフをし、彼はスキー、自分はボードでスキー場へ出かけ、そこで、仮装をして滑りました。これが、想像以上にウケた。そして、やっている方が俄然楽しい!仮装の下は50過ぎおやじなのに若い子から子供まで、キャーキャー言われて、写真を撮ってくれとせがまれる。悪い気は当然しない。だって、そんな事普段の生活の中にはないんだもん。

楽しい事。楽しいと思える事 楽しそうな事 やってみたい事をいくつになってもやろう!年をとってもいくつになっても楽しい事をやり続けよう そしてそれを発信しよう というのが、「あのよ~エンターテインメント」の始まりだったと思います。名前は付いていなかったかもしれない。名前は、落語を始めだして、少し、お声がかかり始めたころ貴方は誰ですか?と言われたときに何か箔がつくものが欲しい 「代表」とか「社長」とか「会長」とか「院長」とか なんでもよかった。

実際に活動なんてなくても良かった。そこで、何か名前を考えようと言事で、酒の席で出てきたのが、「あのよ~エンターテインメント」だった。あのよ~へ行くまでのことを楽しくエンターテイナーとして、演出していこうという意味も含まれている。こんなことが、あのよ~エンターテインメントの始まりだと思う。

(小林)
じわりじわりと、この形になっていったのですね。
それで、初めからずっと気になっていたんですが、色々な表現手段がある中、
どうして落語を選ばれたんですか?

(内村)落語は、習ったこともないし、もちろんやったことも無かった。好きで、子供のころから父親が聞いていた落語を一緒に聞いており、落語というものも知っていたし、家族で寄席に行ったこともあったぐらいの親しみでした。それが、NHKの「落語ザムービー」という番組があり、落語好きでもあったので、録画して観ているとこれに娘がはまり、親子で落語を見に行くようになりました。東京にある
4つの寄席に始まり、次第にお気に入りの落語家さんの独演会などにも顔を出すようになり、落語熱が再燃した感じになりました。

(小林)落語は、内村さんにとっては馴染みのあるエンターテイメントだったんですね。そこから、ご自身も落語をするようなるまでにはどんな経緯が?

(内村)そんな折、あのよ~エンターテインメントでのカオナシツアーの帰りの車の中で、「落語をやってみたいんだ」って話になり車内で古典落語「粗忽長屋」をやってみた。上手ではなかったが、おもしろいじゃん ってことになり、落語への興味が湧いてきました。

その当時、興味があり、取り組んでいた「認知症」への介護者サロンの活動も相まって、認知症の落語がなんとなく自然に思い浮かんで創作落語としての形がついてきていました。それと同時期に以前から仲間たちと活動していた「高崎緩和ケアネットワークの会」というのがあって、参加していました。この会が年に一度市民向け講座として、イベントを企画して、発信していました。その中で、「自分の死を見つめる」をテーマとした「サンズリバーサイド」という演劇をやってみようじゃないかということになり、脚本を作り、自分でも演じることになりました。

(小林)そこで、落語と介護の接点がでてくるようになるんですね。
    でも、脚本なんて誰でもかけるものじゃないですよ。今までにご経験は?

(内村)書いたことなんてないけどなぜか結構すらすらと書けたんですよね。
    今思えば、少しそんな思いを持っていたのかもしれないけど。


(小林)なるほど。
    その時の演劇の脚本についてもう少し詳しく教えていただけますか?
 
(内村)三途の川のほとりで、死を迎えこれから川を渡り、向こうの世界へ行こうとする人たちを何かと案内する水先案内人の「みずさきあんない」とそこにやってきた「小池君」との掛け合いが、中心に展開していきます。自分が死んだことに気が付いていない小池君 死んだことを説明し、これから三途の川を渡ることになると説明する水崎。お寺の宗派何かと聞き、それなら3番乗り場へ行きなさいと3番の札を渡す。

しかし小池君は、何も準備をしていないので、船に乗る船賃を持ってきていない。準備ができていないじゃないかと怒られる小池君。自分が死ぬのに準備なんかしてくるのか!と苛立つ小池君にいろいろな人がいるんだよと 船着き乗り場で待っている3人の死に際を「ライフレコーダー」なるものを使って説明してくれる。

(小林)へ〜、面白い!三途の川なのに、ライフレコーダーとかそこは、すごい文明感じるところが、現代の自分の生活とつながっている感じがして親近感ワクワ〜。それでそれで?

(内村)1人目は、自分の人生を自分らしく準備し、しっかりと畳んできたプロのやり方。2人目は、何の準備も何の話し合いも家族としてこず、望んではいない苦しい延命治療を受けて、亡くなってしまった。口に挿管チューブが入って、点滴をしている方。最後3人目は、すさんだ、やさぐれた生活をし、家族からも世間からも見放されてしまい、望んではいないが、一人寂し最後を迎えた人 各々の映像を見せられ、何も考えてこなかった自分を反省する。水崎からは、死を見つめる事は生きることを見つめる事。大事なことだと知らされる。そして突然。妻に起こされ、自宅のソファーで寝ている小池君。なんだ夢かよ! 

びっくりさせんなよ とポケットに手を突っ込むとさっきもらった3番の札が
出てくる。夢だったのか?本当にあそこまで行ったのか? はっ!と気づいて、妻を呼び、大事な話があるんだと水崎から言われた 死を見つめる事の大切さ 死を見つめる事は縁起が悪いことではないとことを妻に話、しっかりと見つめ準備し、最後は家族写真を撮るシーンでEND となる。

(小林)ひや〜、壮絶!でも、ちょっと擬似体験的に思えて死際を思わず考えさせられる内容ですね。

(内村)こんな脚本を書き、素人の仲間たちとわいわいしながら演じて、撮影して、編集して、イベント当日に演じて、すごく楽しくて、すごく評判も良かった。
良い話しだと思ったし、何せ自分で書いているのだから言いたい事 伝えたい事は盛りだくさんだ。いろいろなところで、多くの人に知ってもらいたいと思ったが、キャストも大勢いるし、そうそうみんなで、出向いて演じるわけにはいかない。そこで、「そうだ 落語にしてみよう」と思い、創作落語「認知症」に続き、当初は「サンズリバーサイド」とう演目で、作ってみた。

(小林)確かに、演劇ってたくさんの役柄とか場面変換とかあって、そもそも介護施設内では、いつも演者を集めるわけにはいかなそう。。。

(内村)そのイベントにも来て演劇を見ていた萬田緑平にあのよ~エンターテインメントのやはりカオナシツアーの帰り道にあの演劇を落語にしたい。と言ったらじゃあ今度一緒に講演会の前座でやろうということになり、声をかけてくれるようになり、今では、月に数回のペースで、萬田緑平講演会の前座に出させてもらっている。車の中で、おもしろそうだなぁ~と語っていたことが、現実となり、一つ一つ形になっていった実感を持っています。いくつになっても楽しいことにチャレンジして、新たな自分にチャレンジしていく、そんなあのよ~エンターテインメントでもあるのです。

(小林)あのよーエンターテイメントは、参加してくれる方にとっても、内村さんにとっても、新たな自分にチャレンジする場でもあるってわけか。生きる場所をいくつか持ってるって徳かもしれないすね。


(小林)福祉職員の肩書だけれは語りきれない立場やキャラクターを生きることによって、内村さん自身も自分自身に驚き、違うキャラで福祉を語ることによって、相手からは、福施設長でいる時とは違う反応も出てきて、その反応を楽しんでいられるようにも感じられますが、、、


(内村)落語家ではなく あくまでもケアマネ僕は、本物の落語家さんじゃない。口では、「ケアマネのできる落語家を目指しています。」とは言うものの本職の落語家さんのように厳しい前座修行を費やして、落語の道を極めているわけではない。本当の落語家さんをしっかりとリスペクトした上で、本物の落語を聞きたいのなら寄席に行けばいい。落語家の落語を聞けばいい。じゃ 僕がやっている事の意味は何だ! 僕がやっている強みは何だ!本物の落語家に負けないものはなんだ?と考えた時に、それは、自分が経験し、培ってきた。

見てきた事 介護の世界で感じたこと。介護の世界で教えてもらったこと。ケアマネとして関わり、人生の最後を見せてくれて、老いる事や死ぬことを見せてくれたこと 教えてくれたこと これが僕の僕にしかできない オンリーワン的 創作落語なんだろうと もちろん 本物を目指して、笑いもあるけどやはりメッセージもある。落語というものを使って、自分のメッセージを伝える。

それが面白い中でも伝わり、跳ね返ってくる。僕が言わんとしていることがちゃんと伝わっていることが確信できると自信にもなり、徐々にやっていることに自信と信念が加わり、上手くなってきたように自己満足、自画自賛しています。

(小林)あくまで、ケアマネか。そこは、外さない土台というか確立されたアイデンディなんでしょうかね。ちょっと、関心があるのが、創作落語を演じる内村さん、という立場と、ケアマネで福施設長である内村さんが伝えたい”介護”って中身は、同じ”介護”を語られているのでしょうか。

死ぬ話ではなく、生きる話をしている

(小林)あのよ〜エンターテイメントは、終末期のケア現場の思いと、ケアマネージャーとして伝えたい人の生き方の本質みたいな思いが重なり生まれた活動なんですね。そんな風に創作された落語ですが、落語を披露していてみている方は実際どんな反応を示すか、気になり出しました。もし、予想外の反応とか印象的なエピソードとかあったら聞いてみたいのですが。。。

(内村)「あの世に行ってみたくなった。」という言われた方がいたなー。落語、三途の川の渡りかたの中では、あの世には、地獄がなく、楽しいところ。そんでもって、ワンダーランドが待っている、三途の川なんか、豪華客船で優雅に渡っていくという設定になっています。あの世は、死は、終わりの場所じゃないという思いが伝わっているのかなーと思います。

(小林)確かに、以前私は三途の川の落語を拝見していますが、見終わった後は、あの世が今の生活の地続きにある様な錯覚!?を起こしました。登場人物や今はやっている歌や普段使っている携帯のアプリまで登場したりして、自分が今の世に生きていて普段から耳にしたり、出会ったりする人たちが落語の中の話にもちらほら出てくるものだから、未知の世界だと思っていた死んだ後のことが、あまり特別の様なものに感じられなかったんですよね。

内村さんの落語


青空落語 
大笑い

(内村)最後は死にたくなくて、怖くて、少しでも長く生きるために自分の人生の中で喜びも削りながら長くしようとしている。最後は、自分の意思ではなくて、家族の意思になるから、とにかく長生きさせて下さい!と(本人が生前願わなくとも)長く生かされる。医療は、心臓を動かしていることが医療だから、と延命治療をする。でも結局死んでしまうし、終わりがいつかある。でも、これが終わりでないとしたら、そんなに長くしなくてもいいのかもしれないと。。。

“経済ジャーナリスト 金子哲雄 さん”が奥様に伝えたエピソードがあるんだけど。(金子さんは41歳で、がんで亡くなられています。)奥様は、旦那様の死の訪れが不安だったそうで。。。でも、ある日、奥様にこういったそうです。「(僕が死んだら)いつも着ている服で、あそこの角で立ってるから。」ってそうしたら、奥様は、ここが終わり、もう2度と会えない、と思うのではなく、残された側も辛くなくてすむ、と思えるようになったそうです。

長生きをするのは、悪いわけではないけれども、図らずも病気になる人もいる。けれども、自分の人生をどう生きていくかに人生を費やせるのであって、死なない様に今の時間を費やさなくてもいいのかも、だってまだ向こうがあるんだから終わりじゃないんだもん。こっちは、そんなことを考えずに生きたらどうなんだろう、と考えています。だから、俺の落語は、死ぬ話ではなく、生きている話しているつもり。そう、落語を聞いた後、これは生きる話なんですね。って言ってくれる方もいる。

(小林)あの世、と言いながら、死んだ後のことを扱うのではなく、実は、今の生き方や時間の過ごし方を再考させてくれる機会を創出するエンタメなんですね。
これからどんなネタが作られていくのか、益々気になってきました。これまでのネタは、認知症、三途の川の渡り方、などありましたが、今、作ろうとされている新作など、あるのでしょうか。

新作について

孫とおじいさんのネタを考えてるかなー。みんな認知症のことを、忘れた忘れたって言うけれど、記憶って入れて、留めて、使って初めて記憶と言える訳だから、実際は忘れていないですね。だって、初めて聞いたことばかりなんだから。

ネタのオチとしては、家族が散々認知症の行動や言動に振り回された挙句に、実は、おじいちゃんは認知症の真似をしていたというお話し。おじいちゃんは、最後に「認知症の真似も楽ジェねーなー!」とか言っちゃって。お爺ちゃんの言い分としては、いつ認知症になるかわからないから、家族にどんな扱いを受けるかもわからねーし、尊厳ある介護を受けるには今から、練習しておいた方が良いと言う企みなわけ。

そこで、そばにいるお婆ちゃんが、
「えーじゃーわたしもやってみようかしら?何から真似すればいいの?」って乗ってくると、お爺ちゃんは、「バーさんは必要ねーよ、何もしなくていいんだよ、十分認知症だから」っていう落語。

(小林)これは、ぜひ聞いてみたいです。出来上がりが楽しみだなー。実は、うちの父親も認知症だなんていれていますけれど、10数年経って、母親が失くしたメガネなんかを電話越しにピンポイントでズバリと場所を言い当て、母親を唸らせたりしてます。診断された当初は、お父さんの記憶がなくなっちゃうお父さんがお父さんじゃなくなっちゃう!わー!なんてジメジメしていた母親が自分も忘れっぽくなって、父親に助けられたりして、なんだこの状況は”って思って苦笑いですよ。

 あ、そうそう話は、変わるんですが、実は、グループホームにいる職員さんと話している企画があります。内村さんは、ケアマネージャーとしての立ち位置で経験してこられたことや伝えたいことを落語という表現メディアを使って絶妙なスタンスで語られているなー、と感じるので、内村さんに相談してみたいなと思うんですがいいですか?

利用者さんやご家族を取り巻く日々日々のことをネタに漫才か落語をやってみたらどうか、と言う話がありまして。。。何か、これから活動する中で支援者さんにエールというか、心得ておいた方が良いことなどありましたらアドヴァイスいただけないかと。

落語家ではなく、あくまでケアマネ

(内村)まず、自分は落語家ではない。俺がやる落語って何か。俺が落語を通して伝えられることって何か、を考えると介護について落語を介して伝えることは、沢山あると。

落語をやるんだけれども、ケアマネ。って言うところから何ができるんだろう?俺は仕事を通して教えてもらったことを伝えている。俺が利用者さん達と関わって、教わってきたことが沢山あって。その人たちは、亡くなっていった。認知症を患って、利用者さんを甲斐甲斐しく介護しているお嫁さんや家族との別れがあったり、いろいろなことを介護を通して最後を迎えてもらえた人もいる。そう言うベースから俺が教わってきたことを伝えるってことは、その人達が生きてきた証にもなっている。それが俺の仕事の大切なところだと思う。

家族のとか、子どもに出会えたことによって感じたり、受け入れたものを次の人たちに伝えることは、障がいとか子どもとかが生きてきた証になると思っている。ただ単に生活をしているだけでなく、介護を受けてきた、認知症になってしまった、認知症になったことで教わったことを通して認知症になった人の価値がついてくる。それを伝えることが、俺がやっている1番のこと。

(小林)認知症の人の生きた証、障がいのある人の生きた証、共々に伝えられることはありそうですね。

(内村)恥かしがることは、ないと思うし、信念持ってこれでも精一杯生きている人たちの発信する力は必要だと思う。

(小林)内村さんのお話を聞いていると、否定される生き方はないのかなって思わされます。

(内村)なんで私が、なんで障がいに、なんで死んじゃうの?と、答えのない答えを探して、おんなじところでモヤモヤしてる。もうしょうがないじゃないか、と言うことで、でもそこから発生すること、派生していくものはないか?と、前向きに考えていった方がいいのじゃないか、と考えさせられることが多々あります。そこで、自分は何を発信しようとしているのかを考える。

大きなヒントを現場で感じたとき、
自分が感じたヒントを誰かに語らせる。
誰にでもなれる、誰にでも伝えられる。
シンプルに落語は、それが可能だ、と感じます。

(小林)自分が語っているのではなくて、伝えたいことを登場人物やシチュエーションに語らせることができるのが創作落語の醍醐味なんですかね。 確かに介護や福祉従事者にとって表現者になるってハードルが高い感じがします。けれど、日々日々の支援や現場の中で感じ取ったことで伝えたいことを登場人物やあるシチュエーションで語らるのであれば、、、ハードルが下がる気が知れませんね。

内村さんの
自分は落語家ではない。
俺がやる落語って何か。
俺が落語を通して伝えられることって何か、
を考えると
介護について落語を介して伝えることは、沢山ある

と言う言葉は、印象的だったなー。
けれど、やっぱり素人が笑いをとるって、結構ハードル高い気がしますけど、、、

(内村)実は、落語だからって笑わせなくてもいいって言う面もあるんですよ。
情でじんわり人の人生を語らせることもできる。

(小林)そうなんですか? 情でしんみりとか〜。大爆笑を狙わなくてもいいんですね。あ、でも、ややもすると、創作落語をつくっているとそう言うことを笑いにするな、とか言われたことはないんですか?

(内村)そこに戦える、そんなことを言っているあなたが古いんだ。私たちは、生きているって言うことを普通に出しているだけです。障がいのある人をって言うことを言っているあなたの目自体がもう偏見なんではないですか?と問い返す力と信念を持って、臆することはないと思う。

(小林)これは、表現者の自分も勇気をもらえる信念のような気がします。
今回の夏の創作落語鑑賞会とワークショップは、延期になりましたが、
秋頃には、ぜひあのよ〜エンターテイメントの創作落語をケアホームの皆さんや近隣町民の方々にも体験していただきたいと思っています。
本日は、有り難うございました。

新しいネタも楽しみにしています。
(文責:小林みゆき)


社会福祉法人昴 地域連携アートコーディネータ
小林みゆき(アーティスト名:小林三悠)
この事業は、社会福祉法人昴さんとパフォーミングアーティストの小林が
連携し進めています。

■縁側からはじまる舞台芸術プロジェクトsince2021

■社会福祉法人昴

■パフォーミング・アーティスト 小林三悠
埼玉県比企郡滑川町在住、パフォーミング・アーティスト

「身体をどう扱うかは社会問題に直結する」という考えを主軸に、踊りと民俗芸能をベースに活動しています。これまで、マウイ島、京都、岐阜、沖縄、埼玉といった場所に移住し、その地域で時には働きながらリサーチし、作品を制作してきました。その背景には、一時的なレジデンスのみならず、アーティストが地域(特に文化資源が少ないとされる日本の田舎)で中長期的に滞在し、経済的な面も含めて、いかに自立した活動が可能かということを模索したい、という考えがあります。その土地で人が身体をどう扱うかを観察し、舞台芸術として再発見し、地域の人と共有してていくことで、田舎から生まれる、地産地消の芸術活動の未来を描きたいと考え、活動しています。2020年からは埼玉県比企郡滑川町に移住し、自宅を住み開きして福祉、農業など地域の様々な営みと連携して活動しており、関東一沼が多い同地域の文化を楽しむ芸術祭の開催準備を進めています。


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