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2022年6月の日記~言わない後悔vs言った後悔、選ぶのはどっち~

6月*日
取材で北海道大学の先生のお話を聞いた。
テーマは「アンラーン」。学びなおしとか、学びほぐしなどと訳されるこの言葉は、教育文脈で最近話題で、一時流行った「ファクトフルネス」なんかも、中途半端な教養人が世の中をダメにするという意味で、アンラーンがテーマだった(のだと思う)。
インタビュアーをつとめたのは長年の仕事仲間である京都在住のベテランライターUさん。のっけから「言い方はあれですけど、こんなん前から仕事ができる人はやってることやし、何が新しいんでっか?」との質問。ディベートではないのだが、「拝聴」というよりは、笑顔で切り込む感じがベテランの味というものだ。
振り返ると、私がアンラーンを重ねているのは馬券の買い方。固執することなく、次々と新しい買い方に挑戦しているのだが、なかなか実にならない。というようなことを思ったら、「そこにはアンラーンが必要なほどの成功体験がありませんから、ただの試行錯誤です」ということらしい。早く馬券術のアンラーンがしたい。

6月*日
朝から表参道のスパイラルホールに出かけた。
「ててて見本市」という展示会にsalviaが出展したからなのだが、私は恐ろしくこういうおシャレな場が苦手である。20年も社長をしてきて苦手なのだから、克服できる見込みはない。同じく気後れしていそうな人を探して「気後れしますよねー」という話題で盛り上がるという回避術は獲得済なのだが、問題はその人と特段話がしたいわけでもない、というところにある。問題は山積みだ。
振り返ると、アソブロック創業の地は、スパイラルビルの隣にあった千成ビルの5階だった。表参道で1番“らしくない”ボロビルだったが、場所は一等地だった。3階に古賀プロダクションという映画やドラマのエキストラを派遣する会社があって、毎月25日だかの給料日には、手渡しのため階段に行列ができていて、世の中には色んな人がいるものだと眺めていた。
そういえば一度、ビルがまあまあな火事になったことがあって、10台以上の消防車が集まり国道246号線が通行止めになった。下層階での火事だったので、煙がもうもうと上がってきて、みなでタオルやハンカチを濡らし口にあて避難しようとする中、Mというメンバーが「これだけは!」と初代iMac(楕円形でグリーンのスケルトンだった)を担いで持ち出そうとしていて、全力で止めたことが懐かしい。
もうひとつ、同じ階に住んでいる老夫婦がいて、もしやと思い呼び鈴を鳴らすと、のんびり奥さんが出てきたので「火事ですよ、逃げなきゃ!」と叫んだら、
「ごめんなさいね、今うち、さんま焼いていて。煙、そっちにも行っちゃった?」と言われ、大声で笑ってしまい、人間はどんな緊急事態でも笑えるのだと思った。
書き始めたら、表参道には色々と思い出がある。そうか、オレはお洒落タウンボーイだったんだ。もっと自信を持とう。

6月*日
新神戸から最終の新幹線に乗れるか乗れないか、という時間になってしまいタクシーに飛び乗った。
運転手さんに事情を伝え、JR元町駅のコインロッカーに立ち寄り荷物を取り出し、新神戸駅へと急いだ。メリハリある加減速とハンドリングで運転上手な方なのだが、年齢が75歳であることが分かった。ひ孫が15人もいるという。「とてもその年齢には見えません」と感想を伝えたら「髪を染めて、体型も気を遣っていますからね」と笑った。「いつまでも元気なおじいちゃんでいたいですもんね」と返すと、「いえ、それはどっちでもいいのですが、お客様に不安感を与えたくないからです」と言われ、唸ってしまった。
「お客さんもタクシーに乗車されて、運転手が白髪のよぼよぼ爺さんだと、心配になるでしょう。ただでさえ、高齢者の起こす事故が多いわけですから。気持ちよく乗ってもらうための、ひと手間です」。
プロだなあ。

6月*日
社歴の浅い、いくつかの会社に、応援する気持ちも込めて参加しているのだが、今日は少し声を荒げてしまった。
どうにもスピードが遅いのである。創業直後の会社、ベンチャー期は、走り続けなければ待っているのは死だ。トライ&エラーを繰り返し、仕組みらしきものを見出していくしかないのだが、そんな時期から「ゆっくり・じっくり・ワークライフバランス」などと言われると、調子が狂ってしまう。
働き方が変わったのは事実だし、サラリーマンやサラリーウーマンの「モーレツ層」が主流ではなくなったのも間違いない。それは良いことだとも思うけれど、一方で、いつも時代も、創業期の会社は昼夜を問わずメンバーが仕事に没頭する以外に浮上の道はないと思う。そのあたりの感覚が、どうにも共有しにくい。ぼくが時代遅れなのかもしれないし、言うべきではないのかもしれない。でも、「言わない後悔」よりも「言った後悔」を選んでここまで来たからなあ。

6月*日
主宰するシェアオフィスで「合羽坂サロン」というお話会を開催した。
コロナになって以来、あらゆる交流イベントを中止してきたので、2年以上ぶりの開催だったが、「やっぱコレですよね、合羽坂テラスと言えば」と参加者に言われて嬉しかった。シェアする意味というか、醍醐味というか。
経済効率と機能性だけで言えば、シェアも含め、オフィス自体が不要だということになるのだろう。コロナはそのことを“見える化”してくれた。それでもオフィスが大事だと思うのは、経済効率と機能性だけを追求した社会は、きっと生きにくく、どこかツマラナイと思うからだ。会社を利益追求の共同体と考えるのか、幸福追求の共同体と考えるのか。後者と考えるならば、オフィスはやっぱり有用で、ただ、有用に機能させるためにはアイデアが必要だということも、コロナはまた“見える化”してくれたのだと思う。

6月*日
最近、N高の話題に触れることが増えた。
今日も、とある友人女性から「娘が通っていた高校が合わず1年で中退しN高に編入した」という話を聞いた。先日、舞鶴のお店で出したアルバイト求人にもN高在校生や出身者が来たし、同じ中3男子受験生を子に持つ父友に、「N高を選択肢のひとつとして考えるのはどう思う?」と聞かれたこともあった。
開校直後は、少なくとも私の中では色物感があったN高だけど、現在の在校生は2万人を超え、高校としては日本一だ。卒業要件が取れるので、専門特化型の学校と提携する(例えば料理とか、芸能とか)ケースも出始めているみたいで、今後ますます生徒数を増やすのだろう。入るのは無試験で、出るのは難しいという欧米大学型の仕組みも日本では珍しい。ちなみに、娘が編入した友人曰く「1年生からN高の子の卒業率は70%程度、途中編入の子の卒業率は95%以上」だそうだ。「やり直せる就学環境を作る」というつもりでドワンゴが始めたのかどうかは知らないけれど、素敵な取り組みの現状だと思う。

6月*日
地元の喫茶室に出掛けたら、遅れて、70を超えると思われる4人組のおばあさまが隣席についた。
座るなり「今日Qさま、録画してきた?」という話題で盛り上がっている。しばらくして運ばれてきたサンドイッチを口にすると「あらあ、味はペケポンね」と言った。久しぶりの「ペケポン」が耳に心地いい。ちなみに4人のうちのお一人は、表情に乏しく、頷くのみ。まるで死んでいるかのようだが、そのことを気にする人は誰もおらず、楽しみ方は人それぞれだと、当たり前のことを思った。やがて話題は「ウクライナが酷いことになっいてる」という時事ネタにスライドしたのだが、「どう思う?」と振られたおばあさまの第一声は「寒そうよね」であった。

6月*日
合羽坂テラス(シェアオフィス)で一緒しているゴバイミドリという緑の会社のMさんの話で、ぼくが大好きなものを紹介したい。テーマは「庭依頼者の三大がっかり」である。
ゴバイミドリは個人宅から大型施設まで、緑(造園)のプロデュースをする会社なので、色んな緑の相談がやってくる。アソブロックからも、とある幼稚園の外溝を依頼したことがあった。仕事が進むと、当然お施主と打ち合わせを重ねるわけだが、そこでリクエストとしてよく出るのが、

・枯れないものにしてほしい
・葉が落ちないものにしてほしい
・虫が出ないようにしてほしい

というもので、これを「三大がっかり」と呼んでいる。Mさんは、その話をするたびに「いったい緑を何だと思っているのか」とボヤくのだが、そして、そのボヤキも楽しいのだが、一方で、これほど人間のエゴを表す話もないなと思う。自分も含めて「人間なんて、そんなもんだ」という、そこもまた、大好物の要因。

6月*日
インタビュアーの仕事を意識的に増やしている。
以前は売上規模を取れる仕事に向き合う必要が会社的にあったので、引き受けにくかったのだが、アソブロックの社長を辞めてからは、そのような縛りもなくなり、引き受けやすくなった。インタビューだけで仕事が終わることは少なくて、その後、原稿に仕上げないといけないのだが、そこは何人か信頼できるパートナーに構成書と音源を渡して書いてもらっている。上がってきたものの仕上げを私の方でするという共同作業だ。
今日は「日本仕事百貨」という、求人媒体のような、WEBマガジンのような媒体を創刊したナカムラケンタさんに話を聞いた。ケンタさんとは10年以上の知り合いで、立ち上げて間もない頃の「日本仕事百貨」にアソブロックとして求人を出させてもらったのが付き合いの始まりだった。求人広告の中で話をする私に興味を持ち、「1回ごはんでも」と誘ってくれた。同じく彼が主宰する「シゴトバー」というイベントにも何回か出たけれど、それほど深い付き合いというわけでもない。でも、ツイッターもフォローしているし、なんとなくは知っている。そんな距離感の人と、改めてきちんと話をするのが楽しいと思う。お互いに10年以上の月日を、それなりに一生懸命に過ごし、今がある。隣で見ていたわけではないけれど、まったく知らないわけでもないから、語りから受ける印象が重層的になる。
ある層は事実かもしれないが、ある層はぼくの勝手な思い込みかもしれない。それらのすべてが、さらに相手への興味を掻き立てる。今、こうやって書いていて、インタビュアーとしての仕事を引き受けていこうと思ってはいるけれど、はじめての人の話を「へえ~」「ほお~」と聞きたいわけではなく、それなりに経過を共有している遠い知り合いの話を、ぼくは改めて深く聞きたがっているのだと、気が付いた。