見出し画像

2022年2月の日記~喜んで猫に振り回された日々~

2月*日
この歳になると色んなことに見通しが立つようになってきたけれど、ねこから目線の経営会議では、はじめて聞く話が色々と出てくるので楽しい。今日の会議では「吹田から山形まで6匹の猫ちゃんの引っ越しを頼まれました」という報告があった。聞けば猫を残して亡くなってしまったご高齢者が事前に「もしもの時は…」と頼んでいた方のもとへ6匹を送り届けるのだという。遺族の方が色々と整理される中で遺言の形で要望として出てきたらしい。そこで、ご遺族は猫の引っ越しを請け負ってくれる依頼先を当たられたものの、通常の引っ越し会社や宅配便会社には断られ、うちにたどり着いたとのこと。往復1,500キロの道のりを、1泊2日、2人体制で向かう。6匹の猫とともに。

2月*日
吉田修一著「ミス・サンシャイン」を読み終えてしまった。読み終えてしまったというのは、終わらないようにゆっくり一章ずつ読んできたのに…という意味。ちょっとロスってしまっている。ぼくは氏の横道世之介シリーズも大好きで、椰月美智子さんの「しずかな日々」や森絵都さんの「永遠の出口」のような平凡な日常の物語を丁寧に描く作品を好んでいる。他人から見れば何てことのない平凡な毎日も、当人にしか分からない起伏が満ちている。それが大半の人の人生で、その起伏をどう味わうかは自分で決めることができる。平凡だと思えば平凡だし、大冒険だと思えば、誰が何と言おうと大冒険。丁寧に生きるとは、つまり毎日を大冒険として見るということでもあると感じることがあって、そんな思いにマッチするのが、これらの作品なのだ。「ミス・サンシャイン」は横道世之介と違って、続編を出せそうにない展開だったのが残念。「続」が読みたい

2月*日
家族4人で1泊2日のスキー旅行に出かけた。いつもは「ゲレンデ」ありきで宿を決めるのだが、今回は「宿」ありきの旅にしてみようと思い、まず温泉が魅力の宿を予約した。その後に、その宿から車で向かえる範囲のスキー場を調べ、初日・二日目と違うゲレンデへ出向いたら、これが家族に大好評だった。ぼくはスキーがとにかく好物だから「あとは何でもいい」というタイプだが、特に妻はスキーは添え物というタイプなので、「料理と温泉が最高だった」と旅を振り返っていた。ゲレンデはそれぞれ、2日も滑れば飽きてしまうような小さなところだったけれど、「はじめて」の力は大きく、ゲレンデ開拓を楽しみながら、子どもたちは「新しいスキー場に行けたのが良かった」と言っていた。アプローチを変えるというのはとても大事だ。

2月*日
午後にとある幼稚園で行われた教材のお渡し会に参加した。教材の一部をアソブロックで作らせてもらっている関係だ。もう長い付き合いで、受注会もお渡し会も何度も来ているが、今年は「時間内に取りに来ない」保護者が多いように感じた。かつてはこんなことは無かったし、ほかの業者さんとしゃべっていると他園でも同様の傾向があると言う。これは幼児教育が無償化となり、保護者にとって当然の権利となったことが招くひとつの気の緩みではないかと思う。以前に老人介護施設を古くからやっておられる法人の責任者が、「サービスが一般化するにつれ利用者の権利意識が高まり相互の信頼関係と感謝される機会はどんどん減っていった」と話してくれた。やってもらって当然、してくれて当たり前、それはある種の豊かさである一方で、それにより失われていくものもある。誰にも引き取ってもらえず、ずらっと残った教材を見ながらそんなことを思った。

2月*日
ポケモンの新しいゲームソフト(任天堂スイッチ)を長男中2が購入し小3長女とともに盛り上がっている。そんな中、興味深い会話に出くわした。長男が長女に「もうレベルも十分上がったからもっと先に進みなよ」とアドバイスしたときのことだ。長女は、同じところを回遊しながらレベルを上げるのに熱心で、なかなか先に進まない。その理由は「死ぬのが嫌だ」からだという。長男は「死んでもゲームの進度には影響がないし、先に進んで戦った方がレベルを上げるためにもいいよ」と言葉を重ねる。しかし長女は「でも相手が強いと死んじゃうから」「例えゲームの中でも死ぬのは嫌なの」と繰り返す。長男が言っていることは合理的だ。多分、同じ状況ならぼくもそうすると思う。レベルを上げる、いち早くクリアすることを目指すのなら効率的なのだろうが、長女はそのように考えない。それは「どうせ壊れるのに」と言われながら砂場でトンネルを掘り続ける幼児と同じように幼いからかもしれないが、でもこの感覚こそが、成長の過程で社会にスポイルされる力かもしれないとも思った。そう考えると、中2は十分に成人と同じような思考回路を持っているといえ、小3はそうではないといえる。どのタイミングのどんな出来事が、ターニングポイントになるのだろう。

2月*日
世界最高峰のねこの捕獲機を開発している。その試作を依頼するためのミーティングを行った。ミーティング相手は、以前別の会社で職人として働いてくれていたI川くん。久しぶりに顔が見られたのがまず嬉しかった。これまで色んな仕事をしてきたから、随分と声をかけられる相手の範囲が広がったと思う。編集者は0から1を生む発明家ではなく、すでにある価値とある価値をつなげていかに新しい価値を生み出せるかという仕事だと思っている。その範囲を広げるにおいて大事なのが人脈だ。ちなみに、ぼくはいまのところ、「お金は出すから世界最高の宇宙船を作ってほしい」と言われても、チームを築ける自信がない。だからいつか、どんな依頼にでも応えられる一流の編集者になりたい。そういう意味でまだまだなのだけれど、「世界最高のねこの捕獲機が作りたい」と言われたときに、「できなくもないだろうな」と思って動き出せたのは、我ながら少しは編集能力が向上しているのだなと思えた瞬間だった。

2月*日
「人を育てる会社の社長が今考えていること」のタイトルで原稿を連載している「対人援助マガジン」からの声かけで、トークライブを開催した。二人の編集委員が聞き手となり、事前打合せはせずに、聞かれたことについてその場で考え、あれこれと話した。最近、頼まれ講演も、テーマと話してほしいことが明確にあって依頼されてきた場合を除き、同様の形式を打診している。いつも通り、やり終えてみると、ちゃんと喋れたような・片手落ちのような、思ってもいないことが伝わってしまったような・それはそれで面白かったような、気持ち良さとは程遠い、なんか「もうちょっとできた気がする」感に苛まれた。でもそれがいいと思う。予定調和はゼロだし、自分自身も初出の話をできていたりするので、録音データをもらって自分で聞き直してみると、発見や気付きが結構あったりする。これがレジュメを作ってきちんとスクリプトを考えて行った講演だと、そもそも聞き直す気にならない。

2月*日
珍しく、知り合い宅に招かれた。「外でご飯を」というような誘いはなくはないが、「ウチに来ない?」というのは珍しく、喜んで出掛け、これからのことも昔話も色々と話し込んだ。基本的に昔話は好まないのだけれど、招いてくれた彼の人生が面白く、見通しが立たない状況下での奮闘話なので、聞いていて本当に楽しいし、自分もそこにいるかのようにワクワクした。それは、秘境に出掛けた旅人の回顧録のようでもあった。「そのときどんな気持ちだったんですか?」と思わず尋ねたくなるような、そんな毎日の中に、できれば自分もいたいと思う。今、「アソブロックとは何だったのか?」という経営回顧録をまとめているが、推敲する中で「そのときどんな気持ちだったんですか?」と聞きたくなるのは前半10年の自分に対してだなと思う。見通しが立つというのは成長の証であるが、一方で毎日のダイナミズムを失うということにもなり得る。年齢を重ねる中で、見通しが立ちにくい状況にいかに自分を追い込むか。それがもう一皮剥けるためには必要なことで、その挑戦を放棄した時点からが老後なのだと思う。