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2023年11月の日記~「全体主義のこわさを部活顧問の外部委託問題で垣間見た話」号~

11月*日
長年の友人(畑敬子さん、岩崎春夫さん)の会社・HOPの生誕5周年祭に出掛けた。
普段、やや苦手なこともあってこういったパーティーの類は極力避けているが、小噺を一席頼むとリクエストも受けたし、付き合いも長いので引き受けぬわけにはいかぬ、と、到着したのは何年ぶりかの六本木。街を巡回する警備員の国籍の多様さを眺めながら、メルセデスベンツの2階にあるレストランに向かった。
パーティーには100人以上が来ていて(これだけ集める二人はすごい)、政治家のパーティーのようだったが、参加費が安いので裏金は生まれそうになかった。私の小噺は終宴手前のタイミング。さすがに酔っぱらう訳にはいかないので(酔うと無駄な言葉が多くなる)、ひたすらウーロン茶を飲みながら過ごした。
会終盤、いよいよ呼び出しを受けた頃には、会場は泥酔状態。もはや誰が聞いているのかという状況に、当初用意していた話はやめて、アクションがポイントの大味な話に変更した。
後日、畑さんからは「ありがとう。にしても、なんであの話やねん!」と突っ込みを受けたが、会場が完全に泥酔してたからです。
兎にも角にも、5周年おめでとうございました。

写真奥、左が岩崎さん、右が畑さん。左隅の、椅子にちょこんと座っているのは石見銀山・群言堂の松場登美さん。この3人だけ酔っぱらっていない。

11月*日
企業活動を報告するひとつのフォーマットに「統合報告書」というものがある。聞きなれない人も多いだろうけれど、ぼくはこれに興味があって、このフォーマットを活かしながら日本にさらに良い会社を増やしていく活動ができないか、と思っている。
という発案に乗っかってくれた友人たちと、数カ月に渡って検討会を行ってきたのだが、具体化に向けて更に集中的に話し合おうと、葉山の古い一軒家を借りて「統合的に会社を考えるとはどういうことなのか合宿」を開催した。
最近何かとぼくの企みを支援してくれている渡辺龍彦くんが、会場手配・予約からお弁当の算段、朝ごはんの準備から会のファシリテートまで、フルパッケージで世話を焼いてくれた。こう書くと「果たして自分は必要だったのか」と思わなくもないし、実際に必要だったかどうかも怪しい。
しかし、六人寄れば文殊の知恵で、話せば何かが見えてくるものだと、そこに感動した。「ちゃんと話をするなら、最低でも3時間はないと!」とは、付き合ってくれている西村佳哲さんの言葉だが、改めて、人は話を重ねる以外に道はないのだと、思わされる1泊2日でした。

11月*日
娘が通う小学校で「焼き芋の会」が開かれた。
主催は「かっぱの会」という父母有志の会で、ぼくも一応メンバーの一員なので、当日はもちろん、事前の準備から前夜祭まで参加した。事前申込が120名ほどあり、畳屋さんの廃棄畳を分解して火種にするのだけれど、十分に火力が担保できるのかなど、それなりに心配になることも多く、そのたびに話し合うが、いつも結論は「何とかなるだろう」。このあたりの緩さがいい感じだった。
去年の振り返りを見ると、「安納芋を持参したのに見失い普通の芋を食べる羽目になった」というクレームがあったと書かれており、もはやネタなのかマジなのかが分からない。
果たして当日、ぼくはご近隣の挨拶回りを担当した。消防には事前に届けているが、うっかり火事と間違えて通報する人が出かねないのと、小学校のグラウンドとはいえ、日曜日に騒がしくなることへのお詫びが目的だ。
ところが、都合30軒ほど巡ったが、逆に励まされたり御礼を言われたりすることの方が多かった。「いつものやつね」「子どもたちをよろしくね」「これ、持って行きな(と言って何かくれる)」などなど。先人たちが、丁寧に地域との関係を積み重ねてきた成果なのだろう。なんだか自分もリレーの一員になったような、たまたまた今バトンを持って走っているだけのような、とにかく気分が良かった。

11月*日
アソブロックに委託されて運営しているWEBメディア・LO活の取材立ち合いで長野へ出掛け、本の界隈で活躍する内沼晋太郎さんの自宅を訪ねた。
話を聞くテーマは地方移住や地方就職のこと。内沼さんは、東京・下北沢を仕事の拠点にしつつ、住拠点を下北沢、狛江、上田(長野県)と移し、現在は御代田(長野県)に住んでいる。色々と話した中で、ふたつのことが特に印象に残った。
ひとつは、首都圏に住んでいると、「ココを離れられないんじゃないか、という、大して根拠のない思いこみに捕らわれがちになってしまう」こと。もうひとつは、「地方に行くと、友だちと飲みながらする話が【暮らしの話】になりがちだから、結果として暮らしが豊かになるのではないか」ということ。
確かに、LO活の取材や視察、打ち合わせを通じて全国各地の移住者と話をしてきたが、多くの人が「困ることなんてほとんどないですよ」と言う。裏を返せば、「きっと困るだろう」と多くの人が思わされているということなんだけど、それが首都圏マジックだなあ。

内沼さんと内沼さんの自宅。デッキで勝手にキャンプして帰ろうかと思った。

11月*日
朝から大阪へ行き、関西電力の管理職者の皆さんを対象に演劇研修「Theater」を開催した。
Theaterのことは先月も書いたのだけれど、ゲネプロ、トライアルを経て実際に社内研修として導入いただき形にできたことは、感慨深かった。
その模様は、こちらも「Theater」のnoteに書いたので是非読んで欲しいのだけれど、終了後、こと葉ちゃん、畑さんと3人で打ち上げと称し「串カツ田中」に行き、大いに笑い、大いに喰らったら、同じ歳コンビの私と畑さんは大いにお腹を下した。
一方、10ほど若いこと葉ちゃんは、翌朝一番の新幹線で帰京し教鞭をとる学校の授業に向かうというスケジュールにも関わらず元気ぴんぴん。なんだか悔しいなあ。

ぼくの笑顔の花が咲いています。

11月*日
9月末日で中学校教員を退職した20代女性の話を友人づてに聞いた。彼女が辞めた理由は「部活」だったという。
と聞いて、即座に「土日も出勤させられて大変だと聞くしな」と思った。しかし、実際はそうではなかった。彼女が辞めた理由は、昨今の部活動外部委託の流れで「バレー部の顧問を辞めざるを得なかった」からだという。彼女はバレー部の顧問を続けたいと願ったが、その希望が叶わなかったから辞めたのだそうだ。
「確かに、多くの人にとって部活動の顧問は負担であり、外部委託の流れは歓迎です。現に喜んでいる同僚もたくさんいます。ただ、彼女が中学校の教員になったのは、部活の顧問がしたかったから。それを取り上げられて、代わりに『そんなにバレーが好きなら社会人チームにでも入ったら』と言われてもねえ」。
外部からの見られ方や、職員室での調和、生徒の目線に立った場合など、いろいろな事情があったのだろうし、その全てが分かる由もないが、部活顧問という入り口(憧れ)を通じて教員という仕事に燃えていた彼女の無念さも、分からなくはない。その話を教育大学出身のアソブロックの後輩にしたところ、「私の周りでも、聞かなくはない話です」と言っていた。
社会全体が「良かれ」と思いこまされていることほど、その裏で思いもよらない苦しさや無念さに直面している人がいるなあと、思わされた。