「人の目」は気にするものでなく借りるもの
おはようございます。
お盆休みは大満喫でダラダラと過ごしたわけで、連休突入前と比べ体重は1.5kg増えてフィニッシュ。次回ファスティングが辛くならないように今週から調整していこうと心に誓った。
お盆といえばもちろんお墓やお仏壇に手を合わせにいくことが多いのだが、今年は息子の成長を感じることが出来た。
どこに行ってもちゃんと仏さまの前に座り
「パンパン!」といって手を合わせる。
ちなみに息子はお参りのルール理解もイマイチなままに大胆な布陣を敷く。
仏さま
▫️
子
⚫︎
父 母
⚫︎ ⚫︎
こういった布陣のため、たびたび僕か妻の様子を見るために後ろを振り返る。手は合わさっているが目を瞑っていないから、僕は目を瞑り「こんな風に瞑るんだよ〜」とテレパシーを送った。薄目を開けて様子を見ていると察してくれたのか前を向き直し、目に水が入った時と同じくらいの勢いで猛烈に目を瞑ってくれていた。弱めに目を瞑るというニュアンスはどうしたら伝わるのだろうか。彼は僕の言語化能力を向上させるためにやってきた天使なのかもしれない。
しかし、大声を出すことなく、興奮することなく、行く先々でちゃんと手を繋いでくれるだけで大成長。嬉しいこと限りなし。
さて本題。
人の目って気になりますか?
たくさんの人がいる場所に行く時、いわゆる少数派の人たちは人の目を気にしがちなように感じる。というのも、先日インスタで投稿したリールがちょっとバズった(投稿日時点で19万再生)。
僕自身は息子を中心とした我が家の日常をただただ発信するために使っているので、そこに議論を仕掛けようとしたり、肯定して欲しかったり、否定して欲しかったりといった感情は一切乗せずに作っている。しかし結果として議論の場となった。まぁこれはこれでコメントくれた方はじめ見た方に多様な価値観が提供できたという点ではよかったのかもしれない。
ただ、やはり少数派は人の目を気にしなければならない社会のようだ。これについては社会の課題だと考える。
それに対して「人の目を借りる」という概念。
これらの言葉を使う状況は違うんだけど、いつかはどのような状況であってもこちらの言葉が使われる社会であって欲しいと願ってる。
今回この話を書こうと思ったキッカケは、先日行われた息子の利用する放課後等デイサービス(放デイ)での計画の見直し(モニタリング)がとても良い時間だったから。
計画の見直しは制度上、半年に一回はやらないといけないらしい。タイミング的には制度と連動していて回数が多いわけではないけど、内容がとてもありがたかった。
ウチの息子は小学1年生。
健常児であれば、ある程度の会話が出来、うまく引き出すことができればその日起こったことも話せるだろうし、悩みだって聞き出すことができるだろう。しかしウチでは出来ない。お話は好きなようだけど、まだまだ9割は宇宙語。僕と妻は当然その宇宙語に精通しているがそれでもいいとこ9割が8割になるくらい。状況を把握するには2割の聞き取れるワードや日常の動作などで感じ取るしかないのだ。体感的にはアメリカ人観光客に道案内するよりも気持ち難易度高め。
だからこそ他の場所での生活の様子や取組み、意見などはとても参考になることがある。
今回は利用している放デイの事務室で面談してもらった。その間息子は放デイ利用。面接相手は管理者。利用開始からこれまでの生活や成長の様子について情報を共有した。
ちなみに息子は今利用している放デイが大好き。先日盆休みに入るにあたり
「お父さんこれから少しお休み続くからどこか行きたいとこあったら言ってね」
と伝えてみたところ速攻で
「〇〇!」
と放デイの名を出す。
もっと色んなとこ連れて行ってあげようと反省した反面、楽しく通えているんだなと安心させてくれた。
話を戻して、情報共有について。
共有していく中で、家族で過ごす時に好きなことと違う好きなことがあることがわかった。というのも息子には好きなことものブームがある。それがある日突然(のように見える)変化するから判断が難しい。
我が家でも、今のところ彼が好きと思われることものを提供していてそれで上手くいっていたから気にもしていなかったが、放デイでは別の好きなこともので楽しんでたり誘導に応じてたりしたのだ。
具体的にいうと、家では歌や踊りの3Dアニメ系YouTubeや、キッズYouTuberのチャンネルを見ながら歌ったり、踊ったり、話したりするのが好き。
しかし、放デイではアンパンマン体操が好きらしく、何かの拍子に機嫌を損ねた時でも
「アンパンマンはきみーさー!」
と職員さんが歌うと
「きみーさー!」のタイミングで片手をグーにして力強く斜め上に突き出すらしい。そして機嫌回復するという。
この歌、確かにかつては大好きだった。しかし数年前にブームは去っていたと思っていたが、いつのまにか彼の中で再燃していたようだ。歴史は繰り返すとはよく聞くがこういうことなのか。
そんなわけで家でもアンパンマン体操を歌うようにすると、「きみーさー!」で思いっきり手を突き上げる!そして面白いように指示が通る。おかげでこのお盆はトイトレが急前進。この数日で僕はアンパンマンのことをアンパンマンさんと呼ぼうかと真剣に考え始めた。
さらには身体機能面での相談も。息子は月一、二回は病院でOT(作業療法)を受けているが、そこで課題とされていた両手の使い方。自宅でどんな風に練習させていいか悩んでいることを相談してみると、ちょうど水分補給に通りかかった職員さんがOTの先生(作業療法士)で、サラッと自宅での練習方法をいくつも提案してくれた。目から鱗。やはり餅は餅屋だ。そして息子はそのOTの先生のぽっこりでたお腹をパチパチ叩いていた。大変申し訳ない。ただ、どうやら超懐いているらしい。
そんなこんなで一時間の面談。僕ら夫婦は息子の今抱える課題克服に向けたたくさんのヒントを得ることができた。
これが人の目を借りるということ。
僕自身仕事で色んな関係者と交流を持ち、それぞれの視点や専門性をお借りしている。
どんな人でもそうかもしれないが、とりわけ社会福祉士という職種はある種器用貧乏。福祉関係の法や制度には詳しい(一応福祉系19科目を勉強するんだよ。そして一科目でも0点があるとその時点で不合格なんだよ)けど、流石に現場の人ほどめっちゃ詳しいわけではない。
だからこそ人の目を借りることの必要性を痛感しているはずだった。
仕事では出来ている(はず)なのに、プライベートに置き換えるとちゃんと出来ていないことに気付かされる。
自立とは頼れる先を増やすこと
この言葉を思い出す。
人の目が気になる社会だけど
優しくて頼りになる目を借してくれる人もいる。
そんな目に囲まれて、いつしか自分もそんな目の持ち主になっていく。そんな素敵な循環が起こる社会になっていくといいな。
おわり。
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