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「書くことが苦手」には二種類あった

おはようございます。

社会福祉士×ダウン症児パパのTadaです。
Tadaのイントネーションはファインディングニモのニモと同じです。


小噺です

束の間の休息。

妻が職場近くまでやってきてくれた。
決して近くはない距離。車で1時間ほどかかるのだ。
僕の職場近くにある美容院でカットしてるんだけど、今回は僕の昼休みのタイミングに終わるように調整してくれて、一緒にランチができた。

お好み焼きランチ

普段からそこそこ会話のある夫婦だと思うけど、やはり僕の帰りが遅いと必然的に言葉を交わす数は減る。

だからこそ今日のランチはとてもありがたかった。
約50分という時間だったけど

忙殺される日々の中に
ポツンとやってきた休息の時間

食事して、雑談してお別れなんだけど
とてもゆっくりと時間が流れていたように感じた。

「月に二回くらいランチしにきて」

とお願いしたらクスリと笑っていた。

こんなやりとりもいい。


さて本題

最近とあるコミュニティでのやりとりのなかで、

書くこと

についての話題になった。

書くことの大切さは
やりとりしてたコミュニティのメンバーは全員書くことが大切だと言う。僕も漏れなくそう思っている。

書くことのメリットは多い

・自己分析
・思考の整理
・表現力アップ
・表現パターンの増加

などなど。

だからこそ書くことにチャレンジしてはいるけれど、

「なかなか書けない」

と言うメンバーが数名いた。

僕はnoteを始めて1年が経った。
noteによる発信の理由はあるけれど、

それとは別の狙いとして
先に書いたメリットのようなもの(チカラ)が手に入ればとも考え続けてきたので、大した文章は書けないけれど、苦なく文章を綴れるようにはなってきた。

あ、そういえば25,000view突破
読んでくれる方、読んでくれた方、
本当にありがとうございます。

と、そんなわけで
「得意」とまでは言わないが
それなりに書くことで何かを表現できるようにはなってきたつもりだし、苦もあまりない。

そんな僕からすると

「なかなか書けない」

の現象は

文章が書けない
言葉が出てこない
どう表現していいかわからない

みたいなところが原因だと考えいた。

しかし、やりとりしてたメンバーのひとりが言った言葉でこれがひっくり返った。

「書きすぎでまとめられない」

って。

おぉぉぉぉぉ

なるほど。

そういうパターンね。

衝撃を受けた。

衝撃は2つ。

まずは、
「書くことが苦手」には二種類あったこと。

当たり前のように
「書くことが苦手」と言い書かない人たちは
そもそもの言葉や文章が思い浮かばないから苦手なのだと。
しかしそれは違って、溢れる思考を制御できないということも苦手に繋がるのだと。

そしてもう一つの衝撃は

僕も実は、書くこと苦手じゃないと自分で思ってるだけで、実は書きすぎてまとめられない人種なんじゃないだろうか

と思ったのだ。

とはいえこれには答えはない。
だから特に悩むってこともないし
これからもnoteは楽しく書いていこうと思うことにまったくの揺るぎはない。

ただ、今回の2つの衝撃

いずれにも共通して言えるのは

全て自分の価値観で自分の世界は構成されている

ということ。

「書くことが苦手」な人の定義を
自分の価値観で決め、

「書くのことが楽になってきた」、「苦手ではない」と自分に思っている。

これは反省すべき点でもあるし、押し進めていくべき点でもある。

前者の価値観については
他者を自分の価値観というフィルターを通してみて、異なる価値観の存在を想定してないという点において、反省すべき点だと思った。

そして後者の価値観については
他者の評価を気にせず自己評価高めで生きていくという点で押し進めていくべき点だと思った。もちろん時折の受け入れたり、見直したりは必要だと思うけど。

新たな気づきと学びを与えてくれた
良い時間だった。

誰かと話すことは
ひとりでは得られない何かを得るきっかけになりうる。

おわり。

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