人生を10年1クールで考えてみるすゝめ
おはようございます。
昨日は定時帰宅にも関わらず息子は既に夢の中。大好きな放課後等デイサービス(放デイ)の日だったから疲れて帰ってくるとは思ってはいたけど、昨日は急遽社会科見学的なお出かけイベントもしてくれたようで、いつもよりさらに疲れて帰ってきたらしい。
その状態を察した妻のファインプレーで迅速にお風呂と食事を済ませてくれていたことに感謝。
そんなわけで昨夜はいつもより1時間ほど長く夫婦2人でのんびりした時間が過ごせた。
昨日観たのは
Netflix「離婚しようよ」 最終話
NHK 「どうする 家康」先週分と最新話
映画鑑賞さながらにソファに深く腰掛けてシナモンロールに舌鼓をうちながら至福の時間。
今朝X(旧Twitter)で上がってきた質問で改めて自分という者がどんなやつなのかを認識
僕が「明日もがんばろう」と思えるトリガーは基本以下2つ。
①全ての家事を終えて妻とテレビみたり、喋ったり、お互いに作業に向かったりといった自由時間を過ごし終えた時
②寝室に入り就寝前に息子の寝顔を見る時
世間の色んな動きに敏感になり、情報をキャッチしていくことも大切だけど、それと同じかそれ以上に、日頃から自分のことを知ることに時間を割くって大切だと思う。
結局幸せって自分の価値観だから自分がどうやったら幸せになるのか知っておかないとね。情報が多い現代だけど一番大切なことはきっと変わってないんだよ。
さて本題。
今回は冒頭とも絡みがある感じだけど人生について。
僕は結構日頃から人生について考えることがある。それもかなり昔から。多分人生設計ってぼんやりとだけど中学の頃からしていた。その頃描いていた状況とは全然違う今だけどだからといって悲しくも後悔もしていない。設計を常に書き換えていってるから。
人間なんて大小なりとも差がある生き物だと思ってる。中学の頃から思い描いていた人生を大人になってそのまま叶える人もいるだろうし、全く思い通りにならない人もいる。
その原因は能力であったり見立てであったりする。
没頭できる何かを見つけた人は強い
色んな業界で何かを成した人がいう言葉。僕自身もこの言葉は大好き。確かにそうだと思う。でも没頭できなければ弱くてダメなのか?そうではない。ある意味、没頭できる何かを見つけられるかどうかも能力であったり見立てであったりが必要。そして何より運も。
僕は誰もがお気楽に過ごせる社会を作りたい。
それはこの没頭強者モデル(いま勝手につけた)でいうならば
没頭できる何かを見つけた強い人を惜しみなく讃える社会であり
そうでない人を慈しむ社会
差別的な感情を極力排除し
ただただ前や上を向きやすい社会
そんな社会になればいいなと思っている。
そして前や上を向く人、向きたい人に
ポップに取り入れられそうな提案が今日のタイトル
人生を10年1クールで考えてみる
僕は今年40歳になる。
これからの時代の平均寿命を90歳と仮定して10年1クールで自分の人生という物語を描いてみる。
まだまだ物語は半分にも満たない。
でも
今のキャラクター、今のパフォーマンスを最期まで出来るとは考え難い。人は老いる生き物だ。
しかしまだまだパフォーマンスが低下する時期ではないとも考える。
だからこそ10年1クールくらいの感覚で物語を設定してみる。
なんとなくだけど心身ともに健康であれば、
若々しくてアクティブなキャラクターでいけるのは70歳くらいまでなのかなと思ったりもする。逆にいうとそこまでは伸びしろだ。
僕で言うと40歳からスタートして70歳まで
の3クール。コードブルーのシーズン1〜3くらいの感覚か。
…たいぶいけるな。
とか考えると楽しくなってくる。
ぼんやりとそこが設定できて、なんだか楽しくなってきた人は、以前書いた記事なのだけど、因数分解してさらに細かくシナリオを書いてみてほしい。
ここでのポイントは何度も書き直せること、そして正解はないこと。
過去は変えられない。起こった事象を変化させることは現代科学では不可能だ。
だけと起こった事象に対する捉え方は変えられる。そして何より未来は変えられる。
今から10年1クール。
どんな人生を描きますか?
おわり。
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