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1995 タイ -15-

流石にサムイ島でのタイ語修行生活も飽きが来るものだ。私は更に歩みを進め、パンガン島という隣の島を目指すことにしたが、数日であえなく退散する事に。

パンガン島へは船で渡った。到着後、恐らく港で宿を決めて、ピックアップトラックに乗せられて移動したはずだが、その道中の悪路たるやとんでも無い。サムイ島に比べて道のアップダウンが激しいせいだ。

これは大変なところに来たもんだ。到着早々この先が思いやられた。案の定、宿についた後は、徒歩圏で行けるような食堂なども見当たらず、宿に沈没することになる。宿には話が弾むようなスタッフもいなかった。むしろ、なんて暗い雰囲気なんだと、会話をする気も起きない程だ。

気晴らしにビーチにでもと、遠浅の浜辺に足を運び、独り、さして美しくもなかった海を眺めていたところ、我こそはと私に好意を抱いてくれたのは、よく分からない虫の群れ。蚊とかアブでは無いのだが兎に角ウザイ。ノンビリなんて出来やしないので、そそくさと宿に引き返す。

一体、何をしに来たのか俺は。そう、私はサムイ島に一刻も早く戻りたかった。私をめぐる喧嘩、ナマズの内臓を食べさせられたこと、それ以外にも、どんなに私のことをかまってくれていたか。その全てが愛おしく、今すぐ彼らのもとに戻りたかった。

夜になり、宿での食事を済ませた後は、マリファナタイムが始まった。勧めに応じることは無く、私は自室に戻りホームシック、と言ってもサムイ島にいつ戻るかを考えていた。多分、長くても2泊でパンガン島を去り、サムイ島へと戻った。いつしか、ネパール行きのトランジットで立ち寄っただけのタイ、サムイ島は第二の故郷になり始めていた。

現在はフルムーンパーティーで有名なパンガン島は、私にとってはそんなに楽しい場所では無かった。拒んだマリファナは、後にネパールのカトマンズで体験することになるのだが、当時は田舎に行けば行くほど、マリファナは当たり前のように使われていた。

人がいれば良いと言うことでは無く、話したくなる環境がなければ言語の独学には向いていないとつくづく思ったのだ。まぁ、そもそも学びと言う枠組みを目指すなら学校に行くべきだったし、旅先で身につけられるコトバなどたかが知れてはいたのだが。

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