「わかる」と「知る」の違い

「わかる」と「知る」の違い

知るとは、今までみたことのない初めての物を認識する事である。

わかるとは、同じ体験を一回以上した時、以前の体験を元にその状況をりかいすることである。

「初めてニューヨークの街並みを見た」という文は、一度目の体験を表現しているので「知る」という言葉の例文である。

「ニューヨークの街並みは5年前と比べて変わってない」という文は、以前の自分が見た景色と照らし合わせて状況に対して感想を述べているので、「わかる」の例文である。

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「挫折、人は夢がかなわないと知った時、どのような感情をいだき、どのように自分と折り合いをつけるか?」

挫折をする過程で、人間はしばしば結論に気づいていながらも受け入れることから逃れようとする。

個人的な経験から考えを述べると、僕は平気で嘘をついて、人を攻撃する人の人格を変えようと多くの労力を費やしたが、結果としてその人は変わらなかった。

その人が自分にとって大切な人だった。なので、うすうすと向かっている方向に気づいていながらも、僕は最後までその人は変われると信じて、諦めをつけることに長い時間を要した。

人間がこのように結論がわかっていながら無駄足を踏んでしまうのには僕は二つの理由があると思う。

一つ目は、既にその件に労力を割いてしまったから、その努力を手放すのはもったいないという感情が芽生えるからだ。

二目には、何かを成し遂げたいという気持ちが大きくなるほど感情が流入し、目的を達成できないという事実を受け止めるのに拒絶する思いが大きくなるからだ。

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「何のために教育を受けるのか?」

将来、心が毎日満たされた日々感じられる生活を送る為に、僕は現在教育を受けている。

僕にとっては、心が満たされているとは、心の中と表情が常に明るくいることと定義する。

以下の二つが日々の生活で揃った時、僕の心は満たされる。

一つ目は美味しいご飯を作れるか、1週間に一回は自分が食べたいものをお店に食べに行ける環境下にあること。

次に、優しさに溢れている仲間達に囲まれて働いていること。

現代社会で高い教育の成果をあげることは、以上の二つを得るために大きなアドバンテージを与える。

例えば、高学歴は高い年収を得やすい。これは外食に必要なお金を得る時に有利になる。

社会の最前線で活躍している人たちの多くは高い学歴を持っていて。一定のレベルの楽譜に行くことは、そうした人達との出会いの機会を与えてくれる。

以上の理由から僕は幸福を感じながら生きる為に教育を受ける。

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