根性論との向き合い方
こんばんは。國山 弾(くにやま だん)です。
最近体調があまり良くないのですが、なんとか仕事や家事をこなしている時に、自然と発していたんです。
「うっしゃ、気合いだ」「なんとかなる、頑張ろう」
私はどちらかといえば論理的、現実的に物事を考えたいタイプで、いわゆる昭和的な根性論は嫌いです。
ですが、自分が辛い時、必ずと言って良いほど根性論的な思考で頑張っていたんです。
この違いはどこにあるんでしょうか。
答えは簡単で、「強要される根性論」と「自分で課す根性論」の違いです。
昭和根性論は、常に上からの理不尽な命令だと思います。体罰や水を飲ませないといった、なんの根拠もないものが例として考えられます。
(平成生まれですが、いわゆる「昭和脳」な大人と対峙したことは多々あるので)
では自分で課す根性論はどうでしょうか。
自分で自分を鼓舞する根性論は、根拠がないから良いのです。根拠なき自信、それこそが1番の励ましだと脳はわかっているから、自然と発してしまうのではないかと考えました。
逆に根拠がある自信はどうでしょうか。
・〇〇大学卒業だ
・年収〇〇万だ
・これだけの数の契約を成立させてきた
・上級の役職についている
・スポーツの大会で優勝した
など
これらは全て、比較によって打ち砕かれます。つまり、あっさりと自信を失いやすいんです。
大学には上には上があります。同じ大学学部でも、首席だのなんだのあります。年収には当然上がいますし、契約や役職も上がいます。何かしらの大会で優勝しても、もっと上の大会で優勝した人もいれば、より優れた記録を出す人もいます。
私が思うに、実績などで得られる自信にはあまり意味がないんです。
だからこそ、自分で自分に課す根性論。「頑張れ」「気合いだ」などは、根拠がないからこそ、無敵なんです。
なんてことをふと思いました。
読んでいただき、ありがとうございます。
では、また。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?