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ギフトを贈るのがしんどい私は「与え過ぎる人」かもしれない

社会人になってから、お盆とお正月に、祖母と叔母(伯母も)になにかしらのギフトをしている。

今もちょうど「今年はおばさんたちに、なに贈ろうかなぁ」と考え、発送まですませたところだ。

そこで突然、しんどくなってしまった。


卒業した大学の学祭、友人の出演する舞台、会社のコーヒータイム。もはや、なにもなくても。

私はお菓子などを買っては、「どうぞどうぞ」と人にすすめている。

なぜかと言えば、喜んでもらうためだろう。


私はギフト選びが得意な方ではなく、とても時間と手間をかけてしまう。

いくつ入っていたら、この人数でも足りるのか。この味が苦手な人はいないか、数種類入っていた方がいいだろうな。

祖母にお菓子をあげると、なぜか私たちに食べさせようとその場で出されてしまうから、お茶とかの方がいいんだろうな。

値段は安すぎても、高すぎてもいけないだろう。相場ってどのくらい?

お店のラッピングはありがたいけど、ロゴのシールを貼られるから、どこで買ったかすぐわかってしまうな。よし、百均で袋を買おう……。


手間をかけても、喜んでもらえるかは相手次第。

「ありがとう」と言ってもらえる場合もあれば、「気を遣わせちゃったね」と申し訳なさそうな態度をとらせてしまうこともある。

ちなみに先日母経由で、祖母から「そんなに金を使うな」というメッセージをもらった。気じゃないんだ。

相手の反応に「申し訳ない」要素が見られたとき、「ああ、不要な気遣いをしてしまったな」と私は自分を責める。


差し入れをしない人にも、気を遣わせることがある。

たとえば友人の舞台を二人で観に行って、私は差し入れを持って行ったが、もう一人は手ぶらの場合。

「えらいねぇ」などと言われると、「私の差し入れによって『手ぶらのあなたはえらくない』と思わせているだろうか」と、申し訳なくなる。


というように、望んでやっていることなのに、しんどくなってしまうのだ。

さらに「だからと言って『この前はくれたのに、今回は差し入れないの?』なんて思われないかな」という悩みも追加される。


「プレゼント しんどい」で検索したら、こんな記事が出てきた。


多分私も、与えすぎる人だ。

差し入れだけでなく、嫌な役割を引き受けすぎることがある。

サークルの買い出しをいつの間にか一人で行ったり、遊ぶ場所の予約を率先してやったり。

記事には「お金を出すこと以外に、他者を喜ばせられるものを持ってないと感じている」という言葉がある。

私は中学時代、体調不良による不登校が原因で、親友と疎遠になった経験がある。そのせいで高校や大学では、「せっかくできた友人を失うまい」とふるまっていた。


ちょっと逸れてしまったが、「自分は相手に与えなければ価値がない」と過剰に(また無意識に)思い込んでいる人は、私以外にもいるんじゃないだろうか。



最後に。しんどさをなんとかするべく、私が今度やってみたいことがある。

それは、「あえて忘れてみる」ことだ。

お盆や正月のギフト、職場のお菓子、後輩への差し入れを、忘れたことにして持っていかない。

なぜなら「なんで持ってこなかったの?」という人は、実は少ない気がしているから。

そして「忘れる」と心に決めても、できないだろうなと思う人は、現時点で数人思い浮かぶ。

その人たちは、私が心から「与えたい」人だろうから、今まで通り時間をかけて選び、なにかしらのギフトを贈りたい。

読んでいただいてありがとうございました! どんな記事でも、どんな反応をいただいても、おすすめ聖飢魔IIが出るようになってます!DEVIL BLESS YOU!