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スーパーまでの1.4kmの道のりで見えた人々の物語

コロナ休校で身動きが取れず、運動不足が続いている。運動不足解消のため、家の近くのスーパーには行かず、あえて1.4kmほど離れた河原沿いに立つスーパーに徒歩で行くことにしている。そこですれ違った人たちのそれぞれの物語。

ぐんにゃぐんにゃを体現する父親

河原への入り口となる階段を下りて歩き始めると、小学校高学年の活発そうな女の子が現れた。軽いジョギングくらいの速さで、汗をキラリと光らせて通り過ぎて行く。その2mほど後ろには、中学生くらいのお兄ちゃん。本当は妹のことを簡単に追い越すことはできるけれど、兄として見守りながら、かわいい妹の自尊心を守ることに徹している。

そこからさらに5mほど突き離されているのは、父親。一体どこから走ってきたのだろう。ひどい形相で、ぜえぜえと息を切らしている。走り慣れていないことを体現したような、ぐんにゃぐんにゃの体幹とそれに手足が軟体動物のようにくっついている。見ていられず、「もう十分です」と、止めに入りたくなるほどだった。在宅ワークで余裕ができ、学生時代のキレキレの自分を思い出して、「たまには河原でも走ろうか」と、子どもに走ることを提案してしまったのだろうか。すれ違いざまに「ご苦労さまです」と心で唱え、親子を見送った。

それぞれの母親スタイル

次に遭遇したのは子どもの歩調に合わせてゆっくりと前を歩いている親子2人。3歳くらいの子どもは、草に映えるピンクの可愛らしい服を身にまとい、髪の毛にも同色のリボンをつけている。手をつなぎ、同じスピードで歩いている様子からも愛されて育てられているんだなと心がほっこりする。お母さんはどうしたのか、ボサボサの頭をとりあえず一つに結んだヘアスタイルで、よれよれのズボンに素足でサンダルを履いていた。「お母さん、いつもはもっと綺麗にしてるんですよね?今日はたまたまですよね?」と両肩を持って揺らしたくなった。恐らく、子どもが外に行きたいと駄々をこね、根負けしたお母さんが家着スタイルのまま、とりあえず玄関にあったサンダルを履いて出てきたのだろう。「いいお母さんだね」と心の中で呟きながら親子を追い越した。

途中で河川敷に座りながら、小学生低学年くらいの子ども2人が遊ぶ様子を見守るお母さんにも出くわした。ずっと、スマホ画面に夢中だ。子どもの方を1ミリもみない。そうだ、これはお母さんの至福タイムなのだ。家にいると「お母さん、お母さん」攻撃で、ろくにスマホを見ることもできない。だから、河原で子どもが目一杯、体を動かしている時間を利用して、スマホを見ているのだ。「いつも母親業、お疲れ様です!」と思いながら、横を通り過ぎた。

なぞの袋を持つおじいちゃん

しばらく歩くと、おじいちゃんが立っているのが見えた。立ち止まったり、ゆっくり歩いたりしている。おじいちゃんは、小さめのスーパーの袋をぶらさげているが、よく見ると使い古しのくしゃくしゃの袋だ。何が入っているのか、何のために持っているのか、まったく想像がつかない。孫が近くにいて小石を拾っているわけでもなく、ペットを連れていてフンの処理をしているわけではない。「教えて!おじいちゃん!」と心の中で叫びながら、すれ違った。

こんな風に、人を観察していると、すぐにスーパーに着いてしまう。帰りはどんな人に出会えるだろう。今だからこそ見える人々の物語。

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